じじぃの「人の生きざま_28_森田・一義(タモリ)」

タモリ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA/88851/
笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号 OP 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=CNunZ69vyPA
タモリさんのデタラメ外国語バスガイド編! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GNVZ-H0ldNA
NHKスペシャル 「戦後70年 ニッポンの肖像プロローグ 私たちはどう生きてきたか」 2015年1月1日
【キャスター】三宅民夫有働由美子 【ゲスト】タモリ堺雅人中園ミホ半藤一利戦後70年の節目の年を迎える2015年。
これからの日本や日本人に何が必要なのかを考えるために、戦後日本人の70年間の歩みを振り返る。
1945年8月、終戦の1週間後に生まれ、今年70歳になるタモリさん、高度経済成長期に生まれた堺雅人さんなど、各世代を代表するゲストをスタジオに招き、戦後復興から高度成長、バブル崩壊、そして現在に至るまで、BHKの豊富な映像や全国3600人に行った世論調査の結果をもとに日本人の生き様についてじっくりと語る。
半藤、「司馬遼太郎さんが亡くなる1年前に言っていたことだが、自然を愛する心があれば、あの時代に戻ることはないと」
タモリ、「資本主義が行き詰っている。ちょっと資本主義に手を加えることとより良い社会が実現できるのではないか。日本人の勤勉さや従順さを生かした新しい資本主義を日本が世界に先駆けて実現できるのではないか」
アンケート結果:1位.戦争のない平和な社会 40%
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0101_2/
タモリ ウィキペディアWikipedia)より
タモリ(本名:森田一義(もりたかずよし)、1945年(昭和20年)8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、声優、ラジオパーソナリティー、作詞家、実業家、日本坂道学会(副会長)。福岡県福岡市南区出身、現在は東京都目黒区在住。身長は161cm。株式会社田辺エージェンシー所属。女優の伊佐山ひろ子とは遠戚。
【概要】
地元の福岡県で保険外交員、喫茶店従業員、ボウリング場支配人など様々な職を経て、ジャズ・ピアニストである山下洋輔らと出会った事などをきっかけに東京へ上京、30歳で芸能界入りをした。
1970年代後半頃までは、萩本欽一ビートたけしと共に、日本のお笑い芸人『ビッグ3』であった。
また、所ジョージとんねるずなど見出した1人でもある。
現在では司会業が中心で、中には20年以上続く番組がある。司会者ながら、聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。自ら、「省エネ司会」「エコ司会者」と言っている。特に『いいとも!(森田一義アワー 笑っていいとも!)』の司会者として知られ、同じ司会者による最長寿テレビ番組としてギネスブックに登録されており、2009年現在においても記録を更新している。特定の師匠や修行経歴を持たず、素人芸を極めて一家を成した。また、料理や船舶、鉄道、坂道等と多芸・多趣味で知られる。
【トレードマークのサングラス】
1975年のデビュー当時は、眼帯(アイパッチ)を着用してテレビやラジオにCM、CDのジャケットなどに出演していたが、後に1978年頃から主に黒色のサングラスを使用し始め、『いいとも!』が始まって以降は、主にレイバンサングラスのみを使用し、2011年現在に至るまでタモリのトレードマークとなっている。サングラスのコレクションは30〜40種類は所持していて、実際に使用するのは1つか2つ程度。
昼の帯番組ではイメージが良くないという配慮からサングラスのみを使用した。『いいとも!』開始当初から1990年最初までと1991年から1996年までの頃は「昼の番組で真っ黒なサングラスはいかがなものか?」という理由から目元がほぼ見える薄茶色のサングラスを着用していた。
現在着用している黒い色のサングラスは「テレフォンショッキング」に出演した際に内藤剛志からプレゼントされたものである。
【小学校時代】
小学校3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。
小学校5年生の頃、予餞会(卒業生を送る会)で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。だが、脚本家として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。スポーツにも興味があり、野球をやっていた。現在はラグビーなどのスポーツ観戦も興味があるという。
小学生の頃、祖母に「今の内から男も料理をするようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。その為、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作ろうとした時には、タモリ一人で大体の料理を作ったり、だしの取り方まで全部覚えていたと語っている。

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タモリの「笑っていいとも」 2010.3.29 フジテレビ
テレフォンショッキングのゲストは茂木健一郎さん。「坂本竜馬のように脱藩しよう!」という話です。
茂木  坂本龍馬は脱藩してるんですよ。26歳の時にね。
タモリ あの当時は幕末、脱藩ってのは犯罪みたいなもんですからね。
茂木  今の世の中は、よい大学入れば安心とか、正社員だと安心するとか。
タモリ 脱藩して会社まで作ってますからね。あの人。
茂木  龍馬さんは身長が172センチで、体重80キロ。
タモリ かなり太ってたんですね。
茂木  メタボなんですよ、龍馬さんは。タモリさんなんかも、ずっと脱藩してるようなもんです。
タモリ 脱藩してるような、ホントに。追われる身ですよ。脱藩して。
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茂木  実はこの人、何年何月何日何曜日。何があったかを全部覚えてる。
タモリ えっ。全部覚えてる。
茂木  ここにも変わった人いるかも、タモリさんもでも、絶対変わった能力あると思いますけど。
タモリ いやぁ、物覚え悪いですね。
茂木  地図、地図関係とかあのほら、等高線から出すとか。
茂木  あといろいろと形態模写。イグアナとか、4ヵ国語マージャンとか。
タモリ やります、やります。
茂木  ああいうのが出来るってのもやっぱり特殊な能力ですよ。

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『巨泉日記』 大橋巨泉/著 講談社 2000年発行 (一部抜粋しています)
タモリのエネルギー
インタビューと打ち合わせをこなしてからオークラを出て、世田谷に向かう。年に1回出演が恒例になっているタモリの「ジャングルTV」に出演する。ボクは関根勉のひそかなファンであって、彼に会うのも楽しみのひとつ。関根の良い所は、大向うウケを狙わず、解る人だけにだけウケれば良いギャクをひそかに放つ所。同じタモリの「笑っていいとも」の月曜などは、日本にいる時は欠かさず見ている。関根君にウケてもらおうと、向井千秋さんを「横山美智子イン・スペース」とやったが空砲だった。彼の年齢では、横山美智子という往年の人気女子プロ・ゴルファーを知らないのである。
今年も1時間若返ってナインティナインなどと騒いで来たが、タモリの偉い所は50を過ぎても、若者とお笑いができるエネルギーである。台本のある芝居と違って、これはたいへんなパワーが必要なのだ。最近のたけしは、もうやらなくなってしまったようだ。
終ってお茶の水の「ピストロ備前」へかけつける。昭和27年入学の早大新聞学科のクラス会である。今日も17人集まる。以前は銀座のテンプラ屋で行っていたのだが、去年ボクがおそるおそる提案したフランス料理が受けて、今年ウラを返すことになった。来年で全員"年金受給者"になる同級生の、元気な顔を見るのはうれしい。この齢になると、誰が成功したとかカネを儲けたでなく、誰が健康かというのがプライオリティーになる。これにいつ気がつくかが、人生の幸福につながるのだ。
                                  (11月7日)

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