じじぃの「人の死にざま_510_田河・水」

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のらくろ(norakuro)op ed 動画 YouTube
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のらくろ 動画 YouTube
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のらくろ

田河水泡 ウィキペディアWikipedia)より
田河水泡(たがわすいほう、1899年(明治32年)2月10日-1989年(平成元年)12月12日)は、昭和期に活躍した日本の漫画家。現代美術家から転じた。世界で初めての専業落語作家でもある。東京市本所区林町(現東京都墨田区)出身。義理の兄は文芸批評家小林秀雄
本名・高見沢仲太郎。現代美術家としての名は高見沢路直。落語作家としてのペンネームは高沢路亭。
【来歴・生涯】
日本美術学校(現・日本美術専門学校)卒業。このころ、本名「仲太郎」を嫌って、「高見沢路直」と名乗っていた。大正期には村山知義らが主宰する前衛芸術集団『マヴォ』に参加。
代表作に、漫画『のらくろ』がある。日中戦争第二次世界大戦のさなかに、漫画の世界でリアルに目の前にある戦争を風刺として扱ったということで、一世を風靡しただけでなく、意義ある作品との評価が高い。その他『蛸の八ちゃん』、『凸凹黒兵衛』、『窓野雪夫さん』、『漫畫常設館』、『漫畫の罐詰』など。ほかに「滑稽」を論理的に研究した著書『滑稽の構造』『滑稽の研究』、園芸入門書『のらくろ先生の観葉植物』、滑稽話をキリスト教的観点から見た『人生おもしろ説法』などの著書がある。
弟子に『サザエさん』の長谷川町子や『あんみつ姫』の倉金章介、『猿飛佐助』『ドロンちび丸』の杉浦茂滝田ゆう山根青鬼山根赤鬼森安なおや、伊東隆夫、野呂新平、ツヅキ敏、永田竹丸などがいる。
叔父に浮世絵複製の『高見沢版』で有名な高見沢遠冶。夫人の高見沢潤子は、文芸評論家小林秀雄の妹にあたる。長男は東京都立大学(現・首都大学東京)教授の高見沢邦郎。
山野を買い取り、それを宅地分譲しながら教育を始めたことで知られる玉川学園には 1969年より在住。遠藤周作と並んで、玉川学園という住宅地の代表的な文化人のひとりだった。
長谷川町子の『サザエさんうちあけ話』を原作とするNHK連続テレビ小説マー姉ちゃん』(1979年)では、田河水泡役を愛川欽也が演じた。また、2010年12月26日放送のテレビアニメ『サザエさん』(フジテレビ)の「サザエさん生誕65周年記念企画」で『サザエさんうちあけ話』がアニメになった時は柴田秀勝が声を当てている。
後半生はクリスチャンであった。『サザエさんうちあけ話』によると、長谷川が弟子になったときにクリスチャンである長谷川に夫妻で付き添って自宅の隣にあった教会に通ったところ、後に夫妻で洗礼を受けることになったという。
1989年12月12日、肝臓がんのため死去。90歳没。

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『漂流 本から本へ』 筒井康隆/著 朝日新聞出版 2011年発行
田河水泡のらくろ (一部抜粋しています)
のらくろ二等卒」が「少年倶楽部」に連載されはじめたのは昭和6年の新年号からだった。ぼくはまだ生まれていない。
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ぼくが生まれたのは『のらくろ軍曹』が出た昭和9年だが、もちろん生まれたばかりだからのらくろは読めず、5歳の頃はリューマチで寝たきりだった祖母に、朝日新聞連載の「ススメ! フクチャン」を読んでもらっていた。大好きだったフクチャンの作者横山隆一と、のちに対談をし、一緒に文士劇の舞台に立ち、わが童話【地球はおおさわぎ】を絵本としてご一緒身作ることになろうなどとはこの頃、夢にも思っていない。
その祖母が死んで転宅し、幼稚園も田辺愛児園からカトリック聖母園に変わっていたぼくは、はじめてのらくろを読んだ。昭和11年発行の『のらくろ小隊長』だった。装ていが漫画とは思えぬ立派な函入り布貼りで、絵は美しくのらくろは可愛く、ストーリィは面白く、当時の子供たち同様たちまち夢中になってしまった。定価壱円というのがどれほどの値打ちだったかは知らないが、買ってはもらえなかった。京大理学部出の父親は漫画を卑しんでいたようだ。
友達何人かが持っていたので、借りては読み、借りては読みしたものの、いずれも『のらくろ小隊長』。だいたいのらくろというのは失敗ばかりしている頃が面白くて、出世するにつれて失敗をしなくなる。巻末の広告に出ている『上等兵』や『伍長』『軍曹』がずいぶん読みたかったものだ。誰かがのらくろを持っていると聞けば出かけていったものだが、やっぱり『のらくろ小隊長』。これはのらくろが士官候補生として仕官学校へ入る話であり、戦争もなく、最後に怪獣退治をするだけで、比較的面白くない巻だった。
のろくろ各巻を読み、作者がマヴォという芸術集団にいた画家であったことや、小林秀雄の義弟であったことを知るのはずっとあとのことである。とにかくその絵のタッチはすばらしく、模写せざるを得なかった。折り目正しくバタ臭く正統的で、これはのちに「少年倶楽部」の連載をまとめた『のらくろ漫画全集』で見たのだが、兵舎へ鉄砲を盗みに入るニワトリなどは完全にアールヌーボーである。落語的な落ちも面白かった。学習用に貰ったノートへのらくろを描き、そしてこの頃からやはり夢中になっていた孫悟空も描き、勝手にストーリィを作っては描き、ノートを描きつぶしてはまた新たなノートを貰い、また漫画で埋め尽くした。親からは漫画ばかり描いて、とずいぶん叱られたものだったが、のち、作家の余技として漫画を描き、それが『筒井康隆全漫画』という1冊の本になるなど、その頃のぼくはまだ夢にも思っていない。

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