じじぃの「人の生きざま_39_ホーキング」

NHKスペシャル 神の数式完全版3「宇宙はなぜ始まったのか 残された最後の難問」 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4_vlV8PuurM
映画『博士と彼女のセオリー』予告編 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mw_YOjM2DbQ
NHKスペシャル 神の数式完全版3「宇宙はなぜ始まったのか 残された最後の難問」 動画 Youku
http://v.youku.com/v_show/id_XNjUzNTU3MDMy.html
ホーキング博士「膜宇宙論」 Part 1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=fxhYvMgBfww
Stephen Hawking: Asking big questions about the universe 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xjBIsp8mS-c
Hawking Lecture 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=y8AG5RPOCjA
The Standard Model, set in stone

Professor Stephen W. Hawking
http://www.hawking.org.uk/
超ひも理論を発展させた物理学者たち - 宇宙・生命の学習ノート Yahoo!ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/atomu10021983/2959931.html
NHKスペシャル 「神の数式 第2回 宇宙はどこから来たのか〜最後の難問に挑む天才たち〜」 2013年9月22日
第2回は、物質の理論を手にした物理学者たちが、もう一つの偉大な理論、広大な宇宙を支配するアインシュタイン一般相対性理論(重力理論)との統合をめざし、その2つを網羅する“神の数式”に迫ろうとする闘いを描く。ミクロの物質から、極大の宇宙の果てまで、ほとんどを数式で表すことに成功した人類だが、どうしても説明できない場所が存在する。それはブラックホールの奥底だ。宇宙空間の超ミクロの点を解き明かすことができれば、宇宙がどのように始まったのか、という究極の難問にも答えることができる。
現在彼らがたどり着いたのは偉大な2つの理論を含む「超弦理論」と呼ばれる最新の数式。しかしその数式が示したのは「物質の根源は点ではなく、“ひも”である。そして、この世は“10次元”でなければならない」という、私たちの常識をはるかにを超えた世界像だった。車いすの天才スティーブン・ホーキング博士ら一流の物理学者たちが、ブラックホールをめぐって議論を闘わせてきた、人類の知のフロンティアを映像化していく。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0922/
スティーヴン・ホーキング ウィキペディアWikipedia)より
ティーヴン・ウィリアム・ホーキング(1942年1月8日 - )はイギリスの理論物理学者である。「車椅子の物理学者」として知られる。
時間線が存在するためには場のエネルギーが無限大でなくてはならないとする。
【概要】
ブラックホールの蒸発や宇宙論などの理論のほか、一般の人向けの啓蒙書『ホーキング、宇宙を語る』の執筆などで非常に良く知られている。
筋萎縮性側索硬化症を発症したとされている。しかし本来発症から5年程度で死に至る病気の患者でありながら、途中で進行が急に弱まり以後40年近くも健在でいるなど従来のこの病気の性質にあわない点が多い。このため、別の病気であるとする意見もある。
【業績】
一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理をロジャー・ペンローズと共に発表した。
一般相対性理論量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在が予測されている。
タイムトラベルが不可能であるとする「時間順序保護仮説」を提唱した。この仮説では、過去に行くことを許容する閉じた時間線が存在するためには場のエネルギーが無限大でなくてはならないとする。

