じじぃの「人の死にざま_1288_大島・鎌吉」

東京オリンピック 1964 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=X6Z5tgTsk8M
ブルーインパルス 五輪 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=lVOeh-LCrdk
1964東京オリンピック 「“1億人”に勝利を〜アスリートたちの挑戦〜」 2013年12月21日 NHK
1964東京オリンピック 日本選手の挑戦
戦後の日本の活力と平和への思いを世界に知らしめた1回目の東京オリンピックを振り返る。当時はまだ終戦から19年。焼け跡から立ち直ったばかりの環境で、アスリートたちはあらんかぎりの努力と創意工夫をし続けた。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=604&date=2014-01-13&ch=21&eid=24641&f=etc
東京オリンピック ウィキペディアWikipedia)より
東京オリンピック(とうきょうオリンピック)は、1964年(昭和39年)10月10日〜24日に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピック
国別メダル獲得数
1位 アメリカ ・・・ 金:36 銀:26 銅:28
2位 ソ連 ・・・ 金:30 銀:31 銅:35
3位 日本 ・・・ 金:16 銀:5 銅:8
大島鎌吉 ウィキペディアWikipedia)より
大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年11月10日 - 1985年3月30日)は、日本の陸上競技選手。ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト。元三段跳世界記録保持者。元大阪体育大学副学長、大阪体育大学名誉教授。日本オリンピック委員会名誉委員でもある。石川県金沢市出身。関西大学卒業。

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『大島鎌吉の東京オリンピック 岡邦行/著 東海教育研究所 2013年発行
東京オリンピック (一部抜粋しています)
選手団長を務めた大島自身の東京オリンピックの評価はどうだったのか――。
東京オリンピック開催中の胸の内を「選手団長」の大島は、半年後の翌年3月発行の『第18回オリンピック競技大会報告書』(日本体育協会)で次のように綴っている。
《オリンピック開催直前の9月30日、この日選手強化対策本部は一切の仕事を終わった。そして、その翌日10月1日、日本選手団は東京で410名の大舞台で編成結団式を行った。
結団式で(選手団長の)私は『15個の金メダルを獲って世界3位になることを目標にして戦う!』と述べた。これはのっぴきならぬ公約であった。オリンピックの歴史の中で、団長がこんな大胆な発言をした例がないそうである。
さて、10月10日から24日までの15日間、世界の視聴を東京に集めた大会は、その中で壮絶を極めた劇的な戦いを繰り返した。そして「世界記録の大会」であった。アマチュアのギリギリの領域限界の中で世界中の青年が共同の努力と功(いさお)しを通じ、人間能力の高さと広がりを実証しつつ、その究極を追及してやまぬ大会であった。
かくて成果全体を通じて見れば、アメリカの若いエネルギーが自由に闊達奔放に躍動して世界の第1位を占め、巨大な人口を擁するソ連が計画性と科学性を貫いて第2位にきた。次いで日本は、スポーツ大家族に支えられつつ、現場のひたむきな精進努力を凝結してメルボルンの11位、ローマの8位(ともに金メダル4)から目標とする第3位に躍進したのであった。》
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もちろん「選手強化対策本部長」としても大島は、必ずしも成功したとは思っていなかった。
その証左として、大島は次のような分析もしていた。金メダル4個以上獲得した米・ソを筆頭とする10ヵ国を、それぞれ人口割りで比較していたのだ。
その結果、世界の10傑は――。
・1位は、10個のハンガリー。人口は100万人に1個の割合。
・2位は、6個のオーストラリア。人口は166万人に1個の割合。
・3位は、5個のチェコ。人口は280万人に1個の割合。
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当時の日本の人口は9392万人。大島は言っている。
「単に驚くだけでは済まないのが、ハンガリーの比率でいけば、日本は93個の金メダルを獲得できる計算だ。それに日本の場合は、東京開催という地の利を得ての金・銀・銅を合わせて29個の獲得であり、これを人口で割ると323万人に1個の割合で、10傑中では最低の10位だ。このことは日本の今後を考えれば大問題ではないか。世界のスポーツ施設などを、あらためて調査すべきだろう。
 よくぼくは、ドイツの進歩的なスポーツ政策について口にしているが、たしかに今回は東西統一の参加といえども、日本より少ない金メダル10個だった。しかし、銀は22で銅は18個。金・銀・銅を合わせれば日本の倍近い50個で、これは人口148万人に1個の割合で、10傑では5位となる。このことは4年前のローマ大会後にカール・ディームやゲルト・アーベルベックたちが積極的に実地した15ヵ年計画のスポーツ施設振興政策『ゴールデンプラン』が、着実に実を結んでいるからではないか。まだまだ日本は、世界においてはスポーツ後進国といってよい……」
ただし、大島が口にした次の言葉も付け加えなければならない。
「とはいえ、今回の成果を低く評価しているという理由は少しもない。そこにはスポーツを愛する日本の青年のひた向きな精進、努力があり、それが金メダルに結びつくものであることを証明した。それに言えることは、もっと早く競技場などの施設が完成していれば、違う結果になっていたと思われる……」

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