じじぃの「人の死にざま_218_アンネ」

Anne Frank: the only existing film images 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4hvtXuO5GzU
アンネの日記 The Diary of Anne Frank NHK BShi 海外ドラマ
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/anne/index.html
『生きる技術は名作に学べ』 伊藤聡/著 ソフトバンク新書 2010年発行
かわいそうだけじゃかわいそう−−アンネ・フランクアンネの日記 (一部抜粋しています)
「この日記でも、すべての不自由をユーモアまじりで描いてきたつもりです」と彼女は書いている。この世界はとてもでたらめな場所だ。ときに救いようもなく残酷で、あまりに身も蓋もない現実をふらふらとさまようわれわれは、どこかとても情けなく、弱く、悲しい存在で、だからこそ最後には、世界のあまりのいいかげんさに気が付き、すべてを打破できるのはユーモアであることを知る。そして、そのような想像力とをともなうユーモアには、比類なくつよい力があるとわたしはおもう。
第二次世界大戦終結まで残りわずかとなった1942年に、この日記は開始されている。ドイツの戦況はおもわしくなく、しだいに敗戦は決定的になっていくが、この時期のドイツはよくわからない政策ばかりで、順当に考えれば戦争へと向けるべきリソースの多くを、なぜかユダヤ人の迫害に費やしていた。ユダヤ人を迫害したところで、国にとってはなんの利益にもならず、たんに費用や人材といった負担が増すばかりであり、戦況はさらに悪化していくだけである。
どうせ負けるのなら、敗戦までにひとりでも多くのユダヤ人を強制収容所に連れて行け、という、きわめて異様な自暴自棄の状態であったようにわたしはおもう。ここまでやけっぱちになった人びとのふるまいを他に知らない。
この時期の資料を読むと、アンネが隠れ家での生活を開始し、密告から逮捕、収容所への連行にいたるまでの3年間は、ヨーロッパにおけるユダヤ人への迫害が、ピークに達した3年間であったことがわかる。
ちょっとした物音や、不意の来客にも震えあがるような隠れ家の生活。ずっと怯えながらすごしたアンネは、いったいどのような気持ちでこの世界を眺めていたのだろう。彼女はこの世界を醜いものだと考え、絶望していたのだろうか。それとも、希望の見えない状況のなかに、ささやかなユーモアや美しさを見つけながら暮らしていたのだろうか。
日記は、いっさいドラマティックな展開や結論もないまま、とつぜんに終っている。

                                          • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
アンネ (1929-1945) 16歳で死亡。
1942年ナチスユダヤ人迫害からのがれたアンネ・フランクの一家は、2年間アムステルダムの隠れ家にひそみ、アンネはその間、いたましい『アンネの日記』を書きつづったが、ついに一家は発見され、それぞれ収容所へ送られた。
1944年10月30日、マルゴットとアンネの姉妹は、ベンゲン・ベルゼンの収容所に移された。・・・・1945年2月、2人ともチフスにかかった。マルゴットは、アンネの上の段の寝床に寝ていたが、ある日彼女は起き上ろうとして、床に落ちてしまった。すでに衰弱し切っていた彼女は、ショックのために死んだ。
姉の死で、アンネの気力はがっくり挫(くじ)けた。マルゴットの屍体が運び去られるのを見たアンネは、ベッドの中で顔をあげてつぶやいた。「お父さんもお母さんももう死んでいるにちがいないし、これでわたしは家に帰る目的がなくなったわ」
それから数日後、連合軍の部隊がすでにフランクフルトにはいっていた3月はじめのある日、アンネは蝋燭(ろうそく)の灯の消えるように、しずかに息をひきとった。(皆藤幸蔵訳『アンネの日記』より)

                                          • -

アンネ Google 検索
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=5i2YS6-LNI6TkAXV7PWKAQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBcQsAQwAA