じじぃの「人の死にざま_730_金子・み」

金子みすゞ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%87%91%E5%AD%90%E3%81%BF%E3%81%99%E3%82%9E/10640/
こだまでしょうか 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HJRL2P_9efI&feature=related
金子みすず「わたしと小鳥と鈴と」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=b9XlNm1htOE
みんなちがって、みんないい 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ofF-xmFIhwQ
「こだまでしょうか」ACのコマーシャルに登場する 金子みすず の詩と背景について「いいえ、誰でも」 ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/107491
謎の死に迫る 天才詩人みすゞの真実 (追加) 2011年12月23日 BOOK asahi.com
夫に娘を取られるのを悲観してという定説は母性原理主義だし、最晩年の寄稿歴から夫が詩作を禁じたという説も疑わしい(1ヵ月前それを裏付ける発見のニュースも)。ここに書ききれないほどスリリング。天才詩人に尊厳死を取り戻させた文学探偵に乾杯。
http://book.asahi.com/reviews/column/2011121900004.html
金子みすゞ金子みすず フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
金子みすゞ1903年明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。本名、金子テル。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。
【生涯】
山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津高等学校)卒業。父・庄之助は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげる。劇団若草創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。同時に、みすゞと雅輔は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係となる。
1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性・宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、26年の短い生涯を閉じた。
【作品】
代表作には「わたしと小鳥とすずと」や「大漁」などがある。
金子みすゞと同じ故郷山口県出身の歌手・作曲家ちひろは、金子みすゞの詩の50編近くに作曲し歌っており、「私と小鳥と鈴と」「星とたんぽぽ」は、歌集「さあ歌おう(山口県版)」に掲載される。CDアルバムも6枚リリースしている。
東隆明脚本・演出による「こだまでせうか〜童謡詩人・金子みすゞ その愛と死〜」は七人の作曲家によって「鯨法会」「葉っぱの赤ちゃん」など25曲に付曲し、語り朗読でみすゞの詞と人生を綴り、日本クラウンからCD発売され、また舞台化もされた。
NHK Eテレの子供向け番組「にほんごであそぼ」では、狂言として野村萬斎がアレンジした「大漁」が、番組内での歌として「私と小鳥と鈴と」が使用されているほか、みすゞの詩のフレーズを題材にした回も複数製作されている。

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歴史秘話ヒストリア 「愛と悲しみのこだまでしょうか 〜大正の詩人・金子みすゞの秘密」 2011年10月19日 NHK
【キャスター】渡邊あゆみ
東日本大震災後、「こだまでしょうか」で注目された大正時代の詩人・金子みすゞ。地方の一主婦だったみすゞは、故郷の海の様子を描いた詩で大ブレーク。一躍、人気詩人の仲間入りを果たす。しかし代表作「こだまでしょうか」を書いた頃、みすゞは重い病や夫との不和に苦しみ、不幸のどん底にいた。そんなみすゞを支えた最愛の弟の行動が、みすゞの死後、半世紀たってある奇跡を起こす。名作に秘められた愛と悲しみの物語。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/102.html
NHKスペシャル 「こころの王国 童謡詩人 金子みすゞの世界」 1995年8月27日
【語り】松田輝雄 【主演】小林綾子金子みすゞ)、山本耕史(上山正祐)
今から70年前、苛酷な人生に絶望し26歳で自らの命を断った「幻の童謡詩人」金子みすゞの遺稿、500編の詩が、児童文学者、矢崎節夫さんの長年の努力で発掘され、平成8年度から小学校の教科書でも紹介されることになった。
番組では、心優しいみすゞと弟との心の交流を中心に、みすゞの知人へのインタビューや詩の朗読を交えながら、薄幸の詩人の死までを描く。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999508270130122/
金子みすゞの詩
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
お魚
海の魚はかはいそう
お米は人に作られる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。
鯨法会
鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。
はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、
村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、
おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。
海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

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