じじぃの「人の死にざま_486_永野・一男」

永野一男 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%B0%B8%E9%87%8E%E4%B8%80%E7%94%B7/15214/
豊田商事永野会長刺殺事件の瞬間 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2QvGxJVCJZ4
豊田商事事件 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
豊田商事事件は、金の地金を用いた現物まがい商法の会社による悪徳商法事件。
【年表】
・1981年、豊田商事の前身である、大阪豊田商事株式会社が設立。1982年に、豊田商事株式会社に改名。
・1985年、その悪徳商法が社会問題化。国民生活センターなどにより豊田商事関連の110番が設置された。
 4月、関連会社の鹿島商事の外務員が逮捕され、捜査が本格化する。
 6月18日、豊田商事会長刺殺事件が発生。
 7月1日、豊田商事は破産宣告を受ける。破産管財人として、弁護士の中坊公平が選出される。
【手口】
客は金の地金を購入する契約を結ぶが、現物は客に引き渡さずに会社が預かり「純金ファミリー契約証券」という証券を代金と引き替えに渡す形式を取った。このため客は現物を購入するのか確認できず、証券という名目の紙切れしか手許に残らない現物まがい商法ペーパー商法)と言われるものであった。一応、豊田商事の営業拠点には金の延べ棒がこれ見よがしに積まれていたが、後の捜査によってそれはイミテーションであったことが明らかになっている。
また勧誘に於いては主に独居老人が狙われたのも特徴的だった。まず電話セールスで無差別的に勧誘し、脈ありと判断すると相手の家を訪問する。家に上がると線香をあげたり身辺の世話をしたり「息子だと思ってくれ」と言って人情に訴えるなど、徹底的に相手につけ込み、挙句の果てにインチキな契約を結ばせていった。
詐欺ではないと見せかける為、幾つかの信用力のある企業やブランド名の悪用や豊田ゴールドテレビCMを放映したり、芸能人をイベントで起用した事でも知られており、「豊田商事」という社名は、トヨタ自動車がバックについていると錯覚させるためのものであったが、トヨタを盗用した理由は、永野一男が中学校を出て最初に就職した先がトヨタグループの自動車部品メーカーである日本電装(現デンソー)であったためと言われている。当然のことながら、トヨタグループとは全く関係ない。トヨタグループの総合商社で豊田通商があるが、「豊田商事」と名前が似てしまったばかりに事実無根の風評被害をうけ、大損害を被った(因みに商法12条及び13条における「他の商人と誤認させる名称等の使用の禁止」により類似商号を使用することは禁止されている)。また関連企業の鹿島商事は鹿島建設の系列企業を装い、ベルギーダイアモンドでは国内で仕入れた二束三文のダイアモンドしか扱わないにも拘らず、ベルギー大使館が新規開設のダイアモンド販売業者に対し、業者側から申し入れが有った場合に礼儀的に発行される挨拶文を掲載するといった、2000年代の詐欺や悪徳商法セクトの手口としておなじみとなっている手法が使われていた。

                                  • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
永野一男(ながのかずお) (1952-1985) 33歳で死亡 (一部抜粋しています)
岐阜県恵那郡東野村という寒村の極貧の家に生まれ、昭和43年中学を卒業しただけで集団就職による工員から出発した永野一男は、その後10年、さまざまな職業のセールスマンを転々とし、その間横領罪やスリ現行犯で検挙されるなどの経歴をはさみつつ、昭和53年、銀座に金(きん)の先物取引を扱う「豊田商事」なるものを設立した。
のち56年大阪に移転し、強引なセールスによって主として老人相手に金を買わせ、現物は渡さず(はじめから無い)預かり証だけ渡すというペーパー商法によって2000億円という天文学的な資金を集め、昭和60年には100社に及ぶ種々のペーパーカンパニー、従業員7000人という一大コンツェルン(?)を築くに至った。時に永野は満でいえば32歳。1メートル60あるかないかの白面の小男であった。
彼は「商売に道徳は不必要」と、うそぶく一方で、コンサルタントとして多数の顧問弁護士を雇い、「法律的にも道義的にもまったく問題ない」と豪語していたが、金(かね)だけとれれて金(きん)を渡されない被害者の訴えが続出するに及んで一大社会問題化し、昭和60年6月17日、ついに兵庫県警の事情聴取を受けるに至った。
その翌日6月18日の午後6時半ごろ、彼がただ1人で済む大阪北区天神橋の部屋の前に、30人ほどの報道陣がつめかけているところに、鉄工所経営者と名乗る酒気をおびた飯田篤郎と、その元従業員の矢野正計が現れた。
そして、ドアの横の窓のアルミ桟を蹴破って中に侵入、数分格闘の物音がつづいたあと、2人とも凄じい返り血をあびて現れ、飯田は平然として「殺(や)った。おれが犯人だ。警察を呼べ」といい、矢野は黙々として、しかし誇らしげに血みどろの刀を見せた。
      ・
カメラマンを含む30余人の報道陣の前で行われた惨劇であり、その光景はまざまざとテレビで茶の間に送りとどけられ、かつまたのちに「フォーカス」に発表された。みずから血しぶきを満面にあび、砕けんばかりに歯をむき出しにした永野の断末魔の形相は人々を戦慄させた。
サギ的手法で2000億円の金を集め、「香港の銀行を買収しようか」とか「いっそアフリカのどこかの国1つを買おうか」など、誇大妄想的な怪夢をえがいていた永野は、全身13ヵ所斬られ、中でも左脇腹から深さ18センチも銃剣を刺しこまれたのが致命傷であった。そのポケットの黒革の財布には711円はいっているだけであった。
警察に連行された飯田は「法律は手ぬるい、わしらがやらんかったら、ほかにやる者はおらん」と、うそぶいた。