じじぃの「人の死にざま_431_上田・敏」

上田敏 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%95%8F/18619/
秋の歌(落葉)の遊書 動画 YouTube
http://rapidscan.me/-0d5q29asycikk8s.html
カール・ブッセ 「山のあなた」 上田敏訳 『海潮音』より
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/book-yamanoanata.htm
上田敏 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
上田敏は、文学者、評論家、啓蒙家、翻訳家。多くの外国語に通じて名訳を残した。号で、「上田柳村」とも呼ばれる。「山のあなたの空遠く 『幸』(さひはひ)住むと人の言ふ」(カール・ブッセの「山のあなた」)や、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」(ポール・ヴェルレーヌの「落葉」、一般には「秋の歌」)などの訳詞は、今なお、広く知られている。
【略歴】
1874年(明治7年)、東京築地に生まれる。絅二は昌平黌教授をつとめた儒学者の乙骨耐軒の次男。静岡尋常中学、私立東京英語学校を経て、第一高等学校を経て、1897年(明治30年東京帝国大学英文科卒。講師小泉八雲から「英語を以て自己を表現する事のできる一万人中唯一人の日本人学生である」とその才質を絶賛されたという。卒業後、東京高等師範学校教授、東大講師(八雲の後任)。
1902年(明治35年)6月、主宰誌の『芸苑』と廃刊になっていた森鴎外の主宰誌『めざまし草』とを合併し、『芸文』を創刊(その後、出版社とのトラブルで廃刊したものの、10月に後身の『万年艸』を創刊)。その後、鴎外とは家族ぐるみで交際した。
1908年(明治41年)欧州へ留学。帰国後、京都帝国大学教授となる。1910年(明治43年)2月15日、慶應義塾大学文学科顧問に就任。
1916年(大正5年)、腎臓疾患で東京の自宅で急逝。享年41。
ヨーロッパの当時の文芸思潮を熱心に紹介し、後進を啓発した。たとえば永井荷風は、「上田先生などの著述の感化で、西欧の風物文物へのあこがれを持った」由を、綴っている。

                                        • -

フランスの詩人ヴェルレーヌ 「落葉」
Chanson d'Automne    落葉/上田敏
Les sanglots longs      秋の日の
Des Violons          ヴィオロン
De l'automne         ためいきの
Blessent mon coeur     身にしめて
D'une languer         ひたぶるに
Monotone.           うら悲し。
Tout suffoncant        鐘のおとに
Et bleme, quand        胸ふたぎ
Sonne l'heure,         色かへて
Je me souviens        涙ぐむ
Des jours ancien        過ぎし日の
Et je pleure.          思い出や。
Et je m'en vais        げにわれは
Au vent mauvais       うらぶれて
Qui m'emporte         こゝかしこ
Deca, dela,           さだめなく
Pareil a la           とび散らう
Feuille morte.         落葉かな。

                                        • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
上田敏(うえだびん) (1874-1916) 41歳で死亡。
訳詩集『海潮音』によってフランス象徴詩を紹介し、明治詩壇に新風を吹き込んだ上田敏は、明治41年、34歳で京都帝国大学講師に迎えられ、ついで翌年教授となったが、大正5年3月、萎縮腎の診断を受けた。
7月6日上京し、芝白金三光町の自宅で久しぶりに家族と談笑したが、8日、森鴎外を不問しようとして外出の支度中、突然尿毒症を発して昏睡状態におちいり、9日午後3時に逝去した。
京大の教え子菊池寛は28歳で、ちょうどそのとき東京にいたが、同窓生が割りあてた5円の香典が払えず、そこで、京大時代、自分の小説がのっている同人誌を何度も上田先生宛てに送ったにもかかわらず一顧もされなかったことを思いだし、先生は自分にとって路傍の人だ、と考えることにして、葬式にゆかなかった。
夏目漱石は、7月15日付、在ニューヨーク厨川白村(くりやがわはくそん)宛ての手紙の中で
上田敏君が死にました。13日に葬式がありました。人間は何時死ぬか分かりません。人から死ぬ死ぬと思われている私はまだピンピンしています」
と書いた。その漱石も同じ年の12月には死んでゆく。

                                        • -

上田敏 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%95%8F&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=TInXTPnCBoGGvAP_-831CQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CD0QsAQwAw