じじぃの「人の死にざま_456_I・カント」

イマヌエル・カント - あのひと検索 SPYSEE
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イマヌエル・カント ウィキペディアWikipedia) より
イマヌエル・カントは、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。ドイツ観念論哲学の祖ともされる。
【生涯】
イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で馬具職人の四男として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごしそこで没した。両親はルター派の敬虔主義を奉じていたため、カントはその濃厚な影響のもとに育った。
1770年、カント46歳のときに転機が訪れる。ケーニヒスベルク大学から哲学教授としての招聘があり、以後、カントは引退までこの職にとどまる。就職論文として『可感界と可想界の形式と原理』(原文:ラテン語)をあらわす。前批判期のもっとも重要な著作の一つで、後の『純粋理性批判』につながる重要な構想が述べられている。
大学教授としてのカントは、哲学のみならず、地理学、自然学、人間学などさまざまな講義を担当した。
1804年2月12日に逝去。晩年は老衰による身体衰弱に加えて老人性認知症が進行、膨大なメモや草稿を残したものの、著作としてまとめられることは遂になかった。彼は最期に末期の水がわりに砂糖水で薄めたワインを口にし、「これでよい」(Es ist gut.) と言って息を引き取ったという。
【概説】
一般にカントの思想はその3つの批判の書にちなんで批判哲学と呼ばれる。しかし、カント自身はみずからの批判書を哲学と呼ばれるのを好まなかった。カントによれば、批判は哲学のための準備・予備学であり、批判の上に真の形而上学としての哲学が築かれるべきなのである。ドイツ観念論はカントのこの要求にこたえようとした試みであるが、カントはこれをあまり好意的には評価しなかった。また、ドイツ観念論の側でもカントを高く評価しながら、物自体と経験を分離したことについてカントを不徹底とも評価し、いわば、カントを克服しようとしたのである。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
ドイツ学派
合理主義が極端なまでに理性の働きを強調したのに対して、経験主義は理性の限界を唱え、感覚による外界の事物の観察を重視した。ドイツの哲学者カントはこの両方の学派の折衷を図り、理性が現実社会を正しく認識できるのは、感覚によって知覚できる事物に限られるという説を立てた。
ヘーゲルの哲学は、もっとも難解なものの1つである。ヘーゲルは"絶対的観念論"として知られる哲学を展開した。この観念に立つと、物事は単なる現象、あるいは、幻影にしかすぎず、唯一の現実は"絶対精神"であり、絶対精神は闘争や矛盾の歴史的な過程のなかでその本質を現わすということである。この過程のなかから、絶対精神の真の表れ、すなわち、すべての矛盾が高い段階の弁証法的な総合によって解決された、完全な社会が生まれるとされる。
ある命題を反対の命題を立てて破っていくというこのヘーゲルの考え方、すなわち弁証法は、カール・マルクスによって受け継がれた。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
カント (1724-1804) 80歳で死亡。 (一部抜粋しています)
カントは虚弱で筋骨薄弱であった。頭だけ大きく、背は1メートル50センチぐらいで、胸は扁平で、痩せこけて、脊柱側弯症の気味があった。
それが80歳の長寿を保ったのについては、友人の哲学者ヤハマンは、「彼は自然から生命を無理取りしたのだ」という。すなわち、それは彼の極度の摂生と規律正しい生活によるものだというのである。
カントは一生ほとんど生まれ故郷のケーニヒスベルグを離れず、結婚もせず、旅はおろか、隣町のダンチヒにされゆかず、ただ同じ街の同じ地点を同時刻に通過する散歩だけを繰返す日々を過ごした。
