じじぃの「村上龍×孫正義①!カンブリア宮殿」

Softbank孫正義とAlibabaジャック・マーが対談 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NrwKIoniics&feature=related
カンブリア宮殿 2010年7月12日 テレビ東京
【司会・ホスト】村上龍小池栄子
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20100712.html
どうでもいい、じじぃの日記。
7/12、新聞のテレビ欄に「村上龍×孫正義」と出ていた。面白そうだったので観た。
大体、こんなことを話していた。
4年間待ち続けたあのゲストは満を持して登場する。それはこの男だ。
携帯参入、iPhoneiPadと日本のIT社会を常にリードしてきたソフトバンク社長、孫正義
裸一貫から30年で今日のソフトバンクをを築きあげた男、孫正義。世界のキーパーソンをなぜ、惹きつけるのか。
孫正義の実像に迫る。
村上 ソフトバンク孫正義を知らない日本人はいないと思います。いろいろありますが、これからどう見ているのか教えてください。
  間違っても公家集団になってはいけない! 戦う軍団でなければいけない。
小池 (パネルを出して)固定電話、携帯、インターネット接続と、グループ企業800社、21,000人の従業員がいます。
  ビジョンは「情報革命」という点で一致しています。
東京汐留にあるソフトバンク本社。このビルだけで1万人が仕事をしている。小池栄子さんが会社を訪問した。最初にiPhone事業推進部へ。
小池さん、「大変なことは」。社員、「特にない。面白いです」
CMでおなじみの犬のぬいぐるみが置いてある部屋へ。犬のスリッパ。別のぬいぐるみに触ると「その手で触らないでくれ!」(犬がしゃべる)
商品企画部へ。ガンダムとのコラボレーション。社員、「シールド越しにビームライフを変える・・・・」
今度は社員食堂へ。フロアがすべて社員食堂になっている。座席数は1000席。店舗が10社あり、ピザの店、吉野家も入っている。
この後、社長室へ。そこで見たものは。
ドコモ、auの携帯がすべて並べられている。孫さん、「常に携帯の実態価格をチェックするため」
坂本龍馬の大きな写真のパネルが飾られている。坂本龍馬銅像、拳銃、刀がある。孫さん、「これは坂本龍馬直筆の掛け軸なんですよ」 (龍馬に)「『そんなんじゃ、いかんぜよ』と言われている気がする」 「常に戦いの場にいるという思い」
最後に記念撮影して終了。
村上 犬のCMですけど。
  2週間で全部揃えないといけない。後1日でお父さん役は誰にしたら。
村上 犬にお父さんやって、成功すると思っんですか。
  お父さん、どうしよう。お父さんをやってくれる役者さんも忙しいんですよ。それで犬になった。普通のことをやっても目立たないし、どうせならチャレンジだと。
1974年、1人の少年がアメリカに旅立った。16歳の孫正義だった。アメリカは日本より10年進んでいる。
カリフォルニア大学バークレー校に入学するための試験で試験管に、「辞書の使用を認めてください」 「英語力だけで、問題を解けないわけではありません」
バークレー校に入学。そこで学生が自由に使えるコンピュータに出会った。「これからはコンピュータの時代だ。デジタル革命は必ずやってくる」
村上 アメリカでめちゃくちゃ勉強した。
  勉強の虫というのは嫌い。勉強の鬼になった。
村上 1週間位でお金持ちになるのはどうすればいいか。発明がいいと。
  翻訳機を作った。試作機を作る時に「先生、力を貸してください。時給をちゃんと払います。先生の言い値で払いますが無茶な金額を言わないでください。今はお金がありません。後払いです」。言葉が分からなくても、目から火が出ていました。執念ですね。
