じじぃの「人の死にざま_979_M・デュシャン」

Marcel Duchamp - In His Own Words (Part 2) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NbzQSRF68yw&feature=related
Marcel Duchamp - Archive Footage 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zsnvSZFFP8A&feature=related
マルセル・デュシャン 「階段を降りる裸婦、No2」 画像
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200602/02/03/e0057603_585088.jpg
マルセル・デュシャン 「大ガラス」 画像
http://www.eonet.ne.jp/~kyosyuu/heaven.gif
マルセル・デュシャン 2 - Marcel Duchamp
http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/dcnn2.html
マルセル・デュシャン ウィキペディアWikipedia)より
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス出身でのちアメリカで活躍した美術家であり、20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Selavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨンとレイモン・デュシャン=ヴィヨンも美術家。
【概論】
デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる。コンセプチュアル・アート、オプ・アートなど現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた。
デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが、「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。その後、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』、通称「大ガラス」と呼ばれる、ガラスを支持体とした作品の制作を続けていたが、これも未完のまま1923年に放棄。以後数十年間は「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表するほか、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせず、チェスに没頭していた。なお、チェスはセミプロとも言うべき腕前だった。
彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があり、晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビューの中でデュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている。
「芸術を捨てた芸術家」として生前より神話化される傾向のあったデュシャンに批判的な声(ヨーゼフ・ボイスによる「デュシャンの沈黙は過大評価されている」など)もあったが、死後、ひそかに制作されていた遺作(『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』)が発表され、周囲を驚かせた。 墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名。寺山修司が好んだとされる。

                              • -

『自然の中の絵画教室』 布施英利/著 紀伊国屋書店 2002年発行
動く芸術 (一部抜粋しています)
芸術の歴史で、20世紀初頭の未来派のアーチストたちは、「動き」のテーマと取り組みました。
もちろん、いつの時代でも、動きを描くこと、表現することは、画家や彫刻家たちが取り組んできたことです。動きの姿を表す「ムーブマン」という用語は、昔からの美学用語として定着しています。バロック美術の豪奢でうねるような動きの表現、またムーブマンというおと場を盛んに口にした彫刻家のロダンなど、「動き」の美術の代表的なものでしょう。「モナリザ」の「微笑」も、動きの表現の1つであるともいえます。
しかし動きを如何に描くか、表現するかが、第一に重要なこととして取り込まれたのは、やはり20世紀初頭の美術界です。それは映画と言う新しい芸術ジャンルが台頭し、それに対抗しての挑戦であったといえます。いかに映画に負けない美術表現のスタイルを確立するか、と模索した時代だったのです。
     ・
デュシャンは、「階段を降りる裸婦、No2」などの作品で、人が動く軌跡そのものを描きました。一人の人間を描いているのに、いくつもの身体が重なりながらズレ、あたかも動きを撮ったフィルムを、一つの画面に同時に見せたような絵です。
デュシャンの代表作は「大ガラス」とよばれる。ひどく難解な作品です。そこには「裸にされる花嫁」や、回転する機械のような「チョコレート粉砕機」という装置らしきものや、謎めいた模様が描かれているのですが、どれも変化し動くもの、あるいは変化や動きそのものです。
この「大ガラス」は、その名の通りガラスの作品で、透明です。現在は、アメリカのフィラデルフィア美術館に所蔵されています。ここの美術館には、デュシャンの遺作もあり、彼の芸術の神髄を見るには、ここに行くしかありません。
「大ガラス」は、ガラスの壁の前に立てて展示してありました。つまり作品と壁越しに庭が見えるのです。庭には噴水があり、その吹き上げる水が、「大ガラス」と重なって見えます。つまり作品の背後で、常に水が動いているのです。このような展示方法は、デュシャンの考えによるものだと言われています。動きと一体化した芸術作品なのです。
また「遺作」には、背景に滝もあるのですが、この滝の水は、動くように描かれています。モーターを使って動かしているのか、その仕組みはわかりませんが、ともかく水の模様が動いて見えるのです。
また晩年のデュシャンは、創作活動をやめ、チェスに凝(こ)っていました。じっさいは、隠れて「遺作」を作っていたことが死後に分かったのですが、この「チェス」というのも、駒が動くゲームです。
デュシャンは、どこまでも「動き」に魅せられていました。「動き」というテーマは、芸術にとって、底無しに「深い」世界なのです。

                              • -

マルセル・デュシャン Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3&sa=X&oi=image_result_group