じじぃの「人の死にざま_282_江利・チエミ」

江利チエミ - あのひと検索 SPYSEE
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江利チエミさん、久保多紀子さんを偲んで 1/2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=fd_sRAxI1go
江利チエミ テネシー・ワルツ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Ref05eIzNpI
高倉健さん 大物女優に結婚迫られたが江利チエミへの想い貫いた 2014.11.22 NEWSポストセブン
11月10日悪性リンパ腫に侵され、都内の病院で亡くなった高倉健さん(享年83)。俳優として揺るがぬ地位を築いてきたが、これまでプライベートをほとんど明かしてこなかった。そんな秘密主義を貫く健さんだったが、生涯で一度だけ私生活を共有した人物がいた。
それが1959年2月に結婚した江利チエミさん(享年45)だった。彼女は美空ひばり雪村いづみと“三人娘”と呼ばれた昭和を代表する歌手だ。
http://www.news-postseven.com/archives/20141122_288268.html
『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
2月13日−江利チエミ (歌手)
美空ひばり雪村いづみと共に「3人娘」と謳われた人である。
テネシー・ワルツ』、『カモンマイハウス』と、ヒット曲は少ないが、明るくコミカルな芸とそのタレント性は3人娘の中でも群を抜いていた。
しかし、私生活は不幸を絵に描いたような人だった。高倉健との離婚、カネをめぐって親類との確執。チエミはやるせない想いで胸がいっぱいになると酒に走った。自らへの言訳のようにミルクで割ったウイスキーを痛飲する日々。
顔で笑って心で泣いてとはよく言うが江利チエミの芸能生活はまさにされだったのかもしれない。
スターらしくない孤独な死だった。私は彼女の死が報道された時、思わず、「お疲れさま」と言わずにはいられなかった。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
江利チエミ (1937-1982) 45歳で死亡。 (一部抜粋しています)
戦後昭和27年、「テネシー・ワルツ」で売り出し、美空ひばり雪村いづみと歌の「3人娘」といわれた江利チエミは、昭和46年、俳優高倉健と離婚し、47年、付人をやっていた異父姉に財産の大部分2億円をだましとられるという災難を受けたころから落ち目になり、キャバレーやドサまわりの運命に落ちていった。
昭和57年2月12日、彼女は熊本での地元呉服店主催のキモノ・ショーのアトラクションの出演を終えて昼ごろ帰京し、芝大門のすし屋で食事するとともに酒を飲んだ。彼女は酒好きで、高倉健との離婚の一因もその大酒癖にあるといわれていたが、このときも酔っぱらって、午後3時ごろ自宅のマンション高輪ヒルズ406号室に帰るのも、木村マネージャーの助けをかりなければならないほどであった。帰ったあとも彼女は、ミルク入りウイスキーをしたたか飲んだ。
皮肉なことに、彼女が昭和53年に吹きこんだ「酒場にて」という歌が、このころややヒットの徴候を見せていた。
「好きでお酒をのんじゃいないわ
 家にひとりで買えるのがこわい私よ。・・・・」
木村マネージャーは、彼女をふだん着のままベッドに寝かせてひきあげた。
翌日午後2時半、木村マネージャーが、次の北海道帯広でのショー出演のため迎えにゆくと、チエミはきのうのパンタロン姿のまま、ベッドにうつぶせになって血まじりの吐物を吐いて死んでいた。
解剖の結果、死亡は同日午前7時ごろ、死因は、吐いたものが、泥酔のため気管につまったためであることが判明した。

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