じじぃの「人の生きざま_44_小柴・昌俊」

小柴昌俊 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E6%9F%B4%E6%98%8C%E4%BF%8A/465/
1_ ニュートリノこの不思議な粒子 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=F_YD03eDwS4
スーパーカミオカンデ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Ck5HPdocedw
ノーベル物理学賞梶田隆章氏ら2人 ニュートリノ研究 2015年10月6日 朝日新聞デジタル
スウェーデン王立科学アカデミーは6日、今年のノーベル物理学賞を、東京大宇宙線研究所長の梶田隆章教授(56)ら2氏に贈ると発表した。梶田さんは岐阜県にある装置「スーパーカミオカンデ」で素粒子ニュートリノを観測、「ニュートリノ振動」という現象を初めてとらえ、重さ(質量)がないとされていたニュートリノに重さがあることを証明した。宇宙の成り立ちや物質の起源を解明するのに大きな影響を与えた。
http://www.asahi.com/articles/ASH9W5WBNH9WULBJ006.html
プレミアム8 「小柴昌俊 本気になれば夢はかなう」 2010年10月21日 NHK HI
【語り】上田早苗
2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん。しかしこれまでの道のりは常に挫折の連続だったという。持ち前の負けん気と粘りで切り開いてきた人生を語る。
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20101021-10-03297
小柴昌俊 ウィキペディアWikipedia)より
小柴昌俊(こしばまさとし、1926年9月19日 - )は、日本の物理学者。2002年「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞。素粒子物理学宇宙線物理学の分野で多大な業績を上げた。日本学士院会員。息子は香川大学工学部教授で材料物理工学者の小柴俊。
1926年、愛知県豊橋市に生まれる 父は陸軍歩兵大佐小柴俊男。
【人物】
自らを「変人学者」「東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれ」と称し、「現場主義の研究者」としての立場を貫いている。また、後進の教育・指導にも手腕を発揮し、「私の研究を受け継いだ者の中からノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者があと2人は出るであろう」と発言、注目を浴びている。
旧制第一高等学校時代は落ちこぼれで成績が悪かった。旧制高校の風呂場裏で(当時の旧制高校は全寮制)「小柴は成績が悪いから(東大へ進学しても)インド哲学科くらいしか入れない」と話す教師の雑談を聞いてしまい一念発起、寮の同室の同級生(朽津耕三(現・東京大学化学科名誉教授))を家庭教師に物理の猛勉強を始め東大物理学科へ入学した。小柴が「やれば、できる」と言う由縁は自らの体験から生まれたものである。
東大物理学科でも成績は悪かったが朝永振一郎に推薦状を貰いアメリカ合衆国ロチェスター大学博士課程へ留学。ロチェスター大学では留学生手当てが少なく生活が苦しかったが、博士号(Ph.D.)を取得し博士研究員として大学に在籍すると給与が倍増されると聞き、1年8ヵ月で博士号を取得した。1年8ヵ月での博士号取得はロチェスター大学での最短記録であり、この記録は現在でも破られていない。
【受賞歴】
・2002年 - 「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」により、レイモンド・デイビスと共にノーベル物理学賞を受賞。ニュートリノ天文学という新しい学問分野を開拓した。

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【この道】連載 小柴昌俊 2009/1/7 東京新聞夕刊  (一部抜粋しています)
アメリカのIMBグループは、カミオカンデのデータを基に観測結果を調べ直して、超新星ニュートリノの信号を見つけることができた。
ところがIMBの若い研究者が私の自宅に国際電話をかけてきて、「われわれがカミオカンデより先に信号を見つけた」というようなことを言う。
それで、私は電話口でその男にこう言ってやった。
「何を言っているんだ。こちらの論文の要旨がどういう経路でそっちに伝わり、その時刻で探して信号を見つけたことも、オレには全部わかっている。バカなことを言うと恥をかくぞ」。
それから30分ほどして、今度はIMBのボス格のひとりであるフレッド(フレデリック・ライネル米カルフォルニアアーバイン校教授)がグループミーティング中に電話をかけてきた。
フレッドは「バカなことを言うヤツがいて不愉快な思いをさせて悪かった。われわれの論文の最後にこういう文章をつけるから了承してくれ」と言って、IMBメンバー全員がいる前でこんな文章を読み上げた。
「われわれはモンブランの発表した時間で信号を調べたけれども信号はなかった。その後、カミオカンデの時間がわかったので調べたら信号が見つかった」。
私は「それでいいよ」と答えた。
フレッドはまともな男で、一流の科学者だ。
原子炉から出るニュートリノの観測に世界で初めて成功し、1995年にノーベル賞を受賞している。
私たちはアメリ物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」に論文を出し、89年3月9日に文部省(当時)で記者会見して観測結果を公表した。

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小柴昌俊の言葉
「運がいいなんてありえない。チャンスは周到な準備をした者だけにやってくる」
アインシュタインがどんなに偉くても、モーツァルトのように人々に喜びを直接伝えることができなかった」

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