じじぃの「人の死にざま_496_M・ミッチェル」

マーガレット・ミッチェルの相関図 - あのひと検索 SPYSEE
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映画で学ぶ実践英語9−2 動画 YouTube
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風と共に去りぬ Gone with the Wind (アシュレーとメラニーにあう) 動画 YouTube
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マーガレット・ミッチェル フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
マーガレット・マナーリン・ミッチェルは、アメリカの小説家。長編小説『風と共に去りぬ』で知られる。
風と共に去りぬ』出版に至るまで
ミッチェルはくるぶしの骨折で寝たきり生活を送っていた1926年、『風と共に去りぬ』を書きはじめたと伝えられている。夫のジョン・マーシュは彼女の気晴らしにと図書館から歴史書を借りてくるのだったが、あるとき「ねえ、そんなに本が好きなら、今度は自分で書いてみたら?」と言った。南北戦争の豊富な知識を持っていた彼女は、それを背景として自分の人生体験を叙事詩に綴っていった。
1935年、アトランタの一主婦として生きていた女性の運命を一変させる出来事があった。当時、南部地域で有望な作家を探していたマクミランの編集者、ハワード・ラザムがミッチェルのもとを訪れたのである。ラザムの同僚が2人の共通の友人であり、ミッチェルにアトランタを案内してもらう予定であった。すっかり彼女に惹かれたラザムは、これまでに何か書いたものはないかと尋ねた。
ラザムはちょうどアトランタを発つために荷造りをしていた。「原稿があるわ―気が変わらないうちに持って行って」。
彼女は原稿の代わりに、小説の出版を熱望するラザムの手紙を受け取り、続いてマクミランから稿料の前渡し分を受け取った。小説は1936年に完成したが、彼女は最後まで第1章を書かなかった。
6月30日、『風と共に去りぬ』は出版され、3年後にはデビッド・O・セルズニックによって映画化された。1939年12月15日、アトランタでプレミア上映会が開かれている。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
マーガレット・ミッチェル (1900-1949) 49歳で死亡 (一部抜粋しています)
地方紙の「アトランタ・ジャーナル」の読者記者という履歴はあるが、小説は書いたことのないマーガレット・ミッチェルが『風と共に去りぬ』という南北戦争を題材とする壮大な物語を書きはじめたのは1927年、27歳のときであった。彼女はこの大長編を、なんとラストの部分から書き出した。
それ以来、病気や怪我(けが)や自信喪失や、ジョージア電力会社に勤める夫との家庭生活の雑用に追われて、1935年に至ってもまだ未完成であったが、出来上った分を読んだ出版社マクミラン社が出版を申し込み、彼女はあわてて冒頭部分の最終稿を書きあげた。
彼女は5000部も売れてくれればありがたいと考えていたが、1936年6月『風と共に去りぬ』が発売されや記録的なベストセラーとなり、その年の中にアメリカでけで100万部を超え、以後も全世界で無限と思えるほど売れつづけた。
それ以来彼女と夫ジョンは、映画化権や無断上演、海賊版などのトラブル、ピューリッツア賞受賞の騒ぎ、殺到するインタビューや講演の依頼、ファンとの対応、さらにはあらぬ中傷や裁判沙汰などに忙殺され、マーガレット自身の言葉によれば「気苦労の多い悪夢のような生活」におちいってしまった。
しかし彼女は、むろんただ嘆いていたのではなく、自分の権利を守るために悪戦苦闘し、かつその名声に満足し、愉しんでいた。
マーガレット・ミッチェルは2度と小説を書く意志を持たず、また書ける状態ではなかったが、なだれ込む巨額の収入は、彼女を『風と共に去りぬ』の上に安楽にあぐらをかかせる結果となった。
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1949年8月11日の夜、マーガレットは夫のジョンとともに、『風と共に去りぬ』執筆時代から住みつづけているアトランタ市の映画館にイギリス映画「カンタベリー物語」を観にゆくために出かけ、8時半ごろ映画館近くの信号機のない交叉点を渡ろうとした。マーガレットは心臓を病む夫に腕をかしていたが、そこへ酔っぱらい運転のタクシーが走って来た。マーガレットは反射的に夫から離れて歩道のほうへ逃げ戻ろうとしたが、車は夫を避けようとして、逃げたマーガレットを轢(ひ)いてしまい、7フィートも引きずった。
マーガレット・ミッチェルはすぐに救急車で病院に運ばれたが、5日後の8月16日午前11時50分に息をひきとった。

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マーガレット・ミッチェル 
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