じじぃの「千年の恋!恐ろしや源氏物語」

源氏物語千年紀Genji 第一話 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=K_BofpGtRgs
ART QUILT 源氏物語千年紀 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=yECDSujtbcQ&feature=related
源氏物語 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=ba-LTerLB4uivgOFvpXEDg&ved=0CEoQsAQ
『《図解》世界で「一番」なんでも事典』 人類の「最高傑作」から、前代未聞の「大事件」まで! 三笠書房 2009発行
最古の長編小説 1000年前で、ここまでの完成度は驚きです
世界でもっとも古い小説は、1世紀、古代ローマで書かれた風刺小説『サチュリコン』(ペトロヌス)。ただし、完全な形で残っているものでは2世紀の『黄金のロバ』(アプレイウス)が最古である。また、平安時代紫式部が書いた恋愛小説『源氏物語』は「世界最古の長編小説」と呼ばれることが多い。
源氏物語」登場から1000年を迎えたとされる2008年には「源氏物語千年紀」を記念するイベントが各地で開催された。これをきっかけに江南女子大学の書庫に眠っていた写本が最古級のものであることが判明。しかも、そこに勝海舟の蔵書印が見つかるなど、1000年の時を超えて、今も話題豊富だ。
原文は、さまざまな作家に現代語訳されてきた。初めて手がけた与謝野晶子をはじめ、谷崎潤一郎、瀬戸内静寂聴など多くの作家が取り組んでおり、今ではさまざまなテイストの『源氏物語』を楽しむことができる。海外でも日本を代表する古典文学として広く紹介されており、20以上の言語に翻訳されているという。

                                  • -

源氏物語 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
源氏物語平安時代中期に成立した日本の京都を舞台とした長編物語、小説である。文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。
【概要】
紫式部の著した、通常54帖よりなるとされる。写本・版本により多少の違いはあるものの、おおむね100万文字・22万文節400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶおよそ500名余りの人物が登場し70年余りの出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語である。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と呼ばれ、日本文学史上最高の傑作とされる。
ただし、しばしば喧伝されている「世界最古の長篇小説」という評価は、2009年現在でも、源氏物語千年紀委員会による「源氏物語千年紀事業の基本理念」において源氏物語を「世界最古の長編小説」としているなど一般的な評価であるとはいえるものの、中村真一郎の説の、アプレイウスの『黄金の驢馬』や、ペトロニウスの『サチュリコン』に続く「古代世界最後の(そして最高の)長篇小説」とする主張もあり、学者の間でも論争がある。20世紀に入って、英訳、仏訳などにより欧米社会にも紹介され、『失われた時を求めて』など20世紀文学との類似から高く評価されるようになった。