1980年、カリフォルニア大学バークレー校を卒業し、日本に帰国。当時日本はパソコンの黎明期。そんな日本を牽引していたのはアスキー社長西和彦だった。
孫は考えた。自分はソフトを開発する開発力はない。しかし、パソコンはこれから爆発的に売れる。今がチャンスだ。ソフトを取り寄せ並べた。またたくまに流通業界の覇者になった。「急成長するには1番でなければダメなんです。2番ではダメなんです」。株を公開し、2000億円を手に入れた。
1990年代に入るとバブルが崩壊。逆風のなか、孫が考えたのはM&Aだった。当時ITの最新はアメリカ。アメリカに自分の居場所を作る。
1995年11月、孫はアメリカのシリコンバレーに向かう。ヤフーだった。社員は5、6人。孫を迎えたのは2人だった。2人と会い、話をするうち、「これは、延びる」
2001年、ヤフーと共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始した。
ソフトバンクは日本一の検索エンジンの会社になった。孫はForbesの表紙を飾り、インターネットの覇者としてアメリカの雑誌で紹介された。
しかし、ソフトバンクの株価は下がり、2年で時価総額が70分の1になった。
孫はガリバーNTTに挑戦した。インターネットの接続。1ヵ月0円、徹底した無料作戦。14億の赤字を計上した。
村上 孫さんを有名にしたのはテレビ朝日の買収ですね。
  マードックと組んでテレビ朝日の株を取った。しかし、マードックは衛星放送、僕はインターネットが目的。テレビ朝日は買収ではなくて提携です。
村上 「麗しき誤解のうちに他人の褌(フンドシ)で勝負する」があります。
  ソフトバンクは自分で何も発明していない。だが、他人の褌を借りても一つの方法だ。麗しき誤解のうちにガツンと手を組んでしまえ、です。ちっぽけでも、ちっぽけな人が集まれば、何か面白いことができる。自分には人類に何か貢献したいという思いがあります。
2004年、「福岡ダイエーホークス」のダイエーからソフトバンクへの球団譲渡が正式発表された。
堀江貴文氏が語る。「ギリギリのバクチをするのが、彼の喜びである。他にはそういう人は見当たらないですね」
王貞治氏が語る。「目先の結果を求めるのではなく、世界的視野で求めている。決して業績が悪いとか、言ったことはないですね。忍耐強い」
この頃、インターネットの接続はようやく軌道に乗り始めた。ボーダフォンを買収し、携帯電話事業に乗り出す。インターネットの接続の時と同じように、0円攻勢を仕掛ける。
2006年、孫は秘かにスティーブ・ジョブスと会った。「iPodはすばらしい。あなたは携帯は考えていないのか」。ジョブスはニヤッと笑った。孫は秘かにジョブスが新型携帯を開発していることを知った。iPhoneの投入で携帯電話は躍進を遂げた。
村上 ボーダフォンを買収するとき、野球のことは考えていたのか。
  ソフトバンクはまだ世間に名前を知られていなかった。野球は国民スポーツだから、ソフトバンクというブランドを出すチャンスだと考えた。
村上 野球は好きだったのか。
  小学生のとき、野球をやりながら、将来は自分の球団ぐらい持ちたいと思っていた。
小池 孫さんはなぜ、携帯をやろうと思ったのですか。
  携帯でインターネットが出来る。インターネット接続業者にならないと、インターネットに参入できないからです。
村上 ボーダフォンを買収で(ボーダフォンの)利用者がどれだけ残ってくれるか。
  NTTもauも端末でいいものを揃えている、ネッワークもいい。買収した後で、契約者にアンケートしたら3分の1が他社にいくという調査結果が出た。もし、3分の1が抜けたら赤字転落。そうすると2兆円の借入は、まさに重石(おもし)となって倒産に追い込まれるというリスクがあった。ドキドキものでした。崖っぷちにガーンと追い込まれると一生懸命考えざるを得なかった。
じじぃの感想
「小学生のとき、野球をやりながら、将来は自分の球団ぐらい持ちたいと思っていた」
やっぱ、頭の構造が違う。