じじぃの「人の死にざま_326_関・孝和」

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股の間から木の高さを測る
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関孝和 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
関孝和(せきたかかず、寛永19年(1642年)3月? - 宝永5年10月24日(1708年12月5日))は、日本の江戸時代の和算家(数学者)である。本姓は藤原氏。旧姓は内山氏、通称新助。字は子豹、自由亭と号した。
【生涯と業績】
生年は寛永12年(1635年)から寛永20年(1643年)の間で諸説あり、はっきりしない。上野国藤岡(現在の群馬県藤岡市)で生まれたとの説と、江戸(現在の東京都)で生まれたとの説がある。
若くして関家の養子となる。幼少時から吉田光由の『塵劫記』を独学し、さらに高度な数学を学ぶ。甲斐国甲府藩(山梨県甲府市)の徳川綱重・綱豊(徳川家宣)に仕え,勘定吟味役となる。綱豊が6代将軍となると直参として江戸詰めととなり、西の丸御納戸組頭に任じられた。孝和は甲府藩における国絵図作成に関わり、又改暦に備えて授時暦を深く研究して改暦の機会を窺っていたが、その後渋川春海によって貞享暦が作られ、暦学において功績を挙げることは適わなかった。
関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。延宝2年(1674年)、『発微算法』を著し、筆算による代数の計算法(点竄術、てんざんじゅつ)を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎をつくった。行列式終結式の概念をヨーロッパより早い時期に提案したことはよく知られる。
【点竄術】
関の最大の業績は、中国伝来の代数(天元術)を革新して傍書法及び点竄術を確立したことである。これは記号法の改良と理論の前進の双方を含み、後に和算で高度な数学が展開するための基礎を提供することになる。
天元術は中国で発達した代数的解法である。求める数を未知数x(天元の一といった)とし、演算を施して一元の数次方程式を立て、それを解くことで問題の答えを得た。
行列式ライプニッツによって導入されたのは関と同じ1683年ころであるが、『解伏題之法』に比較しても一般性において劣る。そして一般の行列式の公式や終結式の理論が発見されるのは18世紀の中ごろである。先立って、楊輝(中国、1238年?〜1298年)は『詳解九章算術』で、カルダノは Ars Magna(1580)の中で数字係数の二元連立一次方程式の解を行列式と同様の計算式であたえている。

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スパモク !! 「教科書にのせたい!」 2010年6月24日 TBS
【司会】ウッチャンナンチャン松本志のぶ 【ゲスト】伊集院光岡江久美子オリエンタルラジオ関根麻里大東俊介知花くらら
【専門家】松井孝典吉村作治、その他
識者1000人が選定!新しいオリジナル"教科書"を目指す知的エンターティメント番組!
日本全国1000人の有識者(大学教授、学校の先生、研究者、文化人ら)に「あなたが知っていることで、ぜひ教科書に載せたいことは何ですか?」というアンケートを実施。その結果をもとに、集まった選りすぐりの知識を「国語」「数学」「理科」「社会」など、科目ごとに次々と発表する。
これまで、「聖徳太子は実在しなかった可能性が高い」、「鎌倉幕府が出来たのは1192年ではない」等々、昔、学校で習った事実・表現が今では変わっている、という例は数多くある。そして、今の教科書は、子どもたちから考える力を奪っているともいわれる。例えば、「猿も木から落ちる」という表現が、「子どもが真似をして木から落ちたら危ないから」という理由で削除されたりしている。
この番組では、人生を100倍楽しく生きていけるように、そして生きるための「考える力」を養ってもらえるように、新しいオリジナルの“教科書”作成を目指す!
例えば、「恐竜が絶滅した本当の原因」から「ティッシュを噛むと足が速くなる!」また、「キリストの血液型は?型だった!」などなど、目からウロコの新事実が次々と披露される!新たな事実をまとめたVTRをもとに、ウッチャンナンチャンやそれぞれの科目別に分けられた伊集院光らゲストが専門家に「なぜ?何?」とどんどん質問を投げかけていく知的バラエティーだ!
和算:股の間から木の高さを測る
⇒江戸時代、町民の間でベストセラーになった数学本の中で紹介された、「股の間から木の高さを測る」方法を、小学生と一緒にスカイツリーで検証!
http://www.tbs.co.jp/supamoku/supamoku20100624.html
『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
関孝和  独学により数学を極め、やがて「関流」と称される和算の祖となった 【執筆者】西成活裕 (一部抜粋しています)
昨年は和算家である関孝和の歿後300年にあたり、『関孝和論序説』が年末に出版された。これは現代の和算研究家4にんが江戸時代のオリジナルの文献を調べ、その紙の破れ方までも丁寧に分析したものである。謎の多い和算史を一つ一つひもとき、専門的な数式まで用いて関の業績を分析した、歴史的にも貴重なものといえよう。
関は日本が世界に誇る江戸時代の数学者だが、その実像はあまり知られていない。特に海外では功績に比し、不当な扱いを受けているといってもよい。和算家は当時、xやyなどの記号の代わりに、日本独自の「甲」や「乙」などを用いて式を記述していた。一方、西洋の数学は記号が共通化され、物理や工学へと応用されて近代化学のもとになっていった。明治政府は文明開化の流れの中で、和算を排してせいようの洋算を使うようになった。
しかし日本独自のこの数学は、実は世界に先駆けたものであった。特に工学に応用されて後世に大きな影響を与えた行列式の理論を、関は西洋より早く発見していた。しかし西洋では関のこの業績は知られていない。他にも、加速法や補間法など、現在の計算機科学で標準的に使われている数学についても、計算機の無い時代に既に見出していたのだ。私の研究分野である可積分系の理論は、現在日本が西洋をリードしているが、これには実は行列式が重要な役割を果たしている。関の魂は、我々の間で引き継がれているのである。

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関孝和 Google 検索
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