じじぃの「人の死にざま_392_武見・太」

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武見太郎 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
武見太郎は日本の医師。日本医師会会長(1957年-1982年)。世界医師会会長(1975年)。東海大学教授・自由民主党参議院議員武見敬三は息子。
【年譜】
・1904年8月7日、京都府に武見可質・初夫妻の長男として誕生。武見家はもと新潟県長岡市出身という。生後まもなく東京の上野桜木町に転居。私立開成学園中学校へ入学。3年のとき腎臓結核となり療養中に法華経などに親しむ。
・1930年に慶應義塾大学医学部を卒業、内科学教室に入るが、教授との折り合いが悪く退職する。
・1938年に理化学研究所入りし、仁科芳雄の指導の下、放射線が人体に与える影響を研究する。
・1939年、研究活動の傍ら、銀座に武見診療所を開業。開業医として生計を立てながら政財界の要人とも交わる。
・1957年4月、日本医師会会長に就任(連続13選)。
・1961年2月、医師会、歯科医師会の全国一斉休診実施。「喧嘩太郎」の異名をとる。
・1975年、世界医師会会長に就任。
・1983年12月20日、胆管がんのため死去。

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『日本国怪物列伝 』 福田和也/著 角川春樹事務所 2009年発行
武見太郎−−行政と対峙して一歩も引かなかった日本医師会のドン (一部抜粋しています)
医師にして政治家、閣僚として辣腕(らつわん)をふるったものは、後藤新平以下何人かいるけれど、医師として世間の前面に出て、権勢を思うさまふるったのは、武見太郎ぐらいのものではなかったか。この点、不可思議のようで、納得できるところがあるのは、医師という職業の特殊性のためだろう。弁護士が、人の、社会的生命を左右する存在であるとするならば、医者は、より直截(ちょくせつ)に、人の生命、この現正における存在を掌中におさめている。いかなる権力者、富豪といえども、医師の力を借りなければ、その権力や富を行使し続けることはできない。
その点、医師は、圧倒的な影響力をあまねくもっているのだが、それがゆえにこそ、つまりはその力が致命的であるからこそ、人はその力を誇示することを好まない。健康が大事、命が大事だということは、人類普遍の真実であるからこそ、その急所をにぎっている人びとが居丈高であったり、強権的であることを恐れ、嫌(いと)う。「医は忍術」という言い回しは、そうした世間の怯(おび)えにたいする、医師の側からの答礼のようなものだろう。その内実がどのようなものであるかは別にして。
ところが、武見太郎は、その致命的な影響力を、あからさまに誇示し、社会に、国家にたちはだかったのである。
彼が恐れられ、怖がられたのも、当然だろう。
杉森久英は、「戦後、日本の角界で活躍する人物のうち、武見太郎ほど評判の悪い男はいないだろう」と書いているが、それもこれも、医師が絶大な力をもっているからこそ、したことがないようなあからさまな力の行使をしてみせたからだろう。
武見の事跡のなかで、もっとも世間を驚かしたのは、昭和46年7月の保険医総辞退である。若い読者は、病院にいって、一切保険がきかない、全額現金払いという状態が、全国一律に実地された場合の混乱を考えてほしい。それを武見はやってのけたのである。まさしく「医者のゼネスト」であり、生死にかかわる病人から、風邪になやむ健常人までが、医療保険の保護を失ったのである。
もちろん、武見とて、このような荒業を、自らの力を誇示するためだけに行ったわけではない。昭和32年日本医師会会長に就任して以来の、厚生省との激しい争いの結果として引き起こされたものであった。戦後、福祉国家へと日本が変貌していく過程で、厚生省は国民皆保険の旗幟(きし)のもとで、医師への統制につとめ、医療全体を国家統制に置こうとし、それに真っ向からたちはだかったのが、武見ということになる。
武見は、厚生省にたいして、何度か保険医総辞退をちらつけせていたが、官庁も、政治家も、そして世間も、まさかそんな暴挙に踏み切るとは思っていなかった。
その被害の大きさから、国民的反発をうけるだろう、ということだけでなく、医師たち自身が患者がこないことによる経済損失、地域での信用失墜を覚悟しなければならない。この平穏な戦後日本で、どうしてそこまでやる必要があるのか、と考えるのが常識的な判断であるだろう。だが、武見はそれを挙行したのである。医師たちもまた、武見に従った。
