じじぃの「人の死にざま_206_小林・多」

小林多喜二 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%9A%E5%96%9C%E4%BA%8C/2593/
蟹工船ブーム』について 佐藤優 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VgBvL6osr5E
2008年伊勢崎・多喜二祭、藤田廣登(ひろと)さんの講演 その5 of 5 動画 きらく
http://www.kiraku.tv/category/7042/movie/1/bogmGZk2pdg
ウェブマガジン カムイミンタラ 〜北海道の風土・文化誌
http://kamuimintara.net/sub/taki125a.html
歴史秘話ヒストリア 「たった一人のあなたへ〜『蟹工船小林多喜二のメッセージ〜」 2010年2月24日 NHK
【キャスター】渡邊あゆみ 【配役】小林多喜二役:木内義一
現在、日本の若者だけでなく、世界でも注目されている小説『蟹工船』。昭和の初め、人と人が違いを越えつながりあう強さを描いた作品を書いたのは、北海道・小樽で銀行員をしていた小林多喜二。過酷な労働環境で働く人々の苛烈な物語が、なぜ今、再び読まれるようになったのか。番組では、恋に人生に文学に悩み、29歳で命を落とした青年・多喜二の知られざる実像を紹介し、小説『蟹工船』に込められたメッセージを読み解く。
【はじまりの悲恋】
小樽の貧しい労働者街で育った多喜二は、親戚の支援を受けて進学、銀行に就職を果たす。エリートコースを歩み始めた多喜二だったが、夜の街で生きる一人の少女との出会いと恋をきっかけに、自らの生き方と文学を大きく変えていく。
【小説『蟹工船』誕生秘話】
初めて庶民の政治参加が可能となった第1回男子普通選挙。多喜二は積極的に無産候補の応援をする。しかし選挙直後、仲間たちは政治弾圧を受け、運動もつぶれてしまう。作家として、自らにできることは何か、多喜二は重大な決意をする。小説「蟹工船」誕生の秘密に迫る。
【多喜二の生涯】
小説『蟹工船』のヒットで一躍世に出た多喜二。しかし日本が戦争に向かっていく時代、多喜二へも弾圧の手は伸びていた。勤め先を解雇された多喜二は、東京へと活動の場を移すが、その生命はわずか29年で突然断ち切られてしまう。
http://matodoga.blog24.fc2.com/blog-entry-2885.html
『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
小林多喜二 (1903-1933) 29歳で死亡。 (一部抜粋しています)
昭和3年『一九二八年三月十五日』、4年『蟹工船』『不在地主』を書き、6年共産党に入党した小林多喜二は、7年3月、杉並の自宅から地下に潜った。
昭和8年2月20日、寒い曇天の日、小林多喜二は同志に会うために赤坂福吉町のそばや更科(さらしな)庵にはいろうとして、張りこんでいた刑事たちに追われ、逃げながら足袋(たび)はだしとなり、着ていたトンビもぬぎすてたが、溜池(ためいけ)の電車通りで格闘の末逮捕され、築地署に連行された。
彼は昭和3年秋に『一九二八年三月十五日』という作品を発表していた。それはその年の春の、いわゆる三・一五共産党大検挙を題材にした、凄惨きわまる特高の拷問ぶりを描いたものであったが、まさしくこんどは、彼自身が惨禍を受ける羽目になった。
彼は築地署の水谷特高主任、警視庁から来た中川特高係長、拷問係の須田巡査部長、山口巡査らに、「きさまがあの小説に書いた通りのことを、思う存分思い知らせてやるぞ」と宣告されて、凄じい拷問を受け、途中失神した。
留置場で寒さのために意識を回復し、便所にゆこうとしたが歩行不能で、かつがれていった。出た大便も小便も真っ赤であった。拷問による腸や泌尿器の出血のためであった。それから10分ばかりして、彼は絶命した。
夜の10時ごろ、その遺体は杉並の自宅に帰ってきた。壷井栄、山田清三郎、立野信之千田是也、鹿地亘ら同志や友人たちがこれを迎えた。
橋爪健は書いている。
「硬直して土色に青ざめた顔は、極度の苦痛のため筋肉がよじれきって、まるで別人のような凄じい形相だった。その左のこめかみが直径一寸ぐらいの皮が丸くはぎとられて、肉の露出した傷口にドス黒い血痕がこびりついていた。頬には鋭いキリを突き刺したような傷あとがいくつもあり、顎の下がわは釘ぬきでえぐられたようにささくれだって黒血がひからびついていた。
     ・
老母は喪心したように多喜二の屍に抱きすがって、
『ああっ、いたましい、いたましい・・・・よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ・・・・おおっ、兄ちゃ、どこがせつなかった? どこが、どこがせつなかった?』
と、体中の傷あとをなでさすりながら、声をあげて泣き出した。しばらくは、部屋じゅうが鳴咽の声にみたされた。
ややあって、上体をしらべていた安田博士が、突然大声をあげた。
『おっ、ここもやられている。どうです、これは!』
そう云って、右手の人さし指を逆にまげてみせた。それはブラブラになって、らくに手の甲へくっつくのだ。完全に骨折である。人々は、ハッと息をつめた。全身を冷たいものが走った。≪三・一五≫を書き、≪蟹工船≫を書いたその指は、官憲の手で無惨にねじ折られてしまったのだ。(中略)
やがて後日の証拠にと、あらゆる角度から何枚もの写真がとられ、俳優の千田是也その他がデスマスクを取った。その傷だらけの顔には、しかし、死をもって信念をつらぬいたもののみが持つ崇高な美しさがこもっていた」 (橋爪健『多喜二虐殺』)

                                    • -

小林多喜二 Google 検索
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%9A%E5%96%9C%E4%BA%8C++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=yPWKS7q3Ds6HkAWTm0k&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBMQsAQwAA