じじぃの「人の死にざま_377_M・ゴーリキー」

マクシム・ゴーリキー - あのひと検索 SPYSEE
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Russian poetry - Maxim Gorky - The Song of the Stormy Petrel, 1901 (old Russian orthography) 動画 YouTube
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マクシム・ゴーリキー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
マクシム・ゴーリキーはロシアの作家。本名はアレクセイ・マクシーモヴィチ・ペシコフ。社会主義レアリズムの手法の創始者であり、社会活動家でもあった。
【生涯】
1868年、ニジニ・ノヴゴロド(1932年から1990年までゴーリキー市と呼ばれていた)に家具職人の子として生まれる。母ワルワラを肺結核で亡くして10歳で孤児となった後、話が上手であった祖母に育てられる。祖母の死は彼を深く動揺させた。1887年の自殺未遂事件の後、ロシアの各地を職を転々としながら放浪する。
その後、地方新聞の記者となる。1892年にトビリシで、『カフカス』紙に最初の短編『マカル・チュドラ』が掲載され、はじめて筆名としてゴーリキーを名乗った。1895年、『チェルカシュ』を大衆雑誌『ロシアの富』に発表。1898年にはペテルブルクで短編集『記録と物語』を刊行し、一躍人気作家になった。1899年、散文詩『26と1』、最初の長編物語『フォマ・ゴルデーエフ』を発表。その名声はたちまちアントン・チェーホフレフ・トルストイと比されるまでになった。1902年、代表作である『どん底』を発表し、同年モスクワでコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出で上演され、翌1903年、ベルリンでも上演された。
1902年には科学アカデミーの名誉会員に選ばれるが、その急進的な政治的信条を理由にニコライ2世によって取り消された。この事件に対する抗議としてアントン・チェーホフとウラジミール・コロレンコがアカデミーを辞任している。1905年、ボリシェヴィキ組織に入り、レーニンの知己を得る。1905年から1907年までの革命には、ゴーリキーが巨額の援助をしたとされる。
1934年、セルゲイ・キーロフが死に、スターリンによる粛清が始まると、ゴーリキーは自宅に軟禁されるようになった。1935年、息子マクシム・ペシコフを亡くした翌年、1936年にモスクワで歿する。両者とも毒殺された疑いがあるが、確実なことは分かっていない。
どん底 あらすじ】
コストゥイリョフの妻ワシリーサは、夫から自由になることを画策する。ワシリーサは情夫ペーペルが、彼女の実妹ナターシャに惚れていることに目をつける。ナターシャは姉夫婦の家に居候していて、虐待を受けていた。夫を殺害すれば、妹と結婚させ300ルーブリを提供しようと申し出る。ナターシャは結婚することで虐待から逃れられることができ、ペーペル自身もコストゥイリョフに2度も牢屋に送らた仕返しをでき、ワシリーサは夫と別れることができ、皆が幸福になるという。ペーペルはワシリーサの誘惑にのり、コストゥイリョフを殺害する。ところが、ワシリーサはペーペルが殺したと訴える。騙されたと知ったペーペルはワシリーサを道連れにしようとし、ワシリーサから計画を持ち込まれたことをしゃべる。そうしてナターシャは姉と自分の夫となる人が、共謀して義兄を殺害したことを悟り、ワシリーサ・ペーペル・自分を牢屋に入れてくれという。
ペーペルとワシリーサは捕まり裁判にかけられ、ナターシャは病院から失踪してしまう。彼女たちの叔父のメドヴェージェフは警察を首になっていた。犯罪を犯さないものも、貧困という牢獄から抜け出すことを夢見ながらも、抜け出せない。誰一人幸福になることがなく、どん底にいる市民たちは、歌と酒だけを娯楽に日々の生活を送っていく。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
6月18日−マクシム・ゴーリキー (ロシア劇作家)
貧しい家具職人の子に生まれたゴーリキーは、幼い時に両親を失い、放浪する孤児となった。
皿洗いやパン屋の小僧など社会の底辺の中で1日14時間もの労働をして得るカネは月にして3ルーブルといったものだった。
