じじぃの「ブログの更新でもするか・ひとりぼっちの生活は楽しくない?日本人の勘違い」

うなずきかぼちゃん 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jMbFJfatht0
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しくじり先生 俺みたいになるな!! (追加) 2015年6月29日 テレビ朝日
【担当】オードリー若林 【生徒】あき竹城、浅田舞足立梨花伊集院光、その他 【しくじり先生】Mr.マリック、紫吹淳オリエンタルラジオ中田、ヒロシ
しくじり先生のヒロシ、極度の人見知りゆえしくじったと力説
ヒロシです……」のフレーズから始まるピンネタで約10年前に一世を風靡したヒロシの授業は、「自分に向いていない職業に就いて苦しまないための授業」と銘打ったもの。
ブレイクから6年後には収入ゼロという状態に陥るほど落ちぶれた原因は、自分の性格が極度の人見知りであることだと力説する。これには同じく人見知りの性格だという若林も「ヤバいくらいよくわかる」と共感。今もなお「しくじり中」というヒロシが現在の心境をネタに乗せて披露する場面も。
一発屋ってゾンビなんや」。
すべての人間が信用できなくなる。人間が信じられなくなり、植物に癒しを求めた。花やきゅうりやトマトを育てた。
唯一の願い。人間たちと仲良くなりたい。
http://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/
『日本人の勘違い: 「バカボンのパパ」の鼻の下に生えているのは、鼻毛ではない!!』 びっくりデータ情報部/編 KAWADE夢文庫 2014年発行
「ひとりぼっち」の「ぼっち」は、単なる強調の意味ではない
「ひとりぼっち」は、ひとりであること、孤独であることを強調するときに使われることが多い。ニュアンスとしては「たったひとり」という意味合いが強く、そこから「100円ぽっち」のような言い方も生まれた。
「ひとりぼっち」の語源をさかのぼると、昔は「独り法師」と書いた。「ぼっち」は「法師」の意で、すなわち「ひとりぼっち」とは、宗派や教団などに属さなかったり、離脱した僧侶の意味だったのである。ちなみに、坂本九の名曲『上を向いて歩こう』(永六輔作詞)では、「ひとりぼっち」ではなく「ひとりぽっち」になっている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『日本人の勘違い: 「バカボンのパパ」の鼻の下に生えているのは、鼻毛ではない!!』という本を見ていたら、「『ひとりぼっち』の『ぼっち』は、単なる強調の意味ではない」があった。
「ひとりぼっち」の語源は「独り法師」なのだそうだ。
この頃、テレビで高齢化社会ということでよく「高齢者のxxx」特集をやるようになった。
大体、xxxに当たるのは、孤独死、徘徊、万引き、夜尿症などろくなものがない。
一人で生活していると、ふと寂しくなることがある。
アインシュタインがこんなことを言っていたそうだ。
「若いころの孤独はさびしく虚しいけれど、年をとってからの孤独には熟成した甘さがある」
カーネギー著『道は開ける』には、
「心の中から悩みを追い出すには、自分を忙しすぎて悩んでいる暇がないという状態にすること」
と、書かれていた。
1日中、お閑ばっかりのじじぃ。
ブログの更新でもするか。
ブログのタネが尽きた!