じじぃの「夢のお告げ」考

Benzene Resonance with Pi-bonds 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bSLxoX27Gt4&feature=related
夢のお告げ? 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1gqgY09i-Vg
『科学では説明がつかない 恐ろしく奇っ怪な話』 運命の謎を探る会/編集 河出書房新社 2010発行
夢のお告げ−大発明の数々は、こうして生まれた!
"夢のお告げ"というと、民話や童話のなかでよく出てくる。正直者のおじいさんがある日、"夢のお告げ"にしたがって指示された場所を掘ったところ、金貨がザクザク出てきた−−なんて話がおなじみのパターンだが、これはおとぎ話の世界にだけある話ではない。歴史的な大発明のなかには、この"夢のお告げ"がもたらしたものが珍しくないのだ。
まずは、散弾銃の散弾。散弾をつくるための原理を発明したのは、蒸気機関車の発明者として知られるイギリスのワットだが、彼がみた夢は次のようなものだった。
雨のなかを歩いているワット。雨は激しく降っており、大地にはねかえっている。ところが、よくよく見ると、大地にはねかえった雨水は、いつの間にか鉛の弾に変わり、ポンポンと弾(はず)んでいるではないか・・・・。
この奇妙な夢を1週間も続けてみたワットは、ふと思い立って、鉛を鍋の中で溶かし、教会の塔から下の池にぶちまけてみた。すると液状化した鉛は、みな球状のバラ球となって固まっていた。これは、液体が落下すると球状の形に変化するという自然の原理によるもので、ワットはここから散弾をつくるヒントを得た。
次はベンゼン。染料や洗剤などに広く使われている強い臭いの液体だが、今から150年ほど前までは、それがどんな分子構造をしているのか、誰もわからなかった。
ドイツの化学者ケクレも、当時、その仕組みを解き明かそうとしていたひとりだった。しかし、原子の構成はわかっても、それらがどんなふうに結合しているのかどうしてもつかめず、日夜、研究とくり返していた。
そんなある夜、ケクレは夢をみた。無数の原子が長い列をつくり、蛇のようにからみ合いながらうごめいているのだ。
夢のなかのケクレは、こうした夢をしばしばみていることを思い出し、何か意味があるに違いないと、その原子の列をじっと観察することにした。と、突然1匹の蛇が現れるや、自分の尾をくわえて環に、ケクレのまわりをぐるぐる旋回しはじめるではないか。
「環、環・・・・そうだ、これだ!」
天啓をうけたように目を覚ましたケクレは、さっそく机に向かった。そして、6個の炭素原子が互いに結び付いて環をつくる「ベンゼン環」の分子構造を史上初めて明らかにしたのである。
最後はミシン。アメリカ・マサチューセッツ州で、織物工場の機械区長をしていたエリアス・ハウ。彼は、ある日、「ミシンという新しい機械が発明されたら、ものすごいビジネスになる」という話を誰からともなく聞いた。何日もその仕組みを考えていた彼は、ある夜、次のような夢をみた。彼は南海の孤島で、先住民に追いかけられていた。必死に逃げるハウに、先住民たちは槍(やり)を投げつけてくる。そのうち、1本の槍が目の前の木に突き刺さった。が、どうもその槍は不思議な形をしている。よくよく見ると、槍の先に穴が空いているのだ。
目が覚めたハウは、さっそく夢をヒントに先端部に穴のあいた張りを試作した。そして今日のミシンの原型を完成させたのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『科学では説明がつかない 恐ろしく奇っ怪な話』を見ていたら「夢のお告げ−大発明の数々は、こうして生まれた!」があった。
夢のお告げの大発明の例としてワットの散弾銃の発明、ケクレのベンゼン環の分子構造解明、ハウのミシンの発明が挙げられている。
ケクレのベンゼン環で思い出した。
ノーベル委員会は2010年のノーベル化学賞根岸英一(米パデュー大学)、鈴木章北海道大学)、リチャード・F・ヘック(米デラウェア大学)の3氏に授与すると発表した。
クロスカップリング(2つのものを結合させる)反応に関する研究が評価されての受賞だった。
鈴木教授は受賞の喜びで盛んにセレンディピティ(幸運の発見)を口に出しておられた。
「チャンスは、研究者だけではなく、誰にもある。そのチャンスをうまい具合に利用するか、どこが不明なのか、新しいということはどのようなことか、それを一生懸命努力する。そのような対応があれば誰にでもセレンディピティに出会うことができる」
凡人が夢のお告げでベンゼン環が出てくるわけがない。また、凡人が幸運の発見でペニシリンを見つけるわけがない。
しかし、人間は何らかの夢をもって生きている。(じじばばには夢がないが)
夢があるということは努力することだ。
競輪の穴、競馬の穴、その他の穴狙いだって、努力によって穴が的中するかもしれない。それが夢のお告げになって表れてもおかしくない。
凡人にも夢のお告げや幸運の発見でチャンスはある。あることはあるのである。ホントかな。