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『物理学天才列伝 下』 ウィリアム・H・クロッパー/著 水谷淳/翻訳 ブルーバックス 2009年発行
苦痛、名声、運命 スティーヴン・ウィリアム・ホーキング (一部抜粋しています)
列車のおもちゃと宇宙論
スティーヴン・ホーキング、正確に形容するなら「現代で最も傑出した科学者」、不正確に言えば第2のアインシュタイン(「おそらくアインシュタインに匹敵する」、1978年(タイム)誌)は、1942年1月8日にオックスフォードで生まれた。ちょうど300年前の1642年1月8日にガリレオ・ガリレイが世を去っている。
ホーキング家にとって最初の子供であるスティーヴンが生を授かったのは、戦争のさなかのことで、母親のイゾベルは出産場所として、ドイツの爆撃の手が及ばない大学都市オックスフォードの病院を選んだ(イギリス空軍がハイデルベルグとゲッティンゲンを攻撃対象にしなければ、ドイツ空軍もオックスフォードとケンブリッジに手を出さないことが合意されていた)。
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1952年、10歳になったスティーヴンは、質の高い教育を施す大聖堂附属のセント・オールバンズ・スクールへ進学した。偉大な物理学者の多くと違い、ホーキングは目立った成績を残さなかった。「クラスで真ん中あたりになるのがせいぜいで、授業の課題よりも試験の方がずっと出来が良かった」と書いている。スティーヴンの創造性は、列車、船、飛行機の実際に働く模型の制作や、とてつもなく複雑なゲームの発明に費やされた(あるゲームには、4000ものマスが書かれた盤が使われる)。これらのゲームや模型が科学者になる兆しだったと、ホーキングは考えている。のちに自伝記事には次のように書いている。「こうしたゲームや列車、船、飛行機は、物事の仕組みや制御のしかたを知りたいという衝動から生まれたのだと思う。博士研究を始めて以来、この欲求は私の宇宙論の研究と合致している。宇宙がどのように動いているかが分かれば、何らかの形で宇宙を制御できる」ホーキングの人生には、父親フランクも重要な影響を与えた。「父を模範にした。父が科学の研究者だったので、当然、自分も大きくなったら科学の研究をやるものだと思っていた」と取材に答えている。スティーヴンは数学と物理学をやりたがったが、フランクは、数学は教師になるための勉強でしかないと言って反対した。そこで数学の代わりに化学を取るが、のちに、相対論の難解な数学に基づいて研究を進めるときに、数学の勉強が不十分だったことが足かせとなる。不幸な病気に直面し、数学の形式的な言語(数式)で核の画どんどん困難になる中、ホーキングは一から勉強をやり直して、物理的なメッセージへたどり着くためのより良い道を探さなければならなかった。「数式はあまり気にしていない。書くのが難しいというのもあるが、それより、数式に対する直観的感覚を持っていないためだ。代わりに図形的な言葉で考える」と語っている。
不幸
ケンブリッジでホーキングは、理論天体物理学者と宇宙論学者としての経歴をスタートさせた。当時イギリスで最も有名だった宇宙論学者、フレッド・ホイルのもとで博士号を取りたいと思っていた。しかし実際には、名前も聞いたことのないデニス・シアマの研究室に配属される。最初のうちは有名なホイルのもとで勉強できないことに不満だったが、やがて、シアマの研究室の和気あいあいとして刺激的な雰囲気の良さが分かってきた。カルテックの天体物理学者でホーキングの同期生だったキップ・ソーンによれば、シアマは研究性に心を開いて接していたという。「シアマは、宇宙がどのようにできているのかをどうしても知りたいという思いに突き動かされていた。そしてその思いを、抽象的な不安として表現した。宇宙はあまりに狂気的で奇怪で異様なので、宇宙を論じるには理解しようとするしかなく、それには学生を通じて理解するのが一番良いのだという。最も挑戦的な問題を学生に解かせることによって、自分で解こうとして立ち止まるよりも早く新たな問題に取り組んだのだ」