                                  • -

『恐ろしや源氏物語 早坂暁/著 恒文社 2001年発行
これは千年前の文化大革命だぞ (一部抜粋しています)
源氏物語は、当時の天皇も読んでいたようです。
天皇はよく彰子のサロンに遊びに来ましたから、当然読んでいます。
自分達の生活のことを書いているのですから、けっこう身近で楽しい小説だったはずです。これは誰がモデルだろうとか、あなたが、この人ですかなどと、噂(うわさ)しあって、それは評判になっていたと思います。
そうやって宮廷の人々が読んでいたとなると、500部は必要です。
その500部をすべて貴重な紙に手で書かせるのですから、まあ10億円くらいはかかっているのではないですか。
道長は今に換算して10数億円という金をつき込んで、紫式部という作家を育てたといえます。
なぜ育てたかといえば、何度も繰りかえしますが、自分の伝記を書いてもらうためだったのです。
しかも、その伝記はそれまでになかった伝記のはずでした。
道長の時代までは、「日本書紀」のように、すべて漢字で書かれたものしかありませんでした。
それを、かな文字、かな表現で、みっと身近な、生身の表現で伝記をつくろおうと、道長はねらっていたのです。
源氏物語」がそのための見事なサンプルではないですか。
そもそも漢字は、すべて中国から持ってきました。だから、その当初は山をサンと読むわけです。中国でも似たような発音なので、これをサンと読むと同時に訓をつけて、ヤマとも読ませたのです。
これは大発明だと思います。
いったい誰が考え出したのか、記録にも残っていません。
私はこの音訓システムを偉大な発明とはいいませんが、偉大な実用新案は、なんとも偉大な改革といえると思うのです。
そして、初めて漢字を使いながら、日本の大和言葉を駆使できるようになったのです。
これは日本の文化的大発明です。もっともっと、そのことを私たちは確認し、誇りにし、記録すべきだと思います。
そういう状態が、ずっと850年続いて、明治時代を迎えました。
明治になって、日本語の書き言葉はもう1山来るわけです。それが言文一致運動です。
ヨーロッパなどの西洋は、どうもあちらでは話し言葉も文章も一緒だという情報が日本に入ります。
そこで、文明開化を急ぐ近代の日本では、あちらふうにしなければいけないから、日本語も言文一致でいかなければいけないということになりました。
それまでは、文章は文語で、しゃべるのは口語だったのです。
文語も口語も一緒にしなければいけないということになったのです。
それが誰であるか。もう明治の時代ですから、それはわかっています。
二葉亭四迷という人でした。
この人は明治元年の生まれ出、小説家でもありロシア文学翻訳家でした。
本名を長谷川辰之助といいますが、「くたばってしまえ」というのをもじって、二葉亭四迷という筆名にしたといわれています。
若い頃は外交官を志しますが、ロシア文学に接して、そちらに興味が移ります。
同郷の先輩である坪内逍遥の影響を受けて、筆をとり、小説や翻訳に手を染めました。
逍遥とは同じ愛知県の出身でした。2人で、言文一致というのは、いったいどうやって書いたらいいのかと悩むのです。
現代になってみれば、私たちは四迷や逍遥が作り上げた言文一致の遺産をもらって、こともなげに文章を書いています。
しかし、当時としては、本当にどうやって書いていいのかわからなかったのです。
ちょうどその頃、落語家の三遊亭円朝という人がいました。この人は天保10年(1839年)に江戸の本郷で生まれました。
7歳のとき寄席へ出て、17歳で円朝として真打ちをつとめたのですから、落語界のスーパースターです。
派手な道具立ての芝居噺(しばいばなし)や怪談噺で人気を博していました。
その円朝が、寄席で「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」をやっていたのです。当代一の名人といわれる円朝ですから、毎日、たいへんな人気です。
四迷や逍遥は、円朝の牡丹灯籠を聞きに行きます。すると、寄席ではちょっとした小冊子に、円朝の口演をそのまま筆記したものが売られていました。
2人はその小冊子を見て、驚きました。円朝が喋(しゃべ)ったとおりが文章になっています。そうか、これでいいんじゃないか。これをお手本にすれば言文一致の文体はできるにちがいない。
それで二葉亭四迷が書いたのが、「浮雲」という小説でした。
あれが日本初めての言文一致小説となるわけです。
だから、今、こともなげに私たちは日本の文を書いていますけど、あの時代の二葉亭四迷たちの苦労の遺産をもらっているのです。
このように、日本は文章、文体だけを考えても、大きな山を3つ越してきました。
最初の山は、やはりひらがなの発明です。その次に、輸入した漢字に音と訓をつくったことです。そして、漢字と平仮名をミックスした日本の文体を完成させました。
第3の山が今言ったように、明治の時代に言文一致をつくり出したことです。
源氏物語」というのは、ひらがなで書かれた最初の物語と考えて下さい。
それ以前にも、「蜻蛉(かげろう)日記」などがあり、下敷きになったのではないかとみる人もいます。しかし「蜻蛉日記」は日記であって、物語ではありません。
純粋に創作されたものは、紫式部の手になる「源氏物語」が始めてです。それは彼女のお手柄ですし、それだけですごい才女だったということになります。
      ・
こうしてみると「源氏物語」は中世から脱するための近代への大きな一歩、一歩なのです。してみると紫式部は中世の真っただ中で「源氏物語」によって近代の扉をこじあけようとしていた。しかし、その扉はあまりに大きく、重く、たぶん千年もかかるだろうと思っていた。−−ですから源氏物語の映画には「千年の恋」の題がつけられてあります。

                                  • -

どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館のなかで本巡りをしていたら、早坂暁著『恐ろしや源氏物語』という本があった。
「恐ろしや源氏物語」か。源氏物語は恐ろしい物語なのか。
源氏物語」が世界でもっとも古い小説の1つだということは知っていた。しかし、今まで手にしたことはなかった。
パラパラめくってみた。
やたらと女性が出てくる。
桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若紫、末摘花、紅葉賀、花宴、葵、花散里、須磨、明石・・・
いってみればポルノ小説なのか?
宇能鴻一郎川上宗薫らが現代語訳したら、飛びついて読んだだろうに。
十二単を着た彼女たちとのセックスはどうだったのだろうか。セックスは正常位だけでやったのだろうか。
さわりは読んだ。
助平じじぃ。何が恐ろしいのか、わからない。あとでまた読んでみよう。