じじぃの「人の死にざま_193_杉原・千畝」

杉原千畝 あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D/2492/
Japanese Holocaust Rescuer: Sugihara Chiune 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kAwqhytNAjY
Sugihara - The Conspiracy of Kindness 3/6 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dwRrdtjw7BA&feature=related
八百津町 杉原千畝記念館
http://www.town.yaotsu.lg.jp/sugiharatiune/index.html
『スギハラ・ダラー』 手嶋龍一/著 新潮社 2010年発行
ティーブンが金沢で仕込んだリーマン・ショック情報。マイケルが9.11前後に目撃した金融市場の奇々怪々。テロリストの資金源を追う『ウルトラ・ダラー』の名コンビは、やがて屍の上に築かれた仕掛けに辿りつく。杉原千畝が救ったポーランド難民が革命的な金融商品を産み続けて半世紀、その苦難の航跡がすべての始まりだった!
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/382304.html
【話の肖像画】インテリジェンス・ナウ! 2010.2.16 MSN産経ニュース
外交ジャーナリスト、作家・手嶋龍一 命のビザ 戦後の一潮流に (一部抜粋しています)
外交・安全保障の観点から情報の収集、分析を行う「インテリジェンス」。諸外国では早くから注目されていたが、日本はやっと土俵に上がったレベルだ。NHK記者として、その熾烈(しれつ)な現場に身を置いてきた手嶋龍一氏(60)が、ベストセラー小説の続編『スギハラ・ダラー』(新潮社)を今月末、刊行する。「インテリジェンス小説」の第一人者に、新作に込めた現代日本へのエールと警句を聞いた。(三品貴志) 
ブラックマンデー、9.11(米中枢同時テロ)、リーマンショック…世界を震撼(しんかん)させた大恐慌・大事件を追う主人公たちは、第二次大戦時、ナチス・ドイツから6000人のユダヤ人を救った日本人外交官、杉原千畝(ちうね)の「命のビザ」の影にたどり着く−〉
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――どこか手嶋さんと重なる部分も?
手嶋 私は彼ほど、美しい女性にはもてません(笑)。ただ、やりとりをしているうち、あまりの魅力に引き込まれて「この人になら真実を明かしたい」と人に話させる力やオーラが重視されるのは、メディアとインテリジェンスの世界も似ているところはあるでしょうね。
――杉原千畝が発行したビザで救われた「スギハラ・サバイバル」が、今作の重要な鍵を握っている
手嶋 1987年のブラック・マンデーの際、世界の資本主義の心臓であるニューヨーク株式市場は心肺停止に陥りました。その中で、いかなる豪胆か、シカゴのマーカンタイル取引所だけは市場を開け続けた。私は当時、ワシントンにいましたが、理由が分からなかった。後に取引所名誉会長のレオ・メラメッド氏に話を聞くと、「自分がスギハラ・サバイバルだからだ」とおっしゃったんです。「取引を通じて自由の概念を世界に押し広げていく場としてのマーケットは、自分にとって命を超える存在なのだ」と。これは私の米国取材の中でも非常に印象に残っている出来事で、今作の着想にもつながっています。
――タイトルにもつながってくる
手嶋 1944年、ブレトンウッズ協定が結ばれ、ドルはポンドに代わって基軸通貨となりました。以来米国は、ニクソン・ショックはありましたが、シニョレッジ(通貨を発行する権利)を使って、ドルを基軸通貨横綱に据え続けてきた。冷戦下、旧ソ連は、武器取引や情報のために必要なドルを、ロンドンで調達するようになる。これは後に、ユダヤ系の銀行家の多くが運用するユーロドルと呼ばれ、米国の主権を超えた進化を遂げていきます。そして、現在FXと呼ばれるような為替の先物取引なども、スギハラ・サバイバルによって生まれてくる。つまり、杉原千畝の「命のビザ」が、「もう一つのブレトンウッズ体制」ともいうべき、戦後世界の大きな潮流を作ったといえるのです。
――杉原千畝というと、人道主義的な人物というイメージも強い
手嶋 彼がまぎれもなく偉大なヒューマニストだったことは間違いない。ただそれだけではなく、彼は偉大なインテリジェンス・オフィサーだった。インテリジェンスの世界では「物々交換」が基本。「命のビザ」にはもちろん人道的意図もあったでしょうが、ビザを発行する代わりに、当時、日本が国家として行く手を決めるような極秘情報を入手していた。そんな彼がまいた一粒の種が、戦後の世界の一潮流を形作ったということを今回、読者に伝えたかったのです。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100216/bks1002160258000-n1.htm
『世界を変える100人の日本人!』 杉原千畝(すぎはらちうね) 東洋のシンドラー 2009年5月8日 テレビ東京
1940年、リトアニアカウナスにある領事館に赴任していた1人の日本人のもとに、ポーランドから大勢の人が訪れた。ヒトラー率いるナチス・ドイツによる迫害を逃れるために流れてきたユダヤ人たちだった。彼らの逃げる場所は税関の無いオランダ領キュラソー島。そこに向かうには日本を通過しなければならない。通過ビザを手に入れるためには…彼らはリトアニア領事館の杉原千畝にビザを頼んだ。最初の避難民は100人程、それからも増え続けた。杉原は日本と連絡をとり、ビザ発給の許可を頼んだ。しかし日本はドイツと同盟を結ぼうとしていた時代。杉原の申し出を拒否。杉原は目の前の民衆を見捨てる事はできず、悩みに悩んだ末、ついに決断。『かくして、忘れもせぬ1940年7月29日からは、1分間の休みもなく、ユダヤ難民のため日本通過ビザ発給作業を、開始した次第です』杉原の手記にもあるとおり、毎日何百人分ものビザを書き続けた。もちろん、自分や家族が犠牲になる覚悟の上で訓令違反を犯したのだった。杉原の人としての道、勇気の決断により、救われた命は6000人とも8000人とも言われている。ユダヤ人たちにとって、これはまさに『命のビザ』だった。
http://www.tv-tokyo.co.jp/100japan/backnumber/0905.html
次回の知ってるつもり?!
1999/11/14 放送 「ユダヤ人を救ったビザとリスト 杉原千畝オスカー・シンドラー

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杉原千畝 関連図書・資料
http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/book_sugihara.htm
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