それでもゴーリキーは生活に荒むことなく独学で勉強を重ねたという。
作家という仕事に学歴は無用だがそれでもインテリジェンスを要する職業柄、象牙の塔にこもった学術畑からの出身は少なくない。
しかし、一方に叩き上げ派も確実にいる。ゴーリキーはまぎれもない後者のタイプだ。
1902年、モスクワ芸術座で公演した彼の傑作『どん底』は記録的な大入りを呈した。
そして彼はソ連文学の父、或は社会主義リアリズムの祖とまで言われた。
"仕事が辛いと思う人にとってこの世は地獄であり、仕事が楽しいと思う人にとってこの世は天国である" このゴーリキーの言葉を私はずっと生活信条としている。
『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ゴーリキー (1868-1936) 68歳で死亡。 (一部抜粋しています)
どん底』で知られるロシアの文豪ゴーリキーは、1934年彼が66歳のとき、37歳の息子マクシムが猟に出て風邪をひき、肺炎を起こして急死してからめっきりと衰えを見せた。
死の年の1936年3月22日、彼はロマン・ロランに手紙を書いている。
「たくさん仕事をしておりますが、何も出来ないのに、恐ろしく疲れます。その上おまけに、不愉快至極にも、今も、大量の喀血を見ました」
彼には肺結核の痼疾(こしつ)があった。
「私はただ1つのことだけを怖れております。−−ロマンを書き終えないうちに心臓が止まりはしないかということです」
彼は最大の長編『クリム・サムギンの生涯』に鏤骨(るこつ)の苦心を重ねていた。
5月に彼は流行性感冒にかかった。
彼の治療に当たったスペランスキー教授は、プラウダの記者に語っている。
「私が、病気のゴーリキーにはじめて逢ったのは6月6日だった。まだ発病の最初の時期であったにもかかわらず、容態はそのときすでにかなり重篤だった。息切れのために横になれなかった。昼も夜もほとんど彼はソファに坐りこんでいなければならなかった。その上、まもなく心臓の血管系統の変化と若干の神経的徴候が加わった。後者の徴候は基本的には呼吸と脳の血液循環の乱れに起因していた」
コンチャロフスキー医師は、死の2日前のゴーリキーのようすを語る。
ゴーリキーは、われわれ医師に、どうやら治りそうだ、といった。その際彼は、熱っぽく私たちの手を握った」
彼によると、死の前は次のような症状だった。
「・・・・朝、突然、おびただしい喀血があり、心臓の動きが急に衰えはじめ、意識不明の状態におちいった。すでに17日の朝には、運命的なフィナーレが近づいていることは明らかだった」
かくてゴーリキーは6月18日午前11時10分に息をひきとった。折から雷鳴がとどろき、庭の大木が折れたという。
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−−以上が、死後2年、定説となっていたゴーリキー病死の状態である。ソビエトでは一般にいまでもこれが信じられている。
しかるに1937年に、スターリンの側近であり、政治警察の署長であったヤゴダが逮捕され、翌年その裁判の過程で驚くべきことが明らかになった。
それによると、上記の医師たちの証言はぜんぶ嘘で、ブハーリン一味が、まずゴーリキーの息子のマクシムに、シャンパンを多量に飲ませ寒い雪のベンチに眠らせて、発病のきっかけを作り、ゴーリキーの場合は、ゴーリキーを焚火のそばに長時間坐らせて気管支をいためつけて感冒にかからせ、発病するとジギタリス剤を与えて、弱っている心臓を逆に昂奮させて死に至らしめたという。
またトロッキー一派の手によって毒殺されたという説もあるが、ゴーリキースターリンの命令によって医師たちに毒殺されたもので、それはスターリンによってゴーリキーの「良心」が邪魔になったからだ、という。
ルイス・フィッシャーは『スターリン伝』で次のように書いている。
スターリンゴーリキーに数々の栄誉を与えた。ゴーリキーは、スターリンの残虐性を柔げようと思って、この独裁者の招きに身をまかせたのかも知れない。スターリンにとっても、これは満足のゆくとりきめだった。
しかし、やがてソ連政権に対するゴーリキーの熱狂も冷却した。そして彼とスターリンとの関係も冷却化して来た。1935年、彼は外国へゆこうと望んだが、旅券の交付を拒否された。1936年6月18日の彼の死は神秘につつまれている」
まさしく彼の死は神秘につつまれているが、いずれにせよゴーリキーは毒殺されたということが、いまでは定説になっている。

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