じじぃの「人の死にざま_381_スターリン」

ヨシフ・スターリン - あのひと検索 SPYSEE
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第2次大戦への道(1933-1939) - ソビエト(ソ連) 2 of 4 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=e1f3_-mRDZ4&feature=related
アンジェイ・ワイダ:「カティンの森」(1)  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1Ryenfa7RjM
ヨシフ・スターリン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヨシフ・スターリンは、ソビエト連邦の政治家で、同国の第2代最高指導者。
人民委員会議議長(首相に相当)や国防大臣などの役職を歴任したほか、1922年から死去する1953年までソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めた。
【概要】
党内での昇進を経て、ソ連の最高指導者(国家元首に就任したことはない)となってからは、レーニン主義の原理を基礎とした政治を確立し、一国社会主義論に立脚した統治を行うようになった。批評家は、スターリンの統治が独裁者特有のものであり、その政治形態をスターリニズムと呼ぶ。一方で、これらの非難は曲解や誇張であると否定する者もおり、現在でも未だに論争が続いている人物の1人である。
ウラジーミル・レーニンの死後、レフ・トロツキーら他の党員との権力闘争に勝利しトロツキー共産党から除名し、さらに国外追放した(トロツキーは後に亡命先のメキシコで暗殺された)。党員名簿と経理を掌握することで実権を握り、のちの強大な権力の地盤を築いた。1921年に施行された新経済政策(ネップ)を、1928年に第一次五ヶ年計画に替えたことでソ連は急速な工業化と経済成長を見せた。しかしながら、スターリンはおよそ同時期の集団農場促進の取り組みや、一部が完全な失敗に終わったと論ぜられる新しい農業政策に乗り出し、ソ連内で続いた干ばつと飢饉によって数百万人の死者を出した。この飢饉と数多くの犠牲者が出たことについて、反共主義者が書いた共産主義黒書(The Black Book of Communism)では、犠牲者は1000万人を超えると見ているが、スターリンを信奉するベルギーの歴史学者ルド・マルタン(Ludo Martens)とStefan Merlは、犠牲者は30万人と推定しているなど、依然として歴史的・政治的論争の議題となっている。主流の歴史学者からは、この重大な飢饉でソビエト人民約600万人が死亡したと信じられている。
1930年代の終わり頃には、党内の反対派や「反革命的」とみなした者を排除するために大粛清を実行。数多くの批評家が、スターリンは政敵の排除のために不当な逮捕や処刑を行い、政治的理由によって人民を強制収容所のグラグに収容したと述べている。ほかに「人民の敵」とみなした者を「粛清」と称して弾圧し、さらに無実の人間も含めて多数の人間を虐殺するなど過酷な抑圧政策を取ったことでも知られており、『赤いツァーリ』の称号で呼ばれることも多い。反対する者や政敵の粛清を経て実質的な最高指導者となり、独裁的な権力を振るった。同時代のアドルフ・ヒトラーや後年の毛沢東と並び、独裁者の典型例とされる。
第二次世界大戦
第二次世界大戦開戦直前の1939年8月19日、スターリンは演説でナチス・ドイツとのあいだに結ばれた独ソ不可侵条約に基づく政策転換を表明した。これ以降、ソ連イデオロギーの相違を超えてドイツとの協力関係を結んでゆく。その手始めが同年9月17日のポーランド侵攻であった。ソ連とドイツは協定の秘密議定書に基づき、ポーランドを東西分割し、これを併合したのである。ナチス・ドイツの侵攻で瀬死状態にあったポーランドは、これによってとどめを刺された。ソビエトの支配するポーランド東側の領土では、ナチスが支配するポーランド西側に優るとも劣らない圧制が行われた。
ポーランドソビエト戦争のおりに自身の面子を潰され、雪辱の機会を狙っていたスターリンポーランド軍捕虜2万5千人を処分するよう命令した。これがカティンの森事件である。後にドイツ軍により捕虜の遺体が発見されるもスターリンは一貫してこの事件をドイツ軍の捏造であると主張、戦後にはゲッベルスの日記などをでっち上げてこの虐殺をドイツ軍の仕業に見せかけている。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
