じじぃの「科学・芸術_219_韓国人とオリンピック」

ソウル・オリンピック 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y6IGVCdasnU

韓国初の金メダルリスト梁正模 (1976年)

平昌五輪 韓国が北朝鮮と共同開催も検討 2017年6月22日 日テレNEWS24
来年2月に韓国の平昌で開かれる冬のオリンピックに向けて、韓国政府が北朝鮮との共同開催や合同チームの結成などを検討していることが判明。
北朝鮮との対話を重視する文在寅政権としてはスポーツ分野を入り口に北朝鮮接触をはかる狙いがあるとみられる。
http://www.news24.jp/articles/2017/06/22/10365039.html
『現代韓国を知るための60章【第2版】』 石坂浩一、福島みのり/編著 赤石書店 2014年発行
韓国人とオリンピック (一部抜粋しています)
2014年2月23日、ソチ冬季オリンピックが閉幕し、オリンピック旗は平昌(ピョンチャン)に引き継がれた。2018年の冬季オリンピックは、韓国が3回目のチャレンジで招致に成功した。悲願の大会である。韓国でオリンピックが開催されるのは、1988年のソウル大会(夏季)以来、30年ぶりとなる。
韓国人はオリンピックが好きな国民である。2002年に日韓共催で行われたサッカー・ワールドカップに向けて、ソウル西部の上岩洞に新スタジアムが建設されていた時、「あれがオリンピック競技場だ」といっている韓国人の姿を何度も見た。
もちろん、本物のオリンピックへの思いは格別だ。時差の関係で競技が深夜、未明に行われる時は、ソウルの高層アパートの各部屋では、不夜城のように灯りがともっている。韓国ではメダルの数より、順位にこだわる。「スポーツG10」という言葉がよく用いられるように、メダルの順位が、韓国の国際的地位を示すと、考えているからだ。
また、最近少し変わりつつあるが、徹底した金メダル至上主義で、少し前までは、銀や銅では、ほとんど相手にされなかった。
今やスポーツ強国として知られる韓国だが、1976年のモントリオール大会で、レスリングのヤン・ジョンモ(梁正模)が金メダルを獲得するまで、解放後、オリンピックで金メダルを1つも取れないスポーツ弱小国であった。
解放後、祖国分断、戦争、貧困にあえいだ韓国は、スポーツどころではなく、長く低迷した。そんな韓国が、今日のスポーツ強国になる礎を築いたのが、「韓国スポーツ近代化の父」と呼ばれたミン・グァンシク(閔𥶡植)である。京都帝国大学出身のミンは、1964年3月に韓国の体育協会である大韓体育会会長に就任した。
この年の10月に開催された東京オリンピックでミン・グァンシクが、韓国が進むべき姿として感銘を受けたのは、大松博文監督率いる「東洋の魔女」であった。体格に勝るソ連を破った日本の女子バレーボールを見て、世界で勝つには、猛練習しかないことを確信した。
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国を挙げて金メダル獲得に力を注ぐなか、モントリオール大会でヤン・ジョンモが、彼岸の金メダルを獲得する。この金メダルに刺激を受けて、若い世代が台頭するようになる。
1981年に、86年のアジア競技大会、88年のオリンピックのソウル招致に成功した韓国は、チョン・ドウファン政権が、「体育立国」のスローガンを掲げ、財閥の資金を最大限に活用して、スポーツ強化に取り組んだ。
1960、70年代、韓国スポーツが勝つべき相手は北朝鮮であったが、70年代後半に完全に優位に立つと、次の目標は日本になる。86年にソウルで開催されたアジア競技大会で韓国は、総合スポーツ大会で初めて日本より多くの金メダルを獲得すると、2年後のソウルオリンピックでは、その差をさらに広げた。
当時韓国政府は、日本に追いつき追い越せという「克日」をスローガンとしていたが、その象徴がスポーツであった。韓国の名を世界に広めたソウルオリンピックの成功とともに、スポーツを通して韓国人は自信を深めていった。
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アジア競技大会は、1986年のソウルに続き、2002年は釜山が開催し、14年には仁川が開催した。夏季ユニバーシアードは2003年に大邱で開催されたのに続き、15年は光州で開催する。2002年には日本と共同でサッカー・ワールドカップを開催し、11年には大邱で、世界陸上競技選手権が開催された。短期間に、これだけスポーツ大会を招致する国は、他にない。
その背景には、1995年に大都市の市長や道知事選挙が34年ぶりに復活し、地域意識が台頭してきたことがある。ただ、こうした国際スポーツ大会は、地域のPR効果の一方で、財政赤字の原因にもなっている。
2018年の平昌冬季オリンピックには、国を挙げて準備を進めるだろうが、これからは、身の丈に合った大会開催、イベント性ではない、スポーツ文化の向上が求められる。