彼は夏も冬も正確に5時に起床し、食事は、昼飯はバターとチーズを豊富に使い、数時間をかけてよく食べたが、朝と夕は葡萄酒と水だけですませた。その葡萄酒も適量を厳重に守った。書斎には寒暖計を置いて、一定温度を保った。夕方には、よほどの悪天候でないかぎり、必ず日課通りに正確な散歩をした。そのとき彼はいつもブロンドのかつらをかぶり、三角帽をかぶるのを常とした。それで彼は、虚弱な肉体にもかかわらず、慢性の便秘に悩まされる以外は、一生ほとんど病気をしなかった。
彼にとって存在するのは「それを思うごとに感嘆と崇敬の念をもって満たされるもの、天に輝ける星とわが内なる道徳律」だけであった。
晩年に達すると、カントはケーニヒスベルグの高齢者の年齢をすべて記憶していて、毎年自分が次第に昇格して、「先輩」が少なくなってゆくのをたのしみとした。
さて、そのカントも死の半年前、すなわち1803年の夏、ヤハマンが訪れたとき、彼がだれか、もうわからないようになっていた。
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カントは70を越えてから徐々に精神的肉体的に衰弱し、次第にその老衰を早めて、あの規則正しい食事も不規則になり、バターパンとチーズだけをむやみにむさぼり食うようになっていた。
この1803年10月8日は特にそれが甚だしく、妹がやめさせようとすると立腹した。翌日、突然倒れ、失神状態のまま食ったものを吐いた。
12月には、自分の名前も書けなくなった。アルファベットを教えても効果がなかった。
「さて2月が来た。かってカントは、2月は日数が少ないから苦痛も最も少ないだろうといったが、カントはこの月に生涯で最も多くの苦痛に耐えなければならなかった」
と、やはり友人の学者ヴァシアンシキーは記す。
「かって自分を痩身の極限だといったその身体は、まったく、法外に痩せこけてしまった。カントはほとbbどもうわずかに植物的生命をつないでいたに過ぎなかった。・・・・2月3日には、生命のすべてのゼンマイがすっかりゆるんでしまい、まったく伸び切ったもののように思われた。・・・・カントの生存は、80年の運動の後の一種の遠心力の作用としか見えなかった」
それでも医者が来ると、彼は譫妄(せんもう)状態としか見えない、とりとめのない言葉ながら敬意を表し、医者が坐らなければ自分も腰かけず、みなを感動させた。
しかし、この日以来彼は何も食べず、無理に食べさせても口から出した。6日からは、眼をすえて坐っているだけで、ただ影法師のような存在となった。7日以後には、ベッドから出られなくなった。
11日の夜に至って、「何かの必要があったものと見えて寝床を離れようとする様子を示し、起き上がろうとあがいたけれど、それは無駄であった。・・・・カントは眠らなかった。容態の衰弱といわんよりむしろ昏迷であった。スープをいれて差し出された匙(さじ)をしばしばおしのけた」
とヴァシアンシキーは書く。
「しかるに夜中の1時頃に、自分で匙の方へ向いた。わたしは渇(かわ)いたのだと思い、葡萄酒と水を甘く割って差し出した。カントは口をグラスに近づけた。そうして衰弱のためもはや飲み物を口にふくむことができなかったので、それがごろごろ鳴ってすっかり下りてゆくまで、手で口をとじていた。カントはもっと欲しそうだったので、私は幾度も差し出したが、ついにそのために元気づいて、もとよりはっきりしないが、それでも私にはまだわかるように、
エス・イスト・グート』(よろしい)
と言うことができた。これがカントの最後の言葉だった」
これが「すべてよし」という大哲学者カントの最後の言葉として有名になったが、事実はおそらくただ「うまい」という意味に過ぎなかったろう。
「12日、午前10時、カントの様子の変化はいちじるしく目立って来た。眼はまったくすわっており、蒼白い死の影が顔や唇を彩った。・・・・呼吸がとまった。上唇のひきつるのがわずかに認められた。つづいて、弱い微かな呼吸を1つした。それっきりもう呼吸がなくなった。脈搏はなお2、3秒つづいたが、一層弱くなり、もはや感じられなくなった。・・・・機械の最後の運転が停止した。あたかもそのとき11時が打った」
埋葬のしかたについては、カントはかねてから書き物を残していた。それは早朝ひそかに、ただ少数の食事友達だけに見送られて埋葬されたいというのであったが、ヴァシアンシキーはその遺言を一目見ただけで、そんなことは不可能だと考えた。
2月28日、ケーニヒスベルグでは、かって見たこともないような敬意と荘厳さにみちた大がかりな葬儀が行われた。 (ヤハマン『カントの生涯』木場深定訳より)

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