じじぃの「未解決ファイル_122_ヒト進化とあおむけ」

アユムが木の枝でベッドを作り、その上に寝転がっています 動画 YouTube
http://il.youtube.com/watch?v=pmg4nlwZJF0&feature=related
Walk Like a Man II: Meet Mahale 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TcFyT5wiPYk
AERAが伝えた20年」第一部:松沢哲郎教授 (2/2) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LrswjQgMqxI
『人間とは何か――チンパンジー研究から見えてきたこと』 松沢哲郎/著、編集 岩波書店 2010年発行
あおむけの姿勢が人間を進化させた (一部抜粋しています)
あおむけの姿勢が人間を進化させた、といってもよいだろう。あおむけに寝かされる途、人間以外の霊長類なら起き上がり反射で寝返るか、四肢をぱたつかせてもがく。チンパンジーのあかんぼうをあおむけにすると、手足を中空に伸ばしてゆっくりともがく。しがみつこうとしているのだ。あおむけの姿勢で安定しているのは人間のあかんぼうだけである。
「直立二足歩行」ではなくて「あおむけの姿勢」こそ、人間を特徴づけている。四足の動物が立ち上がって二足で歩くようになって人間ができた、というような理解をよく耳にする。立ち上がったので手が歩行から自由になり、その手で物を操るようになり、道具を使えるようになった、という話である。しかし、これは正しくない。
人間は、4つの手をもち樹上生活をしていた祖先から、地上に降りて歩くことが多くなった。森を出て、近隣のサバンナに生活の場所を広げたからだ。つまり、四手類の中で、人間は4つの手から2本の「足」を生み出したのである。
そして、あおむけにされたあかんぼうに、微笑みかけ、手を振ってあやし、声をかける。母親だけでなく、父親や、祖父母や兄姉や叔母がのぞきこむ。人間の子どもは親や仲間との対面コミュニケーションで育まれる。子どもの顔をのぞきこむ。微笑む。微笑み返す。見つめあう。親子の体と体が離れているので、子どもは泣き声で親を呼び、親は遠くからでも子どもに声をかける。
そしてあおむけの姿勢こそが、両手を自由にさせた。1歳ころに立ち上がってようやく手が自由になるのではない。人間のあかんぼうは、背中が体重を支えているので、生まれながらにして手が自由だ。チンパンジーニホンザルのあかんぼうはあおむけの姿勢では安定しない。四肢を動かし、なんとかしがみつこうともがく。人間のあかんぼうは、それ以外の霊長類と比較して、生まれてすぐに手で物を操るようになる。ガラガラやおしゃぶりを握り、口を介してもちかえる。人間を特徴づける多様な道具使用の出発点である。
人間のあかんぼうは、あおむけの姿勢で安定している。そこから、対面コミュニカーションや、発話や、道具が生まれた。人間の進化は「あおむけの姿勢」に由来している。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館から、松沢哲郎著『人間とは何か――チンパンジー研究から見えてきたこと』を借りてきた。
ときどき、天才チンパンジー「アイ」と息子の「アユム」をテレビで見ることがある。
その育ての親である京大霊長類研究所の研究所長である松沢先生が「アイ」とか、息子の「アユム」の観察記録をまとめたような本になっている。
パラパラめくったら「あおむけの姿勢が人間を進化させた」という記述があった。
「あおむけの姿勢が人間を進化させた」とは初めて聞く説だ。
チンパンジーでもキスをするように、チンパンジーがあおむけに寝てもおかしくない。ときどき、デブの猫があおむけで寝ているのがテレビに出てくる。
この本に書かれているようにチンパンジーの子どもは常に母親の体にくっついている。しかし、人間の場合は子ども(あかんぼう)は母親と距離を置いたところに置かされる。
あかんぼうが母親を必要とするときは泣けばいい。呼ばれた母親はあかんぼうの顔を覗きこみ、どんな具合なのか様子を見る。このときのあかんぼうの姿勢があおむけなのだ。
あかんぼうは母親と離れている間、自由なのだ。歩けない間は自由になるのは手以外にない。手で母親の乳房をまさぐり、母親から渡された物を手を介して口に運ぶ。
そして、はいまわり、立って歩けるようになる。
「直立二足歩行が人間を進化させた」ではなく、「あおむけの姿勢が人間を進化させた」のだ。
あかんぼうを覗きこむのは母親とは限らない。寿命が長くなったおばあさんが覗きこむこともあっただろう。おばあさんがあかんぼうをあやす。「よし、よし」とあやしたら、「うんばばぁ」と返し、おばあさんの顔を手でまさぐり、その手の指を鼻に入れ指を口に運んだ、かどうかは知らない。