じじぃの「アスワンダム!エジプトの悲劇」

エジプト アスワンの砂漠 (Aswan desert) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Xr9EvJnA6iw&feature=related
Egypt's clean water crisis - 15 Jul 07 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=o8iuyaS16-c&feature=channel
ナイル川 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ナイル川は、アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長級の河川である。
【概要】
20世紀には水害を防ぐためアスワン・ダム、アスワン・ハイ・ダムが建設され、灌漑が発達することで三角州地帯を中心に通年耕作が可能となった。しかしアスワン・ハイ・ダムの建設に伴い、貴重な古代エジプト文化遺産ダム湖に沈む為、遺跡の高台への移動を余儀なくさせられている。現在、ナイル川下流地域では灌漑による塩害の発生や土砂の流出などに悩まされており、エジプト政府はこの対策をせまられている。

                                        • -

『水と緑と土―伝統を捨てた社会の行方』 富山和子/著 中公新書 2010年発行
土壌と文明 (一部抜粋しています)
アスワン・ロウ・ダムは、洪水と沈積土の流送増加を阻止するのが目的で建設され、一時的には著しく生産性を高めることができた。もはや危険で不安定な洪水に依存する必要はなくなり、灌漑運河による計画的な農業が保証された。二毛作、三毛作も可能になった。
しかしまもなく、農民たちは取り返しのつかない変化が起こっていることに気がついた。収穫が激減しはじめたのである。原因は沃土の定期的な補給が断たれたこと、土壌中に有害な塩分が蓄積されはじめたことにあった。こうして、化学肥料の大量使用が開始された。
一方ダムは水と土によって脅かされはじめた。沈積土がダムをしだいに埋めていったからである。広大な農地に配分されてきた沃土の量だけでも1ヵ所に蓄積されれば膨大であるのに、加えて土地の森林が荒らされたことにより、土壌侵食は加速度的に進行した。ロウ・ダムはその後1907年、12年、33年と3度も拡張されている。さらに、白ナイルと青ナイルの上流にもそれぞれダムが建設されねばならなかった。それでもなお流出する土砂はダムを脅かしつづけた。
しかしロウ・ダムの教訓は生かされなかった。途方もなく巨大なダムを築くことで、問題が一挙に解決されようとしたのである。巨大ダムであれば、年々堆積していく土砂の量はさほど問題にならない。しかも年間100億キロワット時という膨大な発電能力は工業化を促進させ、肥料工場を活発に稼働させる。その肥料で、沃土の補給を絶たれた農地のロスを補い、さらに貯水池の水で砂漠を灌漑し農地を拡大させる−−。まことにいいことずくめの計画のもと、ロウ・ダムのすぐ上流にハイ・ダムが登場したわけであった。
ハイ・ダムの建設によって、青ナイル、白ナイルから贈られてくる沈積土、腐植土はナセル湖の底深く沈められ、もはや永遠にエジプトの土になることはなかった。流域農地では大量の化学肥料が必要になり、その必要量は毎年1億ドル以上にのぼると世界銀行は推定した。
洪水が洗い流してくれていた土壌中の有害塩分も、蓄積されるばかりだった。やむなくエジプトは、デルタ地帯の40万ヘクタールの地域に限り地下排水路を設け、塩分を含んだ水を排出させる計画に着手したが、それには膨大な投資が必要である。いずれにせよこのままでは収穫は減りつづけ、1970年代のうちに数百エーカーの土地が不毛になるだろうとの農学者の警告もある。
     ・
ダムは東地中海のイワシ漁業に最も大きな打撃を与えた。栄養分の不足している地中海の中で、これまでただ1つ豊かな資源を誇ってきたのが、ナイルの有機沈泥の放出だれる東地中海であった。それが、いまでは水揚げは激減してイワシ漁業は壊滅状態となり、3万人の漁民が生計の道を奪われてしまった。東地中海のプランクトンは3分の1に減り、替わって塩分がふえている。
クレア・スターリングは書いている。「わたしのような外国人は、カイロのホテルのバルコニーから半透明の緑のナイルを見おろして美しいと思う。しかしエジプトの農業関係者にとって澄んだ水は脅威でしかない。ある人などは"あの水を茶色くにごらせるためなら死んでもいい"とまで語ったほどだ。水は今後も決してにごらないだろう」と。
澄んだ水はナイル川の河床を洗い、河床は刻々と低下している。それは下流にある3つのダムと550の橋を脅かしている。この浸食を防ぐために、ナイルの流れをゆるやかにすることが考えられているが、それには下流にさらに10か所のダムを建設しなければならない。澄んだ水はまた、海岸線をも侵食している。そのためエジプト第2の都市アレキサンドリアは脅かされ、ソ連の援助で行われるはずであったナイル川のダミエッタ分流河口の港湾建設計画も取りやめとなったといわれる。
一方、こうした高価な大小を支払ったのと引き換えに、エジプトはその頼みとする水資源を確保できたであろうか。1630億立方メートルというナセル湖の貯水容量は、エジプトとスーダンの需要をまかなうぎりぎりの水量のはずであった。そしてその水は、1970年に満水になる計画であった。しかし水は計画どおりにはたまってくれず、1970年には予定の半分にも満たなかった。一説には、大量の水の上では風速が増し、年間150億立方メートルもの水が蒸発してしまうからだという。
そのうえナセル湖の西岸は多穴質の砂地なので、地下にも水を吸い取られてしまう。結局のところ、ナセル川からダムに流れ込む水の3分の1は、蒸発や浸透で失われている。ナセル湖が満水になるのは、今後200年を要するだろうという専門家もいる。

                                        • -

どうでもいい、じじいの日記。
『水と緑と土―伝統を捨てた社会の行方』という本の「土壌と文明」にアスワンダム(アスワン・ハイ・ダム)のことが載っている。
アスワンダムはアスワン・ロウ・ダムの上流6.4Kmに建設したダムで、古代エジプトアブシンベル神殿の移転工事のため1970年完成した。
アスワンダムはナイル川の氾濫を無くし、毎年豊かな収穫をもたらすはずだった。
しかし、エジプトの農地はこのダム建設後の塩害に苦しむようになった。
ダムが出来る前は毎年のナイル川の氾濫が農地を水浸しにすることによって、土中から浮き出てきた塩類を海まで流していたのだった。
日本にいると雨が多いので、塩害などあまり聞かないが、熱帯の土地は乾燥すると土中から塩が浮き上がってくるのだ。
ナイル川が運んだ土砂は海をも豊かにしてきた。それがダムの湖に土砂が堆積し流れなくなり、地中海のイワシ漁業にまで影響を与えていたのだった。
そしてエジプトはもっとも水不足の深刻な国の一つになったのである。