じじぃの「人の死にざま_1245_吉田・光由」

吉田光 - あのひと検索 SPYSEE
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鳴海 風 江戸の天才数学者〜世界を驚かせた和算家たち〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=YJolfr6OhQw
塵劫記 / 宗教と科学−仏教の宇宙観と近世の科学書 龍谷大学
http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/ja/exhibition_ja/20030619-20030801_001_002_020_ja.html
吉田光 ウィキペディアWikipedia)より
吉田光由は、江戸時代前期の和算家である。
【人物・生涯】
京都の豪商角倉家の一族。久庵と号す。角倉了以は外祖父にあたる。初の和算家毛利重能に師事した。のち一族の角倉素庵のもとで中国の数学書『算法統宗』の研究を行い、それをもとに1628年(寛永5年)、著書『塵劫記』を出版した。同書は絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るように書かれた数学入門の模範と評価された。晩年には失明し、75歳で没した。

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『感動する!数学』 桜井進/著 2009年発行
江戸時代のすばらしき「和算 (一部抜粋しています)
数学を楽しむといえば、江戸時代の日本でも大いにその風潮が盛んになりました。それが「和算(わさん)」です。
日本の数学は中国の影響を受けていますが、鎖国をしていた江戸時代に独自に発展を遂げ、ついに「和算」という形で庶民の暮らしの中で開化することになります。
江戸時代の「和算」の優秀さについて、あまり知られていませんが、西洋で微分積分が発見されたのと同時期に、日本でも関孝和(1640頃〜1708)という数学者によって発見されていたほどです。
和算は、そろばんと算木(さんぎ)という道具を使いますが、生活の中から誕生し、土木工事や暦の計算などといった実用面だけではなく、道楽、趣味としても楽しまれていました。
その痕跡を残すのが「算額(さんがく)」という風習です。普段はそれぞれの仕事を持っている和算愛好家や和算家たちが、いろいろな数学の問題に挑戦し、問題が解けたことを絵馬(えま)に書いて、それを神社や仏閣に奉納して感謝していたのです。
残念ながら、そのすぐれた日本の伝統ともいえる「和算」は、明治維新後に施行された「学制」によって姿を消し、西洋数学を用いた教育によって、近代国家体制へと急いでしまったのです。
江戸時代に作られた有名な算数の問題集に『塵劫記(じんこうき)』というものがあります。
江戸初期の和算家・吉田光(よしだみつよし、1598〜1672)が書いた、絵入りの和算の本です。
江戸時代の和算には茶道や日本舞踊のような何々家、何々流というような流派がありました。当時、和算の技術は秘伝伝承だったのです。
したがって、入門した者以外にはその流儀の数学の解法を絶対に教えてはいけないというルールがありました。数学の解法はそれ自体が私(わたくし)のものとされ、家のものとして代々伝承されました。

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