じじぃの「人の死にざま_260_テレサ・テン」

テレサ・テン - あのひと検索 SPYSEE
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訒麗君 (テレサ・テン) 愛人(日) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bheMy7-Kvsw
訒麗君 (テレサ・テン) つぐない (1984) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LxbDwPq4XDs
テレサ・テンメモリアルページ/トップページ
http://www.ne.jp/asahi/lily/teresa/teresa/
テレサ・テン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
テレサ・テン(訒麗君、1953年1月29日‐1995年5月8日)は、1970年代から1990年代にかけて主に中華圏アジアと日本を中心に活躍した台湾の歌手。日本や台湾、香港をはじめとする東アジアで絶大な人気を誇っていることから、「アジアの歌姫」と呼ばれている。台湾を代表する歌手の一人。
英語名のテレサ(Teresa)は、彼女自身が尊敬するマザー・テレサに因んでつけたものと言われてきたが、実際はカトリック信徒だった彼女の洗礼名を転用したことが明らかにされている。テンは本名の姓『訒』の中国語音をウェード式表記し、英語読みしたものである。
作品の累計売上は、控えめに見積もっても1億枚を超えるという。
【経歴】
1984年再来日。レコード会社をトーラスレコードに移籍、日本でリリースした『つぐない』、『愛人』がそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』が200万枚を売る大ヒットとなる。1984年から1986年にかけ、日本有線大賞及び全日本有線放送大賞の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞した。1985年12月には、彼女のソロコンサートとしては最後となるが、最大規模の演出をこらしたNHKホールコンサートが開催される。この時の歌唱は彼女のライブ公演の中でも最高の水準のものとして高い評価を得ている。
1987年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動を殆ど休止するようになった。1990年以降はパリに居住。中華人民共和国の北京における天安門事件に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持った。1990年代に日本をはじめとするアジア各国で二回ほど彼女の死亡説が流れたりもした(一度目は1990年5〜6月に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が、二度目は翌1991年4〜5月に病死説・暗殺説が流れている。死亡説に対してはそれを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた)。1980年代後半以降のテレサは演歌・ムード歌謡というよりもJ-POP寄りで、ASKA桑田佳祐ZARD坂井泉水らの曲も歌っているため、必ずしも演歌歌手とはいえない部分が多い。日本での最後のテレビ出演は、1994年11月に放送されたNHK『歌謡チャリティーコンサート』(仙台市にて公開録画)だった。
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さだった。1990年から同棲関係にあった14歳年下のフランス人、ステファン・ピュエールが最期を看取った。同月28日に台北国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。墓所台北市の北東に位置する没後10年目に当たる2005年5月8日には、日本をはじめとするアジア各国からファン300人ほどが墓所に詰めかけ、追悼集会を開いて生前のテレサ・テンを偲んだ。台湾での彼女はあまりにも偉大なので、遺体は火葬されず防腐加工などを施され土葬された。没後50年は生前の姿であり続ける。なお、台湾でこのような形で眠っているのは、蒋介石蒋経国テレサ・テンの三人だけである。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
5月8日−テレサ・テン (歌手・42歳)
ぜんそく発作の末の死という報道を耳にした時、私は彼女の死を他人事のように思えなかった。
それというのも私も生来のぜんそく持ちで、この業病にはずいぶんと泣かされてきたからだ。病に人が倒れるというのはどんな人であっても痛ましいものだ。
びろうどの歌声を持つアジアの歌姫と言われたテレサ・テンは台湾人らしいつつましやかさと女性的な優雅さを併せ持った美人歌手だった。
荒木とよひさ三木たかしとでつくりあげた多分に男の幻想的な女性の理想像をしっとりとうたいあげ、その日陰に耐えて咲く花の愛らしさをアピールした。
欧陽・韮韮、アグネス・チャン、ケイ・ウンスク、キム・ヨンジャとアジアからやって来た歌手はたくさんいるが、日本人に一番愛されたのはテレサ・テンその人だったのではあるまいか。

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テレサ・テン没後15周年、5月8日、中国でブーム再び、民主化運動マグマに? 2010.5.7 MSN産経ニュース
【上海=河崎真澄】台湾出身の女性歌手で日本でも活躍したテレサ・テン(トウ麗君)さんが1995年5月に滞在先のタイで42歳の若さで急死してから8日で15年を迎えるが、中国ではこのところ「テレサ・テンブーム」が静かに広がっている。気管支喘息ぜんそく)による発作とされた死因を改めて検証する動きや、テレサ・テンさんが熱望しながら果たせなかった中国でのコンサートを、江蘇省南京で“再現”させる計画がある。
89年6月の天安門事件など中国の民主化運動に深く傾倒したテレサ・テンの歌声に、経済発展の陰で封殺された民意の苦悩を重ねている節もあり、社会の格差が極端に広がる中で、このブームが民主化運動のマグマになる可能性もある。
中国のネットサイト「中国網」が昨年秋に行った調査で、新中国成立後、最も影響力のあった中華圏の文化人として首位に選ばれたのがテレサ・テンさん。
中台が緊張関係にあった80年代、テレサ・テンさんの楽曲販売が中国で禁じられたものの、「白天聴トウ小平、晩上聴トウ麗君(昼はトウ小平の話を聞き、夜はテレサ・テンの歌を聴く)」といわれるなど、同じ姓のトウ小平氏の実権に劣らぬ影響力のあるテレサ・テンさんの人気は衰えなかった。
没後15周年を前に、中国のメディアは医療関係者やテレサ・テンさんの遺族や友人らへの取材から、「テレサ・テンさんがチェンマイに連れていったフランス人の男友達の暴力が死の原因ではないか」といった説を唱えたり、テレサ・テンさんの友人が撮影した未公開のプライベート写真などを紙面に掲載したりしている。
また、今月21日には江蘇省南京の人民大会堂で、テレサ・テンさんが歌う映像を特殊技術で舞台上に投影し、その場で本人が歌っているかのように姿を映し出すコンサートが開かれる予定だ。テレサ・テンさんの歌声にそっくりというトウ雅之さん(27)も登場。80年代の中国で民族の精神的汚染を招くとして禁じられた「何日君再来」などを歌う。
こうしたブームについて上海の芸能関係者は、「テレサの楽曲への高い評価のみならず、テレサの歌が政府への抗議どころか不満を漏らすことさえ難しい中国の大衆の心を代弁しているからだ」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100507/chn1005071749001-n1.htm
テレサ・テン Google 検索
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