じじぃの「未解決ファイル_69_与那国海底遺跡」

(HD)与那国島 海底遺跡でダイビング その2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HAHbNQ8X62I
The Real Lost Continent of MU, Lemuria 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3-gfz9lT93I&feature=related
ムー大陸 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
「ムー文明」論
地球物理学者・東京大学名誉教授竹内均は1980年、『ムー大陸から来た日本人』(徳間書店)を発表し、ムー大陸はなかったが、ムー文明はあったのではないかとの説を提示した。また従来のムー大陸を批判しながらも、アルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説やプレートテクトニクス説の知識を援用しながら、この問題に接近した。
与那国島の「海底遺跡」を「調査」している木村政昭は自著でこの「海底遺跡」と太平洋各地の石造物を結びつけて「ムー文明」の痕跡であると主張している。ちなみにこうした概念は、日本以外ではむしろパシフィス大陸という空想と結びつけて語られることが多い。太平洋上の空想上の大陸=ムー大陸となるのは日本独特の風土と言えよう。

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与那国島海底地形 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
与那国島海底地形(よなぐにじまかいていちけい)は、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形である。人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、海底遺跡と考える説もあり、この立場からは与那国海底遺跡与那国島海底遺跡とも呼ばれる。
自然地形なのか、人工的な遺跡なのかについては論争があるが、多くの学者は侵食によって形成された自然地形とする説を支持している。

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世界遺産古代文明「不思議」ものしり雑学』 「歴史ミステリー」倶楽部/編集 王様文庫 2007年発行
与那国島海底遺跡(日本) ダイバーによる驚愕の発見!「海に沈む遺跡」の謎 (一部抜粋しています)
発見された石は、人の手によるものか?
与那国島は、沖縄県八重山諸島西端に位置する島で、日本最西端の島として知られている。台湾から111キロメートルという近距離にあり、晴れた日には海の向こうに台湾の山々を望むことができる。美しい紺碧(こんぺき)の海に囲まれ、ダイビングの名所として、ダイバーに人気の島だ。
この島で、1986年、考古学上の定説をくつがえす可能性を秘めた大発見があった。島の南東、新川鼻沖100メートルの海底で、巨石建造物のようなものが見つかったのだ。発見したのは、ダイバーの新嵩喜八郎氏で、巨石が古代の神殿のように見えることから、いつしか「遺跡ポイント」と呼ばれ、ダイバーたちの人気スポットになっていった。
この巨石は、周囲数百メートルにおよぶもので、人が切り出したような痕や、通路状の隙間、階段状の壁、見事なテラス、柱が立っていたと思われる跡など、人工的な構造物と思われる痕跡が数多く発見されたので、古代人が築いた文明の海底遺跡ではないかと報道もされた。
噂を聞いた琉球大学の海洋地質学者・木村政昭氏によって、1992年から本格的な調査が開始され、驚愕の発見が相次いだ。
巨石の地形は人工的につくられ、付着していた動植物や鍾乳石の分析から、この遺跡は1万年以上前のものだと推測された。これがもし事実であれば、驚くことに、世界最古の古代遺跡ということになる。つまり、これが立証されれば、日本の歴史ばかりか世界の考古学史までもが塗り替えられることになるのだ。
以来、この与那国の遺跡ポイントは世界中の注目を集めた。海底調査団が結成され、琉球大学の教職員、学生のほか、専門家、学者、ダイビング関係者、ジャーナリストなどの多彩なメンバーが世界中から集まり、調査が行われるようになった。著名な古代研究家グラハム・ハンコック氏や潜水家だったジャック・マイヨール氏などもそのメンバーである。
古代遺跡だとする説の根拠とは?
調査が進むにつれ、この遺跡ポイントは、人工的に地上で作られた遺跡が何らかの原因で一気に海底に水没したものとする立場と、遺跡ではなく自然にできた地形であるとする立場から、いくつもの説が発表され、学者や研究家の間でさかんに議論されはじめた。
人工の構造物で古代文明の遺跡だとする説は、前出の木村政昭氏が明言している。
その証拠としては、まず、奇跡にはくさびのような道具を使った跡らしきくぼみが数多く見られ、明らかに人間が石を加工した痕跡があることをあげている。実際に与那国ではくさびを使って石を加工し、生活用品をつくる伝統があった。
さらに、人の手によって石壁のようにきれいに積まれた岩の列があり、水中から陸地まで一定の間隔で上昇する階段が続いていることもあげる。
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どうでもいい、じじぃの日記。
今から約1万5000年前、気候が安定し、アジアで農耕が始まった。
大陸では稲作が始まったが、アジアの東の島国では人々は海で魚や、貝をとって生活していた。
朝鮮と日本で海水面は現在に比べて100mも下がり、今ほど離れていなかった。
与那国島の人々は、身体に入れ墨し、中国や朝鮮の沿岸に海賊として荒らし回っていた。
ある日、彼らの祭壇だった場所が地震のため、海中に没した。
彼らの多くは、台湾、沖縄、九州に移り住んだ。彼らの一部はミクロネシア人になった。
彼らが中国人、朝鮮人にとって怖れられる存在であることに変わりがなかった。
彼らは後に、倭寇と呼ばれた。
与那国島倭寇のルーツであったのだ。
とか。 (^^;;