じじぃの「人の死にざま_387_ヴィルヘルム・グリム(童話・弟)」

ヴィルヘルム・グリム - あのひと検索 SPYSEE
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Lotte Reiniger - Hansel and Gretel 動画 YouTube
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Grimms Marchen - Rumpelstilzchen 1/2 動画 YouTube
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絶対迷宮グリム〜七つの鍵と楽園の乙女〜 OP ヴィルヘルムver 動画 YouTube
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ヴィルヘルム・グリム ウィキペディアWikipedia)より
ヴィルヘルム・(カール)・グリムは、ハーナウの生まれのドイツの言語学者で、文学者、並びに童話、伝承の収集者。彼の生涯と業績は、年長の兄弟ヤーコプ・グリムと密接に関係し、しばしばグリム兄弟として合わせて語られることが多い。
【生涯】
1814年-1829年、グリムは、カッセルの図書館に司書として採用され、1825年には、ヘンリエッタ・ドロセア・ヴィルドと結婚した。 1831年彼は、ゲッティンゲン大学図書館の司書に採用される。1835年、同大学で員外教授となる。ゲッティンゲン7教授事件(1837年)で抗議文書に共に署名したことを受けて、彼は兄ともども、その職を追われることになる。プロイセン国王ヴィルヘルム4世が、1841年2人をベルリンに招き、そのまま2人はそこで暮らすことになる。 同年、2人はプロイセン学士院の会員に推挙される。ヴィルヘルム・グリムは、その死まで18年間フンボルト大学で教鞭をとり、そこで兄と共に彼らのドイツ語辞典の編纂の仕事に携わった。 兄と共にやる仕事の傍ら、ヴィルヘルムは、中世の詩歌、ドイツの英雄譚やルーン文字の研究に没頭した。 兄と共同の仕事では、ゲルマン語の古典文献学、ゲルマン語学やドイツ語文献学などの基礎を築いた。彼らの名を一躍有名にしたのは、『グリム兄弟の子どもと家庭の童話』Kinder- und Hausmarchen(グリム童話集、全2巻、1812年-1815年)である。この編集作業には、ヴィルヘルムの係わった部分が大きい。またドイツ語辞典(1838年- 、第1巻は1854年刊行)の作業を通して、彼は友人アヒム・フォン・アルニムの著作の編纂も行うことになった。 ヴィルヘルム・グリムは、更に古代デンマークの英雄譚、英雄叙事詩、物語詩、さらに昔話も出版している。
ベルリンの学士院は、1860年次のような弔辞を公表した。 「先月の16日、本学士院会員で、ドイツの言語研究者でドイツの伝承、文学の収集者として輝かしい名声を博したヴィルヘルム・グリムが、亡くなった。ドイツ民族は、彼をその兄ヤーコプと共に思い浮かべ、口にするのが常である。一部の人々は、尊敬と敬愛を持ってグリム兄弟として合わせ呼ぶものもあるだろう。彼らはほぼ半世紀もの間共に手を携え、精励してきた。」

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
グリム・弟 (1786-1859) 73歳で死亡。 (一部抜粋しています)
ヘンデルとグレーテル』 『赤ずきん』 『灰かぶり姫』 『白雪姫』 『狼と七匹の子やぎ』などで知られるグリム童話集は、このヴィルヘルム・グリムが兄のヤーコプ・グリムと共同でとりくんだ古代ドイツの法律、言語学民俗学の研究の一環として蒐集したドイツ民話集に過ぎない。
小柄で、痩せ気味で、男性的で剛毅な兄のヤーコプとは正反対に、彼は大柄で、ふくよかで、やさしい性格の持ち主であったが、生涯兄と一体のごとく協力し合い、超人的大著『ドイツ語辞典』の完成に一生を費やした。
ヴィルヘルムの最後の年、8歳ぐらいの女の子がグリムの家のベルを鳴らした。74歳の老ヤーコブが逢うと、「おもしろいお話をお書きになったのはおじさまですか」と、少女はいった。「そうです、私と弟が書いたのです」とヤーコブが答えると、「それじゃ『利口な仕立屋』のお話をお書きになったのね。おしまいに、このお話をほんとと思わないひとは、1ターラー(銀貨)払いなさい、と書いてあるお話よ」と、少女はいった。「それは弟が書いたのです」とヤーコブはいって、弟のヴィルヘルムのところへ連れていった。少女はグリム童話集の中の『利口な仕立屋』を朗読し、「このお話はほんとうとは思えないわ。だからあたしは、おじさまに1ターラーを払わなくちゃなりません。でも、あたし、そんなにお小遣いをもらえないから、一ぺんに払えません。きょう1グロッシェン(銅貨)だけ払います」と、小さい財布から銅貨を出して、ヴィルヘルムにおしつけて帰っていった。(高橋健二『グリム兄弟』より)
ヴィルヘルム・グリムは元来心臓が悪かったが、この1859年初冬、背中に疔(ちょう)をわずらい、いったんは危機を乗りこえたかに見え、「自分はまだすることがたくさんあるのだ」といって原稿用紙を注文したりしたが、その後悪化して、12月16日、ベルリンの自宅で、ヤーコブに呼吸を数えられながら息をひきとった。
ヤーコブは、「私の半身が死んだ」といって落涙した。その勤勉で温雅で質実な性格や生活から、日常においては童話的なところは全然ない兄弟であったが、この稀有(けう)な兄弟愛こそ童話的であった。

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