じじぃの「人の生きざま_22_大橋・巨泉」

小倉智昭キャスター「小倉君、僕と一緒に競馬の仕事、やんないか?」 2016.7.20 産経ニュース
大橋巨泉さん死去を受け、キャスターの小倉智昭さんがフジテレビを通じてコメントを発表した。
先週の金曜日に、大橋巨泉さんが急性呼吸不全のため、82歳で亡くなったことを聞きました。覚悟はしていたのですが、私は相当、うろたえました。巨泉さんは私の師匠でしたし、恩人でもありました。まさか、こんなに早く、巨泉さんとお別れする日が来るとは思いませんでした。
http://www.sankei.com/entertainments/news/160720/ent1607200011-n1.html
大橋巨泉が語る、がん闘病から復帰し「徹子の部屋」に出演するまで【爆笑問題 日曜サンデー】 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ajTzqTTBu48
大橋巨泉 - タレントデータベース
http://www.d-aiba.com/top-page/%E7%94%B7%E6%80%A7/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E5%B7%A8%E6%B3%89/
大橋巨泉 ウィキペディアWikipedia)』より
大橋巨泉(1934年3月22日 - )は、日本のタレント、放送作家、司会者、評論家、元参議院議員オーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)前取締役会長兼エグゼグティブタレント、芸能プロモーター、エッセイスト、競馬評論家、馬主。血液型B型。
東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)両国生まれ。千葉県に育つ。現在は同県山武郡大網白里町在住。祖父は江戸切子の名人だった。
本名・大橋 克巳(おおはし かつみ)。芸名の「巨泉」はもともとは自身の俳号である。多くの芸能人や関係者が「巨泉」「巨泉さん」と呼び、「大橋さん」と呼ばれることは皆無に近い。「世界まるごとHOWマッチ」では「巨ちゃん」と呼ばれたことがある。「ヘキサゴン」に出た時はスザンヌに「キョンキョン」と呼ばれていた(他の出演者からも呼ばれた時があった)。
11PMクイズダービーなど司会者で活躍】
1960年代から1980年代にかけ、夜11時台のワイドショー番組『11PM』(日本テレビ。テレビデビューとなる。11PMの司会は他にも愛川欽也が担当していた)や、クイズ番組『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』(TBS)などの司会で名を馳せる。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズ通り、競馬や野球、麻雀の評論でも活動し、ニッポン放送の競馬中継『大橋巨泉の責任プロデュース 日曜競馬ニッポン』のメインパーソナリティーも務めた。その後、1990年3月に「56歳になったし、司会業は長くやるものではない」とテレビ、ラジオの全てのレギュラー番組を降板。メディア業界から「セミリタイア」した。
特に、「クイズダービー」内で巨泉は女性出演者に対して、よく下の名前で呼んでいた。例として、長年の4枠レギュラーだった竹下景子には「けいこちゃん」、2枠レギュラーだった山崎浩子には「ひろこ」など。但し、山崎の後の2枠レギュラーだった井森美幸に対しては、「みゆき」よりも上の苗字の「イモリ」で呼ぶことが多かった。また、2004年5月に放送されたクイズダービー復活版では、当時既に50歳となっていた竹下に対しても「けいこちゃん」と呼んでいた。
【OKギフトショップ】
1973年、カナダのバンクーバーに日本人観光客が日本語で買い物できる土産物免税店「オーケーギフトショップ」を開店し、実業家に転進。その後、バンフとナイアガラ、オーストラリアのゴールドコーストケアンズニュージーランドオークランドクライストチャーチにも店舗を開店し、幾多の倒産の危機を乗り越え、7店舗まで事業を拡大した。
【現在】
現在は、11月から翌年4月までオーストラリアとニュージーランドに、6月から9月までカナダに滞在し、経営するギフトショップの管理の傍ら、ゴルフを楽しむなど悠々自適の生活を送っている。太陽の動きに合わせ居住地を移動する生活形式をひまわり生活と呼んでいる。日本に滞在するのは5月と9月から10月末までの約3ヶ月間だけで、この期間はバラエティ番組にゲスト出演している。外国がとても好きなようだが、以前、福留功男の『ベストタイム』に出演した折、寿司を食べてビールを飲んでご満悦のご様子で「日本人でよかった」とコメントする一面も。
海外移住先をハワイではなくカナダ、オーストラリア、ニュージーランドにした理由について、井原高忠がハワイに移住したがハワイは物価が高く、ゴルフ場料金も高いため老後の移住先として不適格と判断したため。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの順で永住権(永住資格)を取得している。
【その他】
・1969年に放映されたパイロット万年筆のCMで譜面台の上で万年筆を走らせながらしゃべった「みじかびの きゃぷりことれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」という台詞が当時の流行語となる。この台詞は巨泉のアドリブだったといわれているが、一時は巨泉のものまねを演じる際に枕詞のように用いられることも多かった。

