じじぃの「人の死にざま_397_中谷・宇吉郎」

中谷宇吉郎 - あのひと検索 SPYSEE
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雪の結晶 01 「ハイビジョン映像素材/Vermoo」 動画 YouTube
http://il.youtube.com/watch?v=tkxCTptEMDM&feature=related
世界初 雪の結晶を作る HOKUDAI Only One! No.22 動画 YouTube
http://il.youtube.com/watch?v=z861Yxzvmeo&feature=related
雪は天から送られた手紙 中谷宇吉郎 雪の科学館トップページ
http://www.kagashi-ss.co.jp/yuki-mus/
中谷宇吉郎 ウィキペディアWikipedia) より
中谷宇吉郎は日本の物理学者、随筆家である。理学博士。元北海道大学教授。
【人物】
石川県加賀市出身。旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)を経て1922年(大正11年)、第四高等学校を卒業し東京帝国大学理学部物理学科に入学。寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。卒業後は理化学研究所で寺田研究室の助手となった。
ロンドン留学の後、1930年(昭和5年)に北海道帝国大学理学部助教授となる。1931年(昭和6年)に京都帝国大学にて理学博士号を受ける。教授となった1932年(昭和7年)ころから雪の結晶の研究を始め、1936年(昭和11年)3月12日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功。気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。
1948年(昭和23年)には日本映画社の協力により科学映画『霜の華』、『大雪山の雪』を完成させ、この時の日映側のスタッフだった吉野馨治、小口禎三らと共にその翌年、中谷研究室プロダクション(岩波映画製作所の前身)を設立。1962年(昭和37年)4月11日、前立腺ガンのため死去。享年61。

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ケプラー予想 ジョージ・G・スピーロ/著 青木薫/翻訳)  新潮社 2005年発行
12球のパズル ケプラー予想の誕生 (一部抜粋しています)
雪の結晶はなぜ六角形なのだろうか? ケプラーは2つの理由が考えられると述べた。第1に、円を六角形に配置したものは、平面上での円の最密充填になっていること。第2に、六角形は平面を隙間なく敷き詰める形であることだ。しかし第1の理由は完全に的はずれである−−それが正解なら面白かっただろうが。あいにく雪の結晶の形は、二次元の最密充填とは何の関係もないのである。しかしこれから見ていくように、2番目の理由にはいくらか根拠がある。
ケプラーが友人であるヴァッカー・フォン・ヴァッケンフェルスへの新年の送り者を発表してから4半世紀後、フランスの数学者にして哲学者でもあるルネ・デカルト(1596〜1650年)が雪の結晶を詳しく調べた。デカルトは、「それは・・・・氷の小さい薄片で、・・・・完全な六角形をしており、その六辺はまっすぐで、六つの角は相等しく、これ以上正確なものは人間には作れないと思われるほどであった」と述べた。それから20年後、実験家であるロバート・フック(1635〜1703年)はさらにその先を行った。フックは単に肉眼で小さなスケールの自然界を観察しただけでなく、研究者人生をつぎ込んで、当時としては最新式の装置であった顕微鏡のレンズの下、じっとしていてくれるものはなんであれ手あたりしだいに観察したのである。雪の結晶がそんな彼の好奇心を逃れるわけもなく、ベストセラーとなった『ミクログラフィア』(1665年)には、肉眼による多数のスケッチとともに、顕微鏡で結晶を捉えようとする試みも記録されている。
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太平洋の向こう側では日本の原子核物理学者、中谷宇吉郎が、雪の結晶について初めて系統的な研究を行っていた。中谷は北海道帝国大学の教授に招かれたのだが、その仕事を物足りなく感じていた。なにしろ北海道では、原子物理学の研究など行われていなかったからである。ほかに面白そうな分野を探さざるをえなくなった彼が注目したのが、ローテクな設備でも研究できる雪だった。中谷は、よく制御された実験環境のもとで人工的に雪の結晶を成長させ、まもなく雪の結晶には2つとして同じものはないことを確認した。そして彼は雪の形状を分類することに成功し、さらには雪の結晶の形と気象条件とを関係づける「中谷ダイアグラム」を作り上げたのだ。

