じじぃの「人の生きざま_276_ミッキー・安川」

ミッキー安川さんが肺炎で死去 2010年1月18日 ORICON STYLE
コメディアン、歌手、俳優、評論家と多岐に渡って活躍し、現在はラジオパーソナリティとして人気だったタレントのミッキー安川さんが18日午後2時55分、肺炎のため死去した。76歳だった。
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/72560/full/
ミッキー安川 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%AE%89%E5%B7%9D/20855
1/3 ミッキー安川氏を偲んで 終戦の日特集 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Y5j7uYiFL3U
ミッキー安川追悼番組.(編集短縮版) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NxAi2p-Yf7I
ミッキー安川 ウィキペディアWikipedia)より
ミッキー安川(1933年2月10日 - 2010年1月18日)は、神奈川県横浜市出身のタレント、ラジオパーソナリティ、随筆家、実業家。本名は安川実。
【来歴】
横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米。人種差別が色濃く残る南部地方の習俗に揉まれ、研鑽を積む。180cmの大柄な体躯で、アメリカ人相手に喧嘩に明け暮れた。1954年に、カリフォルニア州のサンディエゴ市立大学(2年制のコミュニティカレッジ)に転校。同大学の卒業所要単位を4単位ほど残したままアリゾナ州フェニックスの貿易大学院に入学(大学名は不詳)。しかし授業料の3分の1しか払えなかったため中退を余儀なくされ、学位は取得していない。
アール・エフ・ラジオ日本ミッキー安川の「勝負」シリーズ(『ミッキー安川のずばり勝負』など)で、毎回政治家や評論家相手に歯に衣着せぬ物言いで政治から思想・経済観まで彼の独自の経験から縦横無尽に語る事で知られた。

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文藝春秋 2010年3月号
蓋棺録 「ミッキー安川 (一部抜粋しています)
タレントのミッキー安川はコメディアン、司会、コメンテーター、エッセイストなど、多彩な活動で知られた。
1933(昭和8)年、横浜に生まれる。父親は漁業組合長で、ハーレーダビッドソンを乗り回しているのが、「子供の俺にも、誇らしく感じられた」。小学生のころは悪童で、、教師たちにしばしば殴られたという。
横浜高校をへて、18歳でアメリカに渡る。大学に入ろうとするが、英語力が十分でなかった。アルバイトしながら、小学校から始めて高校、大学を渡り歩き、4年間、アメリカの底辺を体験する。
帰国して、日劇ミュージックホールのコメディアン、俳優などで食いつないだが、60年に書いた『ふうらい坊留学記』がベストセラーとなる。以降は、司会やリポーターなどの仕事が回ってきた。60年代の「ローラーゲーム」の実況中継が好評で、70年代「TVフォーカス」でキャスターを務める。80年代には三浦和義ロス疑惑を、現地のロサンジェルスからレポートして注目された。
74年ころ、福岡の長浜ラーメンにほれこみ、ほぼ毎日通って味を研究。ついには自ら「ミッキーラーメン」を開業する。
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最近はラジオ日本の仕事が多く、「ミッキー安川のずばり勝負」では、政治家を含むゲストと本音で論争して聴取者を喜ばせる。体当たりで対象に迫る行動力と、日本人の盲点を衝く、意外な視点からの切り込みが身上だった。

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