実をいうと、世間でも、厚生省でも、医師会を見くびっていた。やるぞやるぞといっても、実際はやれまい。何しろ、医者がストをするということは、社会的に大問題である。その反響を考えたら、口先では強いことをいっても、いざとなったら踏み切れまいと思っていた。
しかし、武見はほんとうに総辞退へ踏み切った。多数の脱落者がで、組織が混乱するだろうという、一般の予想ははずれて、医師会全員の90パーセント、約7万の医者が参加して武見耐性を指示した。
総辞退に突入してからの医師会に対する風当たりは、相当強いものだった。新聞や週刊誌は、組織の末端の医者の童謡や疑惑の例をいくつかあげて、この闘争は長続きしないだろうという見通しを立てた。(中略)
こういうとき、武見太郎は決して、世間のご機嫌をとろうとしない。医師会が一斉休診戦術を発表したとき、新聞記者が、
「当日、風邪をひいた者は、誰に診(み)てもらうのです?」
と詰問(きつもん)したところ、彼は、
「こんなときに風邪をひく方がまちがっている」
と放言して、散々たたかれた。
「風邪ひらいで大さわぎするな」という言い方は、昔の軍隊なんかではしょっちゅうあったことだし、今だって、腹の中では思っている者も多いのだが、大勢の前ではいわないことになっている。それを平気でいうのが、武見である。  (杉森前掲書)
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かくして、武見は改正健保法を骨抜きにしたのである。
爾後(じご)、武見は、厚生省と対立しつづけ、そのたびに勝利しつづけた。
昭和36年には、一度、保険に総辞退の縁までいったが、時に自民党政調会長田中角栄が、武見の全要求をのみ、なんとか妥結している。
こうしたエピソードのすべてが、医師にたいしての世間の通念を裏切るものだろう。
「喧嘩(けんか)太郎」などと渾名(あだな)がつけられるという、その人物像にふさわしく、その人生もまた、圭角にことかかない。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
武見太郎 (1904-1983) 79歳で死亡。 (一部抜粋しています)
武見太郎は戦前から銀座の診療所に、鬼面人を驚かす「現役に大将、大臣、急患優先」の札をかかげ、一方で縁戚の吉田茂をはじめとする政財界人、一方で岩波書店につながる高名な文化人たちの主治医となった。本『図巻』中にも、岩波茂雄中谷宇吉郎河野一郎幸田露伴など、彼が死水をとった有名人は数多い。
しかし彼の名を有名にしたのは、それよりも昭和32年から25年間、日本医師会会長として君臨し、開業医を擁護して、保険医総辞退など横車を押し、歴代の厚生大臣をアホ、バカ、マヌケ呼ばわりして「武見天皇」「喧嘩太郎」の異名をとった、傍若無人な剛腹さであった。その結果、開業医の収入72パーセントには税金がかからないなどのいわゆる医師優遇税制を成就したが、そのため、財を積むことのみ集中する医者たちを生み出して、その功罪は相半ばする。
その武見も、76歳の昭和55年春ごろから腰痛を訴え、5月に入院し、開腹手術を受けるに至った。彼は「名医」として定期検診による病気の早期発見をモットーにしていたくせに、彼自身はそれまで人間ドックにはいったこともなければ、定期検診をを受けたこともなかった。
手術の麻酔からさめると、彼は「おれはガンではなかったのかね」ときいた。手術した院長は、「いや、出血性ポリープ(良性腫瘍)でした。よかったですね」と、答えた。
しかし、それは胃ガンであった。
手術後しばらく小康を保ったかに見えたが、秋になって黄疸(おうだん)症状が起り、築地がんセンターで再手術を受けた。
「自費診療」で有名な武見太郎であったが、自分のときは保険証を持っていった。
ガンは総胆管に転移していることが判明したが、それは本人に知られていなかった。
しかし、わがままな患者で。まずい病院食には抵抗し、「自分の好みに合った食事をとる自由は、もっと寛大に病人に許されなければならない」といって家から御馳走をとり寄せた。また、歩行が禁じられている時期に、勝手に病院の廊下を歩きまわり、看護婦が「許可があったのですか」ときくと、「おれが許可したんだ」といった。漢方薬を掌一杯に飲んだりして、「医者のいうことは神様のねごとだと思え」といった。
この再手術後、しばらく健康をとり戻したかに思われたが、昭和58年夏ごろからまた衰弱が甚だしくなり、11月下旬母校の慶応病院に入院したが、たった一晩で帰宅した。
彼は「老人には在宅治療が最高だよ」といい、また「入院してみて、はじめて病人は弱いものだということがわかったよ」といった。
しかし12月18日、また容態が悪化して再入院し、20日午前零時50分に死んだ。死後解剖してみるとガンは肝臓膵臓にひろがり、背骨にまで及んでいた。

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