シアマと有能な学生たちの仲間入りをしてまもなく、ホーキングは、自分が筋委縮性側索硬化症(ALS)−−アメリカではルー・ゲーリック病、イギリスでは運動ニューロン疾患と呼ばれている−−という難病にかかっていることを知り、打ちのめされた。随意筋の活動を英禦する神経細胞が侵される病気だ。思考や記憶は影響を受けないが、全身の筋肉が委縮し、最後には麻痺状態に至る。診察した医師には、持って2年だと厳しい判断を下されて見捨てられた。「結果として、父親に診察してもらい、父親の助言を聞くようになった」とホーキングは語っている。
病気に対する最初の反応は、至極当然だった。深く落ち込んだのだった。しかし幸いにも、薬やアルコールで自分を見失うことはなかった。一人になってワーグナーのオペラを大反響で聞くのが、ホーキングの現実逃避法だった。博士課程も、完成させる時間がないのなら続けても無駄だと思った。しかし、自分を哀れんで甘えることはしなかった。検査で病院へ行ったとき、一人の少年が白血病で死ぬ様を目にした。「楽しい光景ではなかった。自分よりひどい目に遭っている人がいる。・・・・くよくよしそうになったときは、あの少年を思い出すことにしている」
復活
ホーキングが鬱から抜け出せたのには、本人の意志と決意もあったが、同時に周囲の支えもあった。一番支えてくれたのは若く素晴らしい女性ジェーン・ワイルドでやがてホーキングと婚約する。ジェーンもセント・オールバンズに住んでいて、2人は、ホーキングがALSを発病してのすぐの1963年にパーテーの席で出会った。
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1965年夏、ホーキングは博士課程論文を書き上げ、ケンブリッジのゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ(普通はキーズと略される)で理論物理学の特別研究員のポストを手にした。そしてジェーンとスティーヴンは1965年7月に結婚する。ホワイトとグリビンは、結婚式の写真を次のように描写している。「ホーキングは誇らしげにカメラを見つめ、その眼差しには、『これは始まりにすぎない』という強い決意と野心が表れている。ジェーンはカメラに向かって幸せそうな笑みを浮かべ、もっと穏やかにだがやはり、どんな逆境でも立ち向かって乗り越えられるという確信を抱いている」
研究室はケンブリッジ応用数学理論物理学科にあったが、体の自由がどんどん利かなくなっていくホーキングが自力で通勤できるよう、2人はすぐ近くに部屋を探さなければならなかった。しかしそれはかなり難しく、しかもホーキングが大学の経理部長に、特別研究員の給料はいくらかと尋ねて、相手を怒らせてしまった。2人が困っているのを知ったある女性の力添えでようやく、狭くて古いものの、リトル・セントメアリー・レーンという風光明媚な通りに面した、理想的な場所に家を見つけた。ホーキングの同僚ブランドン・カーターはこの家のことを、手の空いた友人たちが家事を手伝う、活気溢れる場所だったと表現している。家にはマーラーとワグナーが流れていた。このような至って普通の形で、ホーキング夫妻の結婚生活は始まった。最初の子どもロバートは、1967年に生まれた。
最も完璧な物体
ホーキングにとって最初の研究テーマはチャンドラセカールが「宇宙で最も完璧なマクロな物体」と呼んだ驚くべき天体、ブラックホールだった。ブラックホールは大きさに関係なく、「その構造要素は、我々の持つ時間と空間という概念だけだ」。典型的なブラックホールは、質量は太陽の10倍だが、半径はわずか10から50キロメートルしかない。現在では、我々の銀河系に数百万個のブラックホールが存在すると考えられている。この銀河系や他の銀河の中心には巨大なブラックホールがあるらしく、中には直径が我々の太陽系ほどで、質量が太陽の数十億倍に達するものもあるという。また理論家によれば、宇宙には小型のブラックホールが多数存在していて、大きさは原子ほど、質量は山ぐらいだと推測されている。
ブラックホールはこれほど多様ながら、宇宙で最も単純な物体の一つに数えられる。太陽系の大きさから原子の大きさまでさまざまな大きさを取り得るが、その挙動は、質量と自転速度(および電荷、これは一般的に小さい)だけで決まる。一般的にマクロな大きさを持つが、物理的に見れば、やはり質量、スピン、電荷で特徴づけられる素量子のように、どれも同じ姿をしている。ブラックホールは、惑星のように岩石でできているのでもなければ、恒星のように高温の気体でできているのでもない。ホーキングと同世代でやはりシアマに師事したマーティン・リーズ曰く、ブラックホールは「空間の織物自体でできている」という。チャンドラセカールもこの究極の単純さに惹かれたのだった。
