じじぃの「未解決ファイル_108_ヒト進化と涙」

Endless Tears .. 動画 YouTube
http://il.youtube.com/watch?v=668SQaMm0yg&feature=related
『この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス』 チップ・ウォルター/著 梶山あゆみ/翻訳 早川書房 2007年発行 (一部抜粋しています)
プロローグ
私たちはどのようにして人間になったのだろうか。どんな生き物も独特の特徴を備えている。進化をおし進めた原動力がそういうふうに作ったからだ。進化がそれぞれの生物をかみそりの刃のように研ぎすまし、その生物にしかないいくつかの特徴を与えた。ゾウには長い鼻がある。ヘッピリムシ(ホソクビゴミムシ)は熱い毒物で体内を作り、それを尻から文字どおり噴射させる。ハヤブサは時速110キロものスピードで空を飛びながら、正確に獲物を捕えることができる。こうした性質がそれぞれの生物を特徴づけ、彼らの行動の仕方を決めている。では人間らしさを決める人間だけの特徴とは何だろうか。
本書ではそれを6つに絞った。足の親指、手の親指、変わった形をしたのど、笑い、涙、キスの6つである。どれも人間にしか見られない特徴だ。でも、とあなたは思うかもしれない。足の親指など何の変哲もないものだし、笑いだなんて馬鹿げているし、手に親指がついているのもわかりきったことではないか。人類は、文字を書くことを編みだし、喜びを表現し、恋に落ち、古代中国の天才を輩出する力をもっている。6つの特徴とやらがそこにどう関わってくるというのだろう。ロケットやラジオ、交響楽にコンピュータチップ。悲劇。システィナ礼拝堂の我を忘れるような美しい絵画。私たちが生み出したこうした素晴らしい作品を、その6つの特徴でどう説明できるのか。答えはつまりこういうことだ。
人類が成し遂げたことはすべて、もとをたどればこの6つの特徴に行きつく。そのひとつひとつが進化という道にできた分岐点のようなもので、私たちとは片方の道を行き、ほかの動物たちは違う道を行った。その結果、人間の心と頭が織りなす独特の地形の上にいくつもの細い小道が作られた。その小道をたどっていけば、人間行動の背後に広がる入り組んだ奥地へと続き、そこには私たちが人間特有のふるまいをする理由がひそんでいる。
     ・
涙を流す奇妙な生き物
なぜ私たちは泣くのだろうか。さしもの科学者たちも、わからないと認めざるをえない。彼らの意見が唯一一致しているのは、泣くのは人間だけだということだ。ほかの動物も哀れな声を出したり、嘆くようなうめき声をあげたり、怒りで泣き叫ぶように吠えたりはする。だが、激しい感情につき動かされて涙することはなく、それはいちばん近い親戚である霊長類でも同じだ。笑いや、さらに言語でさえ、霊長類の世界に似たものを見出せるのに、泣くことに相当する行為は見当たらない。サルたちにもほかの哺乳類にも、涙を流すための管はあるが、それはもっぱら目の維持にのために使われる。涙が目を潤し、目を癒す。人間にも同じ管があり、眼球を清潔にして健康に保つ動きをしている。ところが、進化のどこかの時点で何らかの理由により、サバンナの類人猿かさらに古い祖先たちの体のなかに、涙を作る涙線と、感情をつかさどる脳領域とのあいだに物理的な接続ができた。こんな現象は自然界で類を見ない。
遺伝子の突然変異はどれもそうだが、この結びつきができたのも最初は何かの間違いだった。ところが、その間違いが功を奏したのである。間違った遺伝子の持ち主は、どういうわけかこの変化によって生き延びる確率が高まり、その遺伝子が次の世代に伝えられていった。ついには「異常」転じて人類に有利な特徴となった。
私たちの目尻の少し上あたりには、涙線と呼ばれる小さな器官がある。感情がどうしようもなくこみ上げてきたとき、この涙線で大量の涙が作られて目の表面を流れ、目頭近くの排出管では吸収しきれなくなって溢れでる。泣くという人間の行為が変わっているのはこの点だ。強い願望、恐怖、苦痛といった感情をもつ動物は多い。だが、人間の場合は感情と涙が組み合わさるところがほかの動物と決定的に違う。
人間の赤ん坊が生まれて最初にする行為は泣くことだ。原始的ではあるが、自分がこの世にやってきたことを明確に宣言する役目を果たす。産声はふたつの単純な事実を知らせてくれる。ひとつは、その子が生きていること。もうひとつは、へその緒を切って、母親から独立したひとりの人間にしても大丈夫なことだ。生後3〜4ヵ月までは、私たちにとっていちばんのコミュニケーション手段は泣くことである。微笑んだり声をあげて笑ったりするのを覚えるのはそれからだ。生後8〜12ヵ月になると、ほかの表現方法がかなり身についてくるので、泣く回数は少なくなる。泣くかわりに、指を差す。唸り声をあげる。スプーンやシリアルや𦹀をそこらじゅうに放りなげるといった手段で意志を伝えるのだ。それでも、幼いうちは頻雑に泣くことに変わりはなく、それはじつにうまくいく。
乳児の泣き声に効果があるのは、親の耳が自分の子供の泣き声に敏感なせいもある。自然がそういうふうに作ったからだ。人間の母親は、大勢の赤ん坊が泣いていても自分の子供の泣き声をまず間違いなく聞きわける。赤ん坊の泣き方には、伝えたい内容に応じていくつか種類がある。鋭く甲高い泣き声は苦痛を表わし、何か重大な問題が起きていることを告げている。ほかにも、孤独、不快、空腹を示す泣き方がある。まだ言葉は話せなくても、それぞれの泣き方がいわば泣き声による初歩的な語彙だ。一説によると、赤ん坊が泣くときの上がって下がるリズムが、人間が話す文章すべてのイントネーションパターンの土台になっているという。たしかに、会話の文章は普通、しだいに上がっていって最後に下がる。こうした泣き声に、苦しげにしわを寄せた赤い顔が加われば、注意を惹きつけずにはおかない(ちなみに赤ん坊の泣き顔は、サルが見せる「失意の悲しい顔」や、「すねた顔」や、「泣き顔」に似ていることがわかった)。
成長するにつれ、私たちはもっと複雑な感情につき動かされて泣くようになる。苦痛や不快を、体についてだけでなく精神的にも感じるようになる。しかも、たいていの場合、その感情はうまく説明できない。まるで、感情が先回りして発話の構文より前に出てしまうために泣くかのようだ。名詞も動詞も形容詞も、それらを組み立てる規則も、感情を説明するには力不足である。言葉で語れるなら、そもそも泣く必要などないかもしれない。だが、もちろん私たちは泣く。泣くことは、笑うことと同じように原始的なコミュニケーションの手段だからだ。私たちの脳や経験には、感情に支配され、言葉では表現できない無意識の部分があって、泣くことでそれを外に出している。
このことを裏づける研究も報告されている。涙が今にもこぼれそうなとき、あごが震えたり(おとがい筋)、のどが詰まったようになったり、口角が下がったりする(口角下制筋)。筋電計(活動筋に発生した電流を記録する器械)で調べてところ、そのときに使われる筋肉を動かす神経はすべて、意識的にコントロールするのが非常に難しいものだった。にもかかわらず、少しでも気持ちが沈んでくれば口角が下がるのですぐわかる。おとがい筋などはどうしても止まってくれない。まったく無意識のうちに、感情が体に表れるのである。これらの神経や筋肉は、言語脳や意識には何の相談もなく活動を起こす。赤ん坊が、中脳より上の構造をもたずに生まれてきても立派に泣くことができるのはこのためだ。だとすれば、泣くことに付随する感情は、遥かな過去に根をおろしているにちがいない。言語や意識的な思考といった道具が現れるよりはるか昔の時代に。

