じじぃの「人の死にざま_163_大松」

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文藝春秋 1月号 昭和の肉声 いま蘇る時代の蠢動
昭和39年 オリンピックに必ず勝てる 大松博文 (一部抜粋しています)
昭和39年に日紡貝塚のバレーボール部監督となった大松博文は「鬼の大松」と呼ばれ、スパルタ練習でチームを鍛え上げた。「東洋の魔女」と称されたチームは国内タイトルを独占、当時世界最強と言われたソ連を破って昭和37年には世界選手権でも優勝した。世界選手権後に引退を考えていた大松だが、2年後に迫った東京オリンピックでの金メダル獲得を願う世論に押されて監督を続け、さらにチームに厳しい練習を課した。
オリンピックまで残り2ヵ月、仕上げに入った選手達に、大松は「練習のプレーをすれば必ず勝てる」と語りかけた。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
大松博文 (1921-1978) 57歳で死亡。
日紡貝塚女子バレーボール監督として、回転レシーブなどを考案し、その猛烈な訓練で「鬼の大松」と呼ばれながら、昭和39年の東京オリンピックで優勝させ、チームの女子選手たちを「東洋の魔女」と呼ばせるに至った大松は、その名声をかって昭和43年参議院議員に当選したが、効目(ききめ)は一期かぎりで49年には落選した。
以後、いわゆるママさんバレーなどを指導していたが、昭和53年11月20日から、岡山県井原市ママさんバレーをコーチするため、井原市の旅館「一新」に投宿中、11月23日午後11時半ごろ、突如心筋梗塞の発作に襲われて、井原市病院にかつぎこまれた。彼はそれまで強健を誇り、心臓など循環器に呼称はなかった。
井原病院長談。
「かつぎこまれたときは呼吸困難で脈拍も乱れ、口もきけない状態で、しきりに青い泡状のタンを吐いていました。明らかな心不全で、酸素吸入はもちろん可能なかぎりの手をつくしましたが、ダメでした。
24日午後2時に他界した。「おれについて来い!」といういとまもなかった。
男一生いちどの花火。それを打揚げた上は、鬼の大松もって瞑すべし。

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バレーボール日本女子名監督の偉業と足跡をたどる展示 JanJanニュース
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