権力闘争
1920年に発作に倒れたレーニン1924年に死亡し、後継者争いが起こった。グルジア人の書記長スターリンが政敵トロツキージノビエフカーメネフを倒して、3年後に勝利を手にした。
スターリンの勝利は党書記極における任用のコントロールと穏健な経済政策やロシア人の国民的自負への訴えによって得られた。彼は一国家社会主義を主張したが、政敵のトロツキーらは全世界に革命が起こらなければ、ロシア革命の成果は維持できないとする世界革命論者だった。この世界革命思想の失敗が、スターリンの勝利を決定した。トロツキーは1929年に国外追放され、のちに暗殺された。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
スターリン (1878-1953) 74歳で死亡。 (一部抜粋しています)
スターリンは1953年3月2日未明、脳溢血に襲われ、意識を失った。
3月2日の朝、モスクワの大学に授業に出ていた27歳になる娘のスベトラーナのもとへ、モスクワ西郊クンツェヴォにある父スターリンの別荘から、大至急来るようにという電話があった。
彼女は車で、クレムリンから約15キロのその別荘へ駆けつけた。
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ついで彼女は、この騒ぎの中でただ一人、政治警察の長官ベリアが、燃え出した権力欲を阿諛(あゆ)の仮面の下におしかくし、なんどもスターリンの病床をしげしげとのぞきこんでいた姿を書きとどめる。
「医師の診断によれば、父は意識を回復することがなかった。卒中の発作はきわめてはげしいもので、言語は失われ、右半身が麻痺状態だった。数回、父は目をあけたが。まなざしはかすんでいて、だれかの顔を見分けたかどうかさえ、知るすべがなかった。父が目をあけると、全員がそのそばに駆け寄って。彼のもらす一言をとらえ、せめては目の動きに彼の希望を読みとろうと必死になった。わたしは枕もとにすわって、父の手をにぎっていた。父の目は私のほうを向いていたが、おそらく何も見ることはできなかっただろう。わたしは父の唇に、父の手に接吻した。それ以上、わたしのできることは何もなかった。(中略)
父の死は苦しげな、恐ろしいものだった。(中略)
脳溢血は徐々に全中枢にひろがっていくものだが、心臓が強く、丈夫な場合には、それはゆっくりと呼吸中枢をおかし、人間は窒息のために死んでいく。呼吸はますます繁雑になっていった。最後の12時間には、酸素の欠乏が昂進していくのが、もうはっきりと見てとれた。顔が黒ずんで、人が変わったようになり、その輪郭からもしだいになじみの面影が消えていき、唇が黒くなった。最後の1、2時間は、要するに、人間がゆっくりと窒息していく過程だった。断末魔の苦悶は恐ろしいばかりだった。それは、みなの眼前で彼を絞め殺していった。ある瞬間に−−それが実際にあったことなのか、ただそう思えただけなのかはよくわからない−−たしか、もう最後の数分というときになって、父はふいに目をあけ、周囲に立っていた者たちをぐるりと見わたした。それは不気味なまなざしだった。狂気ともつかず、怒りともつかず、ただ死への恐怖と、自分の上にかがみこんでいる見知らぬ医師たちへの恐怖とにみたされたまなざし−−そのまなざしが、1分の何分の1かの間、ぐるりとみなを見わたしたのだった。そして、そのとき−−それは不可解な恐ろしいことで、わたしにはいまもって理解できないが、かといって忘れることもできない−−このとき、突然彼は左手を上にあげ(左手はそれまでも動いていた)、その手でどこか上のほうを指差すとも、わたしたち全員をおどしつけるともつかぬ身ぶりだった。そして、それがだれに、何かかかわるものだったのかは、知られぬままに終わった。・・・・つぎの瞬間、魂は、最後の努力をなし終えて、抜くタイから離れ去った」(『スベトラーナ回想録』 江川卓訳)
スターリンは3月4日夜2度目の卒中が心臓と呼吸器を冒(おか)し、3月5日午後9時半に死亡した。
彼の死は、神も超人でも鉄人でも天才でも悪魔でもない、通常の肉体を持った人間の通常の死にかたであった。しかし、それが彼の場合、異常であったといえる。
一方、亡命歴史学者アフトルハーノフによれば、スターリンはベリアが送りこんだ看護婦に麻酔薬をかがされ、失神したのち毒薬を注射されたのだというのだが。

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スターリン Google 検索
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