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『巨泉日記』 大橋巨泉/著 講談社 2000年発行 (一部抜粋しています)
草木や小動物に囲まれる幸福
約2週間にわたる東部カナダへの旅行を終えて、1昨日バンクーバーに帰って来た時は、さすがにクタクタであった。
昨日国境を越えてアメリカの最西北部にあるサマーハウスについたが、一日中女房と2人で周りの森を見てぼぉーっとしていた。2人とも東京の下町の育ちだが、もう大都会の生活はできない。草木や小動物達に囲まれて過す暮らしが、すっかり身についてしまった。
人は自分のため、家族のため、社会のために働いたら、土に帰る前に自分とつれ合い2人だけで暮らしたいように生きる権利があると思っている。もちろん死ぬまで都会の喧騒(けんそう)の中が良いという人もいよう。それもおおいに結構だが、ボクは幸運にも自然の中に住めるようなプラン通りに生きている。日本にもそうした暮らしができる所は豊富にあるが、はたしてわれわれ以降の世代の人達はその機会に恵まれるのだろうか。
女房と映画を見にゆく。スピルバーグ監督の新作「ライアン2等兵を救え」(SAVING PRIVATE RYANというのだが邦題は知らぬ)で、製作発表時から見たいと思っていた。4人兄弟のうち3人までが戦死したことを知った米軍司令官が、母親のために1人残った末弟を救えと1隊長に命令する話である。主演はオスカー2回のトム・ハンクスフォレスト・ガンプ)で小隊長役、ライアン2等兵は今内田氏のマット・デイモン(グッドウイル・ハンテング)。期待に違わぬ名作であった。
まずノルマンディ上陸シーンから最後まで、先頭場面は醜悪に、残酷に描写されている。女房は具合が悪くなって、食事ができなかったほどである。これはスピルバーグの意図だと思った。湾岸戦争のコンピュータ・ゲームのような報道を見て育った現在の青少年に、「戦争はあくまで醜く、汚く、痛いものだ」と教えているのである。だからこちらで問題になっている、アメリカ軍が武器を捨てて両手を挙げているドイツ兵士を打つシーンも理解できる。ひと言も"反戦"と言わない、見事な反戦映画である。
人は何のために戦うかというテーゼをつきつけて来る。ボクらのように「国のため、天皇のために死ね」と教えられて育った年代はもちろん、戦争を知らない世代にぜひ見て欲しい映画である。もうすぐ8月15日。
  浴衣(ゆかた)着て戦争(いくさ)の記憶うするるか  巨泉
                                  (8月3日)
第3の発明
ほんとうは来年一杯20世紀のはずだが、やはり1999年ということで、最近は「今世紀最後の」とか、「今世紀最大の」とかいう特集が目立つようになってきた。今日の新聞にも、オーストラリアにおける今世紀を代表するスポーツマンが選ばれていて、水泳のドーン・フレイザー(無敵だった東京オリンピックを憶えてますか?)や、テニスのロッド・レイバーなどの写真が載っている。別のコラムには、ゴルフのグレッグ・ノーマンが入っていないのはおかしいという意見もあって、なかなかおもしろく読んだ。
ボクにとって「今世紀」は少々大きすぎるが、ここ20年くらいにしぼれば、最高の発明はファクシミリと、トイレの温水シャワー洗浄装置である。前者のおかげで、こうして外国にいても数分で原稿が送れるし、時差の大きなカナダやアメリカとも効率的に通信ができている(現役の競馬評論家時代、これがあったら、どんなに楽だったろう)。また後者を常設してから、持病の痔病(シャレにもならぬ)から完全に解放された。日本発のこの発明、今や北米やオセアニアにも伝わっていて、今ではどこの家にも設置されているのだが、数年前まではポータブルのものを持ち歩いていた。
どうやらこれに第3の発明が加わったようである。ボクは睡眠8時間を厳守していて、人間の寿命は起きている時間に反比例すると信じている人間なのだ。ところが60歳を過ぎるころから、夜中や明け方に目が覚めて、2時間くらい起きていることが週に1〜2回はあるようになった。それに尿意や首のあたりにかく寝汗で目が覚めてしまうことが多くなっていた。どうも年齢的なもののようなので、なかば諦めていたのだが・・・・。
ここゴールドコーストの友人で、斉藤登富雄さんという人がいる。名古屋に住む建築設計士で、「手抜き建築」の告発でも知られる硬骨漢(こうこつかん)だが、普段はにこやかで大人しい人だ。またOKギフトの木村支配人の妻の晴代も名古屋の出身で、息子の大雅(トラ年生まれでタイガーと読む)をつれて、里帰りをしている。偶然この2人の共通の友人に森庸全さんという人がいて、先日名古屋から帰った木村に、ボクあてのプレゼントを預けたのだそうだ。
それは「おや炭(すみ)カーボン・ヘルスマット」といって、炭素繊維を織り込んだマットで、ベッドの上に敷いて、その上で寝ると良いという。何でも試すタイプのボクはすぐ使い出したが、それからというもの寝汗もかかず、夜中に寝つけないこともまったくなくなった。まだ1週間だが、これで解決となると、第3の発明になるのかもしれない。
                                  (11月23日)

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