じじぃの「科学・芸術_298_世界を変えた10冊の本・『アンネの日記』」

Anne Frank - The Only Known Video 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=qyFW7GMqcdI

アンネの家族をドイツに密告したヒトは誰ですか 2012/6/30 Yahoo!知恵袋
回答
この動画でおばちゃんが密告してるでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=bmx_W8yCZv8&playnext=1&list=PLFE0ED7...
オットー・フランクが経営する調味料会社で働いてた従業員です。
この人たちが密告した可能性が高くこの人たちは戦後外国に逃げたのです。
オットー・フランクは追跡しませんでした。というのはこの人たちにも家族がいて子供がいるからです。どうせ外国で人目をはばかって生きてるだろうから。子供たちは祖国をはなれ辛い思いしてるだろう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389974373
『世界を変えた10冊の本』 池上彰/著 文藝春秋 2011年発行
アンネの日記 1947年 アンネ・フランク より
1942年になると、オランダ国内でもユダヤ人たちに次々に召喚状が届き始めます。呼び出しに応じて出頭すると、そのまま強制収容所に送り込まれ、二度と出て来られませんでした。
この年の7月、アンネの姉のマルゴーに召喚状が届いたことをきっかけに、アンネ・フランク一家は、逃亡を決意。父親が経営していたペクチン製造会社の事務所の入っているビルの裏側の3階と4階のフロア―を隠れ家にして、生活するようになります。
事務所と隠れ家の間の秘密の通路は書棚で隠されました。事務所で働く事務員のミープ・ヒースらが一家を匿(かくま)い、食料品の買出しなどで支援してくれました。事務所で働く職員の中には、このことを知らない人たちもいて、この人たちに気づかれないように暮らす生活が始まったのです。
アンネたちが隠れ家に入った1週間後、知人のファン・ペルス家の3人が加わり、さらに4ヵ月後、知人で歯科医のフリッツ・プフェファーが加わりました。総勢8人による隠れ家生活が始まったのです。
アンネは、それより前の1942年6月12日、13歳の誕生日に両親からプレゼントされた日記帳に、オランダ語で日記をつけ始めます。隠れ家生活になっても、日記をつける習慣は続きました。
1944年3月、オランダのロンドン亡命政府の文部大臣が、オランダ向けの放送で、戦争が終わったら、戦争中の日記や手紙を集大成して出版すべきだと呼びかけます。
これを受けてアンネは、それまでつけていた日記を元に、それとは別に、将来出版されることを前提にした、推敲(すいこう)を重ねた日記を書き始めます。将来出版されるときには、『隠れ家』という題名にすることも決めています。その後、実際に、この題名で出版されました。
アンネの日記』の原題は『隠れ家』。この日記には、原本にあたるものと、出版を意識した版の2種類が存在するのです。
しかし、1944年8月4日、何者かによる密告で駆けつけたドイツ親衛隊と保安警察によって一家は逮捕され、強制収容所に送られました。13歳から15歳までの間に書き綴られた日記は、ここで中断させられました。
一家が逮捕・連行された後、一家を匿っていたミープ・ヒースが、アンネの日記帳を発見。こっそりと隠しておいたことから、私たちは、この日記を読むことができるのです。
強制収容所に送られた8人のうち、終戦まで生き延びることができたのは、アンネの父親のオットー・フランクだけでした。
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自分の体が、日々変化していく。それに伴って、精神も成長していく。少女から女性へ成長していくことで、アンネは、身近な男性の存在に気づきます。それが、ペーターでした。
ペーターはアンネより3歳年上。同居しているファン・ペルス家の一人息子でした。
第1印象は、けっして望ましいものではなかったようです。
  ペーターのことだけは、いまだに好きになれません。まったく退屈な子で、1日の半分は、のらくらベッドに寝そべってるきり。お手伝いでちょこっと大工仕事したかと思うと、またすぐ寝床にもどってお昼寝。なんておばかさんなのかしら!
そんな風にしか意識しなかったペーターを、やがて男性として見るようになっていきます。
それは、ある日のこと。暇を持て余したアンネは、ペーターの部屋を訪れ、一緒にクロスワードパズルを解いていました。
  ふと顔をあげて、彼の深いブルー目をのぞみこみ、彼がこのわたしの思いがけない来訪にとまどっているのを見てとると、わたしのなかに、奇妙な感覚が走りました。なぜか彼の心のうちが読みとれたんです。彼の表情には、困惑と、どうふるまったらいいのかわからないという自信のなさと同時に、わずかにちらつく男性意識らしきものを感じとれました。彼の物慣れない、内気そうな態度を見ると、わたしはなんだかとてもやさしい気持ちになって、こう言ってみたい衝動にかられました。ねえ、なんでもいいからあなた自身のことを話してくれない?
そして、その1ヵ月後。
  じつは。とてもうれしいことに(これについては、あくまでも正直にお話しするつもりですけど)、日曜の朝から、ペーターがしきりにわたしのほうを見ているのには気づいていました。普通の意味でじゃありません。(中略)わたしは努めて自分をおさえ、そうたびたびは彼のほうを見ないようにしました。というのも、こっちが向こうを見ると、向こうもきまってこっちを見てますから。そして、目が合うと――ええ、そうするとそのたびに、なにかしら温かい感情が身内を流れるんです。そしてそれは、そんなにたびたび味わえるような感情じゃありません。
その3週間後。
  告白しなくてはなりませんけど、いまのわたしはじつのところ、彼に会うことだけを目的に生きています。朝から晩まで、彼のほうでも私を待っていてくれるだろうか、それだけを知りたいと念じつづけていますし、彼のほうからはにかみがちに近づいてくるそぶりがちょっとでも見えれば、そのたびに胸を躍らせます。
こうして、遂に、「その日」が訪れます。1944年4月15日でした。
そのことを、アンネは翌日の日記に書いています。当日は、あまりに興奮して、文章を書けなかったのでしょうか。翌日の日記には、こう書いています。
  きのうの日付けを覚えておいてください。わたしの一生の、とても重要な日ですから。もちろん、どんな女の子にとっても、はじめてキスをされた日といえば、記念すべき日でしょう?
その日、何があったのか。ここでは書かないでおきます。あなたご自身で、確認されますように。きっと、遠い日(失礼!)の、甘酸っぱい思い出が、蘇ることでしょう。