じじぃの「人の死にざま_238_ベルクソン」

あの人に会いたい アンリ・ベルクソン SPYSEE
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アンリ・ベルクソン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
【思想】
生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタイン相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。
一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。 因みに、1913年、英国心霊現象研究協会の会長に就任している。
こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義形而上学、経験主義的形而上学とも称される。
【影響】
ベルクソンの哲学が、当時の人々にはもちろん、後の世代にも大きい影響を与えた。その影響は、弟子のガブリエル・マルセルハイデガー、ジャンケレヴィッチ、ウィリアム・ジェームズ、サルトルバシュラールレヴィナスメルロ=ポンティ、シュッツ、ドゥルーズ西田幾多郎といった哲学者たちのみならず、宗教学者のジャック・マリタン、政治哲学者のジョルジュ・ソレルや作家のプルーストなど幅広くに及んでいる。
小林秀雄が1958年−63年に、月刊『新潮』にて「感想」のタイトルで<ベルクソン論>を書き続けたが、未完に終わった。2001年より刊行された新潮社『小林秀雄全集』別巻1、また現代かなづかい・語注入りで『小林秀雄全作品』別巻1、2に収められた。
【著作】
・Essai sur les donnees immediates de la conscience (1889)
 『意識に直接与えられたものについての試論』(ちくま学芸文庫
  (独・英訳題名『時間と自由意志』)
  (邦訳名 『時間と自由』 岩波文庫白水社白水Uブックス
・Matiere et Memoire (1896)
 『物質と記憶』 ちくま学芸文庫
・Le rire (1900)
 『笑い』林達夫訳 岩波文庫、のちワイド版

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ベルクソン (1859-1941) 82歳で死亡。
「人間は、可笑しいから笑うのではない。笑うから可笑しいのだ」−−一般には『笑いの哲学』で知られるフランスの哲学者で、ノーベル賞も受けたアンリ・ベルクソンは、65歳ごろからリューマチにかかり、公的活動からしりぞいて蟄居(ちっきょ)生活を余儀なくされた。
それから16年間、身体の付随は徐々に進行し、訪問客があれば、いつも書斎の同じ椅子で、指のかたちのゆがんだ白い手をさし出すのを常とした。
1940年12月、ナチ占領下のパリで、彼はさびしげにつぶやいた。「私は長生きし過ぎたようだ」
その年の冬は、石炭欠乏のためパリでの生活はきびしく、彼は風邪をひいた。そして肺炎になってわずか3日ばかりで、1941年1月4日にこの世を去った。ナチ占領下にあったため、ユダヤ系であるこの大哲学者の葬儀は、葬儀らしいかたちをなさないほどわびしいものであった。

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ベルクソンの言葉
「虚栄心の特効薬は笑いであり、そして本質的に笑うべき欠点は虚栄心である」