                                      • -

どうでもいい、じじぃの日記。
『この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス』という本に人間にしかない特徴について書かれている。
それは足の親指、手の親指、のど、笑い、涙、キスの6つなのだそうだ。
足の親指、手の親指は人間の直立二足歩行と関係しているのだろう。のどは声帯の発達、そして言葉へと進化したのだろう。笑いは言葉と連動して顔の表情が豊かになったからだろう。
涙、キスも人間にしかない特徴のひとつなんだ。
そういえば、涙を流すチンパンジーなど見たことがない。キスはチンパンジーでもやるような気がするが。
人間は産まれてすぐ泣くことから始まる。赤ん坊の仕事は泣くことだ。
赤ん坊が泣くと、母親の母乳から反射的に乳がにじみ出て、赤ん坊がすぐに飲める状態になる。
また、泣くという行動は助けを求めているのを態度で示すとともに、自分が完全に無防備であることを告げている。
笑いも感情表現のひとつだが、涙も感情表現のひとつなのである。
涙を流している人に「気がすむまで泣きなさい」と言うと、とめどもなく泣く。
泣かないで、大声で叫んだりしてもよさそうなもんだが、しくしく泣く。(大声で叫んで泣くというのはお隣の韓国でよくあるが)
泣くことが、同情を呼び込んでいるのだ。
人間を人間たるものにしているひとつに涙がある。そう言われればそんな気にさせられる。