じじぃの「人の死にざま_140_紫式部」

源氏物語スクーリング 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1b2CLvWrALw&feature=related
『《図解》世界で「一番」なんでも事典』 人類の「最高傑作」から、前代未聞の「大事件」まで! 三笠書房 2009発行
最古の長編小説 1000年前で、ここまでの完成度は驚きです
世界でもっとも古い小説は、1世紀、古代ローマで書かれた風刺小説『サチュリコン』(ペトロヌス)。ただし、完全な形で残っているものでは2世紀の『黄金のロバ』(アプレイウス)が最古である。また、平安時代紫式部が書いた恋愛小説『源氏物語』は「世界最古の長編小説」と呼ばれることが多い。
源氏物語」登場から1000年を迎えたとされる2008年には「源氏物語千年紀」を記念するイベントが各地で開催された。これをきっかけに江南女子大学の書庫に眠っていた写本が最古級のものであることが判明。しかも、そこに勝海舟の蔵書印が見つかるなど、1000年の時を超えて、今も話題豊富だ。
原文は、さまざまな作家に現代語訳されてきた。初めて手がけた与謝野晶子をはじめ、谷崎潤一郎、瀬戸内静寂聴など多くの作家が取り組んでおり、今ではさまざまなテイストの『源氏物語』を楽しむことができる。海外でも日本を代表する古典文学として広く紹介されており、20以上の言語に翻訳されているという。

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『世界に誇れる日本人』 【著】渡部昇一 PHP文庫 2007年出版 (一部抜粋しています)
世界の2大小説のひとつだった『源氏物語
アーサー・ウェーリーは『源氏物語』の英訳に取り組んでいる時、出版社に対して、「世界で大小説を2つ挙げるとすれば、自分がいま訳しているものはその1つにあたる」という種氏の発言をしているが、事実、ウェーリーによる『源氏物語』の英訳の第1巻が出ると、欧米の文人にカルチャー・ショックをもたらした。
それはウェーリーの翻訳がきわめていい訳だったことも関係する。ウェーリーは『源氏物語』を訳す時にこういっている。
「自分はワン・パラグラフか区切りのいいところまで読んでみて、その印象を翻訳してみた。そして、今度は丁寧に印象と自分が訳したものを比べて、原文からずれてないかを検討した。ずれてさえいなければ後は文章だけ練った」
先般、『源氏物語』に関するシンポジウムで、私は谷崎潤一郎の『文章読本』に載っている『源氏物語』の原文と、谷崎による現在語訳、それからウェーリーの『源氏物語』の英訳を引用した。この3つを比べると、明快にわかるのは断然ウェーリーの訳である。谷崎による現在語訳は丁寧に読めば必ずわかるが、ちょっと読んだくらいではわからなくなるところもある。ところがウェーリーの場合はそういうことはなく、くっきりした印象が残るように訳している。名訳である。ちなみに、同じ頃にウェーリーの同級生でプルーストの大作『失われた時を求めて』を英訳した男がいて、当時、話題になった。
このようにウェーリーの訳がよかったこともあるけれども、『源氏物語』そのものも大きな衝撃を与えた。みんなが驚嘆したといっていい。当時ウェーリーが入っている知的なグループ−−メンバーはブルームズベリー・グループといわれるグループと重なる−−の一人だったバージニア・ウルフの日記などからは、その後、欧米の文学者で『源氏物語』を読まないことには恥のように考えられたことがうかがえる。
では、彼らは何に驚嘆したのか。「源氏」の世界と紫式部の両方に驚嘆したのである。
源氏物語』は世界のどこにも小説というものがない頃の小説である。したがって、世界で最初の小説といっていい。たとえば、ヨーロッパで小説が書かれ始めるのは18世紀、19世紀頃だ。例外的に17世紀イギリスの女流、アフラ・ベーンがいるけれども、これは小説といえるかどうかわからない。18世紀になってからデフォーやスウィフトらが出て『ガリバー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』『クラリッサ・ハーロウ』などが書かれた。普通はデフォーあたりを小説の始祖といっている。ヨーロッパにとって、小説自体が新しい文学ジャンルなのである。
また、誰がみても大小説の『源氏物語』を書いたのが女性であることも大きい。イギリスでジェーン・オースティンエミリー・ブロンテなどの女流文学者が出たのは19世紀である。
これだかでも驚くに足りるが、さらに驚くことがあった。それは『源氏物語』に出てくる登場人物の会話や感情の動きが、ウェーリーが英訳した当時のヨーロッパで最も洗練された教養ある階級のものと非常によく似ていたことである。つまり、単に物珍しいだけではなくて、『源氏物語』は20世紀の彼らと感受性が近かったのだ。
第一次大戦前後からヨーロッパの小うるさい社会規範が次第にゆるまり、男女の恋愛や家庭のあり方もだいぶ自由になってきた。その時に『源氏物語』の英訳が出たから、「源氏」の世界が驚きとともに迎えられたともいえる。これがその50年前、あるいは100年前だったら、彼らは『源氏物語』を淫らな文学として受け付けなかったかもしれない。
いずれにせよ、西洋の最も洗練された階級の感受性に合うような大小説が、西洋よりも900年以上も早く、イギリスならば現代英語が始まらない頃の英語−−オールド・イングリシュ−−の時代に書かれた。このことが、どのくらい驚くべきことであったかは、当時の書評を見るとわかる。源氏物語』の翻訳を取り上げ、セルバンテストルストイドストエフスキー、デューマと並んで「世界の5大小説のひとつ」とする者や、プルーストと並んで「世界の2大小説」とする者もいたほどだった。

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次回は「紫式部」です-もっと知りたい日本 (一部抜粋しています)
紫式部の晩年
資料、作品等から1008年(寛弘5年)の時点で、30歳位と推測されていますが、979年(天元2年)頃に生まれて、1016年(長和5年)頃、いつ、どこで、どのようになくなったのか、どのような晩年をおくったのかは不明です。
それでも、当時の他の女性とくらべて紫式部の生涯が明らかなのは、宮仕えをしていたためいろいろな記録に載るなどして、自分で書き残した文章があるからでした。
http://blog.canpan.info/izumi/archive/28