じじぃの「音声としてのことば!本当はどうなんだろう」

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藤堂明保 ウィキペディアWikipedia) より
藤堂明保(とうどうあきやす、1915年9月20日-1985年2月26日)は、日本の中国語学者、中国文学者。
【来歴】
専門は音韻学で、1962年「上古漢語の単語家族の研究」で東京大学から文学博士号を授与される。漢字の意味(語源)の遡及において、字形の異同から共通する意義素を抽出しようとする伝統的な文字学の手法ではなく、字音の異同を重視し、字形が異なっていても字音が同じであれば何らかの意義の共通性があると考える「単語家族説」を提唱した。1970年に刊行された白川静の『漢字』を全否定し、白川の反論を受けている。日本の漢字改革についても発言したが、「単語家族説」の発想に基づいて、発音と意味の一部を同じくする漢字を統合することにより、字数を削減できると主張した。また、独自の観点に基づく『学研漢和大字典』を編纂し、漢文学の知識をよりわかりやすい形で提供する新しい漢和字典の嚆矢となった。

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古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け』 藤村由加/著 新潮社 1997年発行
大国主神と三人の女 (一部抜粋しています)
私たちが記紀万葉の世界を旅する時に欠かせないものがある。そのひとつが、藤堂明保博士の漢字辞典だ。漢字はもともとは、山、川、口、目・・・などと象形文字だった。自分たちが見た形をそのまま文字にしたのである。藤堂博士は、その漢字の成り立ちに付け加え、「全く違う感じでも、同じ、または似ている音で読まれる漢字は共通の意味を持っている」という「単語家族」という考え方を、『漢字語源辞典』にまとめている。
私たちは小さい頃こら漢字を習ってきた。象形文字などの漢字の成り立ちに始まり、「木編」は木に関する文字、「さんずい」は水に関する文字といったことだ。だから、単語家族――同じ音は同じ意味――という聞き慣れないことばに最初は戸惑ったが、よく考えてみれば当たり前のことだとわかる。
最初から文字があったのではない。文字発明のはるか前から、音声としてのことばはあったのである。その音声を記述するのが文字だった。
初めは音声やしぐさによってしか、意味を相手に伝える術(すべ)はなかったのだ。だから、いろいろな音が同じ意味を持っていたり、その逆に同じ音がいろいろな意味を持っていたら、音声だけでの通話(コミュニケーション)は混乱してしまったであろう。文字があることが当たり前になってしまっている今では、そんな音声だけで伝達する世界など想像できないかもしれない。
今の地球上にも、文字を持たぬ言語がゴマンとあるのも忘れそうである。
『漢字語源辞典』をパラパラとめくり、その単語家族を見た時、私たちの感覚にもシンプルでわかりやすいものであることに驚いた。
例えば、N系の音は「やわらかい」系列の意味を持つ。ネチョネチョ、ネットリ、ネバネバ・・・。K系の音は「角ばった」という意味だ。カクカク、カリカリ、カチャカチャ・・・。たしかに雰囲気を表わしているようだ。また、実際にその音を口の出して言ってみると、何かに気がつかないだろうか。音の持つイメージが、その音を言うときの口の中の感覚と何となく重なってくる。
カキクケコ・・・。カ行の音を言う時、息(空気)は喉の奥に当たって詰まったように口から出ていく。K系の音は、まさしく「角張った」という固いイメージを運ぶ、ナニヌネノと言うと、舌が舌が上顎にくにゃっとひっつく感じだ。これも、N系の「やわらかい」という意味にぴったりだ、こうやってみると、どうやら音の意味というのは、そもそもはそれを言う時の口の形と関係があったにちがいないこともわかってくる。
古代中国では、包んだり、丸くふくらんだ様子をPOGと言っていた。口に出して言ってみると、口がふくらんでいるのがわかるだろう。
「包」=お腹に赤ちゃんのいる様子
「宝」=財貨を大切に家の中にしまっている様子
「保」=赤ちゃんを抱いている様子
それぞれ別のことを表わしているが、どれもPOGという音で「丸く包む」状態をいっているのだ。
お腹に赤ちゃんのいる様子は胎児の形(己)を内膜で包んだ姿で、「包」の原字となった。財産を家にしまってある様子は「うかんむり(やね)」の下に玉や缶や貝(財貨)を置き、保護する様を表わす「宝(賽)」の字だ。赤ちゃんを抱いている様子は「保」の原字で、左の人編が抱いている人を、右のつくりが子どもを表わしている。
「包」も「宝」も「保」もよく知られている漢字だが、この音でくくるという単語家族の考え方を知らなければ、それぞれがまったく関係ない漢字に見えるだろう。
「包(ホウ)」も「宝(ホウ)」も「保(ホ)」は、日本語で音読してもほとんど同じだ。漢字はもともとは、その音そのものの中に意味があったのだ。この単語家族の考え方を知ったことで、私たちの漢字世界の理解は大きく開けていった。
「道」の古代中国恩はTOGで、基本魏に「細長く伸びる」を持つ。これと同音の単語家族の中に、思いもよらないものがあった。何と、歌謡の「謡」の字である。「道」と「謡」が同じ音、つまり共通の語義を持っていたのだ。
「謡」は声を補足長く伸ばして歌うこととある。
なるほど能に代表されるような古典音楽を考えてみても、短いことばを、長く長く伸ばして謡うのが特徴だ。私たちには何を言っているのかよくわからなかったりするが、ともかく、その調子が強烈で、耳に音の余韻がこびりついてしまう。
実は、道そのものにも伸びる、述べるという意があったのだ。道に「いふ」という古訓があることに最初は驚いたが、長く伸びる道も、長く述べることも同じ状態であることがすぐに納得できた。話すのも歌うのも音声にのせて伸ばしていくことに変わりはない。古えの人は「道」も「謡」も同じ状態と見ていたのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、東金図書館から、『古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け』を借りてきた。
古事記の暗号」などと気になるようなタイトルだ。
パラパラとめくっていたら「単語家族」なるものが出てきた。
「漢字はもともとは、山、川、口、目・・・などと象形文字だった」
「口」、「目」など漢字は見た形をそのまま文字にしたんだろうなと思う。
漢字はまた、同じ音は同じ意味を持っているのだそうだ。
「古代中国では、包んだり、丸くふくらんだ様子をPOGと言っていた」
「『包(ホウ)』も『宝(ホウ)』も『保(ホ)』は、日本語で音読してもほとんど同じだ」
確かにPOGと言うと「包」も「宝」も「保」も同じような音に聞こえる。
文字を使うようになる前に、人は赤ん坊を抱くときとか、あやすとき、どんな呼び方をしていたのだろう。
「ホウ」とか「ホッ」とか言いながら、抱いたのだろうか。
「漢字はもともとは、その音そのものの中に意味があったのだ」
「じじ」とか「ばば」も似たような音に聞こえる。