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『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
中谷宇吉郎 『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫 科学研究のおもしろさ 論理的思考の大切さを洒脱な文章で語る 【執筆者】渡辺政隆 (一部抜粋しています)
実験物理学者にして雪氷学のパイオニアだった中谷宇吉郎は、書画の心得もあり、「雪は天から送られた手紙である」という文句を好んで揮毫した。この言葉は、1938年に創刊された岩波新書20点のうちの1冊として出版された『雪』(現在は岩波文庫所収)の末尾にある、「このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る」に由来している。その意味は、地上に舞い降りてきた雪の結晶を観察すれば、その雪が形成された上空の気象条件が類推できるというものだ。その理屈から、中谷は、実験室で再現したさまざまな気象条件の中で人工雪をつくる研究を行った。
と書くと、いかにも律儀な研究者と聞こえるが、「雪雑記」と題された随筆では、「しかし実のところは、いろいろな種類の雪の結晶を勝手に作ってみることが、一番の楽しみなのである」と書いている。おもしろいから研究をするというこの精神が、世界初の人工雪づくりの成功につながったのだ。
中谷はまた、科学的、論理的な思考の大切さを随筆で繰り返し説いている。その代表的な随筆が「立春の卵」だろう。立春の日だけは卵が立つという俗説を検証もせずに鵜呑みにすることの愚かさを説いたこの随筆の論旨は、未だに鮮度を失っていない。研究の楽しさを説くと同時に非科学的であることの愚を告発するその姿勢は、研究者が実践するサイエンスライティングのお手本というべきものだろう。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
中谷宇吉郎 (1900-1962) 61歳で死亡。 (一部抜粋しています)
「こんな雪の研究が一体何の役に立つのかといわれれば、まだ自分にも何ら確信はない。しかし面白いことは随分面白いと自分では思っている。世の中には面白くさえもないものが沢山あるのだから、こんな研究も一つくらいはあっても良いだろう」
                                 ――中谷宇吉郎――
はじめて人口の雪の結晶を作ることに成功し、「雪と氷の博士」で知られた物理学者中谷宇吉郎は、昭和32年から「氷冠」の研究のために何度かグリーンランドに渡ったが、昭和35年の最後のグリーンランド行きも、身体の変調を知りながら、やはり出掛けていったものであった。
その旅行から帰ったとき、彼は異常に痩せ、好物の酒も飲めなくなっていた。東大で診断の結果、前立腺ガンに冒されていることが判明し、手術を受けた。しかしガン細胞はすでに骨髄に転移していた。
友人の茅誠司は書く。
「それから一年有余の中(うち)に、この骨髄を犯したガンの細胞は、次々と身体中の骨髄の中へと拡がってこれを蝕(むしば)んでゆき、造血機能を衰えさせて行ったのである。そして事実彼の身体を解剖した結果、その骨髄は殆ど無くなっていたとのことである。
自宅で輸血を続けながら、病床に横たわっていあた彼を見た武見(太郎)博士に『君の身体は、もう血が作れなくなっているんだよ』と言われた時、彼は愕然として死の近いことを知った。
再度東大病院に入る為に家を去る時は、庭の一木一草をも喰入るように眺めていったとのことだった」
中谷が息を引きとったのは、昭和37年4月11日のことである。茅はいう。
「その死の直前に何かもの言いたげに口を動かしているので、静子夫人がその口もとに耳をよせて『何ですか』ときくと、彼は小さな声で『誰にもよくしてあげるんだよ』と言ったという」 (茅誠司『忘れ得ぬ雪の科学者・生涯の友、中谷宇吉郎のこと』)

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中谷宇吉郎 Google 検索
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