じじぃの「人の死にざま_340_坂本・九」

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坂本九 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
坂本九(本名:大島九(おおしまひさし)は、日本の俳優・歌手・司会者。現在は坂本九の家族が運営する坂本九音楽事務所に名義のみ所属。生前はマナセプロダクション所属であった。
神奈川県川崎市川崎区出身。日本大学中学校卒業、日本大学高等学校中退。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。
妻は女優・柏木由紀子。柏木との間に娘が2人いる。長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子(本名:大島舞子)。実祖父は茨城県田伏村(現・かすみがうら市)出身の坂本金吉。また「天才サックス奏者」と言われた阿部薫は甥(姉の息子)。
【バンド時代】
1958年5月、ザ・ドリフターズに加入しギターを担当していたが、半年後(11月)に脱退。グループを移籍しダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてビクターと契約。1959年6月に「題名のない唄だけど」でデビューしたが、ヒットしなかった。
無名時代、平尾昌晃、ミッキー・カーチス山下敬二郎などが出演した「日劇ウェスタンカーニバル」に事務所の意向を無視して無理やり出演。バックでギターを弾いていたが、全く知られることはなかった。
【ソロ歌手に転向、そして世界的スターに】
1960年7月に、東芝音楽出版東芝レコード)に移籍。同年8月に、移籍後第1弾シングルとして発売した「悲しき六十才」が10万枚を売り上げ、初ヒットとなった(この曲は、日航123便事故の慰霊式における鎮魂曲となる)。
1961年の「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットした。中でも1963年には、SUKIYAKIというタイトルでアメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌「ビルボード」の "Billboard Hot 100" で、3週連続1位を獲得した。"Billboard Hot 100" で1位を獲得した日本人アーティストは、2010年現在、坂本九だけである。この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは九の歌う日本語版であり、その点でもこれまで唯一の例である。
上を向いて歩こう」の海外でのヒットにより世界的に名前が知られたことで、国際的な活動も多かった。1964年の第18回オリンピック東京大会のウェルカムパーティーにゲスト出演し、「サヨナラ東京」「君が好き」を歌った。
【航空機事故死】
1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた矢先の8月12日、日本航空123便の墜落に遭い、43歳で死亡した。
事故当日に当時のNHK505スタジオで収録され、九の最後の仕事となったNHK-FM放送での公開録音は、同年9月に『秋一番 坂本九』として放送された。番組冒頭で九の死去を伝えるアナウンスが流れた。なお、この番組のゲストは欧陽菲菲、生ピアノ伴奏は羽田健太郎。この番組で九は「すてきなタイミング」 「上を向いて歩こう欧陽菲菲とデュエット)」 「For The Good Times(九が尊敬していたペリー・コモのヒット曲)」 「We are the world」 「親父」 「見上げてごらん夜の星を」 「心の瞳」 「懐かしきlove-song」を披露した(オンエアされなかったが、アンコールでは「明日があるさ」を披露)。また、同年6月に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことに触れ、「とても嬉しかった。これからも皆さんと一緒に、いつまでも歌い続けていきたい」と、将来への抱負を語っていた。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
8月12日−坂本九 (歌手・43歳)
それはあまりにも衝撃的な飛行機墜落事故だった。
東京から大阪へ向かう日本航空機が御巣鷹山めがけて墜落、炎上。520人もの生命があっという間に砕け散った。
その中の一人に九ちゃんこと坂本九がいた。彼は飛行機は大の全日空党だと聞いていた。たまたまその日にかぎって全日空党の切符が取れなかった故に日本航空を利用したという。そのあたりに運命というもののむごさを感じずにはいられない。
43歳とあまりにも若くして逝ってしまった九ちゃんだが彼の出世作となった「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」の2曲は永久に不滅のビッグヒットだ。
晩夏のこの日、私は夜空を仰ぎ見る。キラッと光る星の輝きを見つけた時、それを九ちゃんの星と思うことにしている。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
坂本九(さかもときゅう) (1941-1985)
日本じゅう平和な夏の行楽にゆれる1日が暮れかかった昭和60年8月12日午後6時12分、乗員乗客524人を満載して羽田から大阪に飛び立った日航ジャンボ機は、離陸後まもなく垂直尾翼の一部が相模湾に脱落するという信じられない事故を起し、方向ちがいの中部山岳地帯へ不可抗の迷走を行い、6時54分分ごろ群馬県多野郡上野村御巣鷹山の山中に墜落した。
奇跡的な4人の女性の生存者を出したほかはすべて凄惨な死をとげたが、その死亡者の中に、昭和30年代後半、「上を向いて歩こう」や「幸せなら手をたたこう」など、国民的愛唱歌を生んだ歌手九ちゃんがいた。
彼は元マネージャが大阪の羽曳野市で市議選に立つというので、その選挙応援に西下する途中遭難したもので、お守り用の笠間稲荷のペンダントと歯型だけで遺体が確認された。

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坂本九 
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=1a1TTJ-hDYjfcfvZ7b8M&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCgQsAQwAA&q=%E5%9D%82%E6%9C%AC%E4%B9%9D%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1