じじぃの「人の死にざま_505_三木・露」

三木露風 - あのひと検索 SPYSEE
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赤とんぼ - 小鳩くるみ 動画 YouTube
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名作のふるさと 龍野
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三木露風 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
三木露風は日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。
近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称された。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。
【略歴】
兵庫県揖西郡龍野町(現在のたつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。5歳の時に両親が離婚し、祖父の元に引き取られ、育てられた。
小・中学生時代から詩や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿、17歳で処女詩集を、20歳で代表作の『廃園』を出版するなど早熟の天才であり、北原白秋とともに注目された。龍野中学校中退後上京し、早稲田大学および慶應義塾大学で学んだ。
1918年頃から鈴木三重吉の赤い鳥運動に参加し童謡を手掛ける。1921年には、童謡集『真珠島』を出版した。この中の「赤とんぼ」は山田耕筰によって作曲され、広く知られている。また、1916年から1924年まで北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院で文学講師を務めた。1922年にここで洗礼を受け、カソリッククリスチャンになった。信仰に基づく詩集のほかに、随筆『修道院生活』や『日本カトリック教史』などを著し、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与された。
1964年12月21日に、午前9時15分頃三鷹市下連雀郵便局から出てきたところを、タクシーにはねられ、同月29日午後3時35分頃に脳内出血により75歳で死去。

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赤とんぼ  三木露風
夕焼け小焼の、赤とんぼ、
負われて見たのは、いつの日か。
山の畑の、桑の實を、
小籠に摘んだは、まぼろしか。
十五で姐やは、嫁に行き、
お里のたよりも、絶えはてた。
夕焼け小焼の、赤とんぼ、
とまっているよ、竿の先。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
三木露風 (1889-1964) 75歳で死亡 (一部抜粋しています)
明治末から大正にかけて白秋と相拮抗し、一般には童謡「赤とんぼ」(山田耕筰作曲)で知られる詩人三木露風は、7歳にして母と生別した。原因は父の放蕩であった。母はその後、碧川(みどりかわ)家に再嫁した。
・・・・67年後、この母は91歳で死亡した。73歳になっていた露風は、異父弟の日大教授碧川道夫にゆるしを請うて、通夜の晩、亡母とならんで寝た。
その2年後の昭和37年12月21日、彼は、住んでいた三鷹市下連雀(しもれんじゃく)郵便局から往来に出たところをタクシーにはねられて頭を強打し、救急車で運ばれたが、8日後の29日に息をひきとった。

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三木露風 Google 検索
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