じじぃの「人の死にざま_406_瑳峨・三」

山田五十鈴さん逝く 95歳、最後まで女優貫く (追加) 2012/7/11 スポーツ報知
「ベルさん」の愛称で親しまれた女優の山田五十鈴さん(本名・山田美津)が9日午後7時55分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。95歳だった。
女優として誠実に生きた一方で、プライベートでは“恋多き女”として世間を騒がせた。最初の結婚相手だった俳優の月田一郎との間に生まれた女優・嵯峨三智子さんは、92年に旅行先のタイで急死。その際には、危篤になったとの知らせにも「自分が座長を務める舞台のけいこは休めない」と舞台に上がった。
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120711-OHT1T00006.htm
瑳峨三智子 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E7%91%B3%E5%B3%A8%E4%B8%89%E6%99%BA%E5%AD%90/91390/
河内音頭 勝新太郎 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9OfMD9uksP4
瑳峨三智子 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
瑳峨三智子(さがみちこ、1935年3月1日-1992年8月19日)は、女優。俳優・月田一郎と女優・山田五十鈴との間の一人娘。京都府京都市出身。相模女子大学文学部中退。
【来歴・人物】
1952年9月、東映に入社し、嵯峨美智子(後に瑳峨三智子に改名)の芸名で女優デビュー。デビュー後、既に離婚していた母・五十鈴と十数年ぶりに対面したが、しばらくの間、母を「山田さん」と呼んで周囲を驚かせたといわれる。1956年に松竹移籍。母・五十鈴譲りの妖艶な色気と演技力で人気を得た。1962年、俳優の岡田眞澄と婚約したが、結婚に至らず2年後に解消。その後、金銭トラブルや薬物中毒などたびたびトラブルを起こし、芸能界復帰と失踪を何度も繰り返した。俳優の森美樹とのラブロマンスもあったが、ガス中毒による彼の急死により悲劇となった。
1992年8月19日、滞在先のタイのバンコククモ膜下出血のため死去。57歳没。
瀬戸内晴美の小説『女優』は、瑳峨をモデルにした作品である。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
8月19日−瑳峨三智子 (女優・57歳)
名女優山田五十鈴の一人娘として知られた。
高2の時に東映に入社。チャンバラ映画全盛の折、「旗本退屈男、八百八丁罷り通る」でデビューを飾り、1960年の「こつまなんきん」や1862年の「恋や恋なすな恋」でその存在感を示した。
死は突然やって来た。旅先のタイで突如としてクモ膜下出血に襲われ、絶命したのである。
娘の訃報が母の下に届けられた時、この母は公演直前「愛染め高尾」の稽古中だったことから駈けつけもしなかった。そして、山田五十鈴はきっぱりと言ったという。「私は両親の死目にもあっていません。これが女優なんです」

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