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天体物理学に関するホーキングの最も有名な業績は、ブラックホールの黒さをわずかだが否定した理論だ。「ブラックホールはそんなに黒くない」とホーキングは言っている。ブラックホールが黒さを損なうメカニズムは、ディラックに端を発する、電子には陽電子という相棒がいるという考え方が基になっている。電子と陽電子が出会うと互いに消滅し、γ線の光子が生じる。この逆の過程として、何か適当なエネルギー源から発生したγ線の光子が電子−陽電子対を生じさせることもありうる。
量子論によれば、後者に似たものとして、物理学者がよく「直観に反する」と言う不思議な過程が存在する。電子−陽電子対が生成するためのエネルギーを真空から「借り」、対消滅のときにそのエネルギーを「返す」という過程だ。初め電子e-陽電子e+が対生成し、
  エネルギー → e- + e+
その後すぐ消滅する。
  e- + e+ → エネルギー
このようなことがどうして起こるのか、そして電子と陽電子がどれだけの時間存在できるのかは、ハイゼンベルグ不確定性原理から分かる。同じことはどんな粒子-反粒子にも言える。この対生成に関わる粒子と反粒子は、粒子検出器で直接観測できないため、「仮想粒子」と呼ばれている。
もし、仮想粒子がブラックホールの近くで生成すれば、仮想対が現実の粒子対に変わり、その一方が観測できるようになるのではないか、そうホーキングは考えた。一方の粒子はブラックホールに捕えられて現実の粒子になり、もう一方はやはり現実の粒子になってブラックホールから逃れ、放射として観測されるかもしれない。この放射のぶんだけ、ブラックホールは完全には黒くなくなる。粒子-反粒子対が生成するにはエネルギーが必要で、そのエネルギーはブラックホール重力場から持ち出される。重力場のエネルギーが少なくなるにつれてブラックホールは小さくなっていき、やがて、水爆何百万個にも相当する凄ざまじい爆発によって消滅する。
それでもブラックホールは、ほぼ完全に黒い。「ホーキング放射」と呼ばれるブラックホールの放射は、きわめて効率が悪く速度も遅い。ホーキングの理論によれば、太陽と同じ質量を持つブラックホールが蒸発して姿を消すには、観測される宇宙の年齢約1010年よりはるかに長い1065年かかるという。
始まりと終わり
ホーキングはこれまでも現在も、量子と重力の統一理論探しを牽引する一人だ。ホーキングは、リチャード・ファインマンが考案した量子力学の方法を使おうと提案している。ある事象に対する可能な経路−−それぞれ異なる位相を持つ−−をすべて足し合わせることで、実際の経路を計算するという方法だ。またホーキングは、「虚数時間」と呼ばれる抽象的な数学的存在を用いることで、時間の次元を時別な形で取り扱おうとしている。うまくいくかどうかはまだ分からないが、「生まれながらの楽天家」を自称するホーキングは、「21世紀の終りまでに、おそらくはもっと早く」統一理論を目にできるだろうと信じている。1998年には、「これから20年以内に見つかる可能性は五分五分だ」とも言っている。

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スティーヴン・ホーキングについての補足
虚数時間
ビッグバン特異点について、一般相対性理論量子論の両方をもとに考えたのがホーキングです。ホーキングは「量子宇宙論」を用いて考えると、宇宙誕生直後は「虚数時間」が流れ、そのあと現在までは普通の実数の時間が流れることを見出した。
・離婚
イギリスのデーリー・テレグラフ紙(2006年)によると、ホーキングが2番目の妻と離婚し、11年間の結婚生活を終えた。2番目の妻はもともとは最初の妻であるジェーンが雇った看護婦だった。

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スティーヴン・ホーキング Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=QIRkTKy8JcO6cf7JsJYF&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CC0QsAQwAA&q=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1