じじぃの「人の死にざま_556_白・居易」

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唐詩白居易草dragon25707693 動画 YouTube
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唐・白居易姜嘉 唱 動画 YouTube
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白居易 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
白居易(はくきょい)は、中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。
【略歴】
772年、鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれた。子どもの頃から頭脳明晰であったらしく、5〜6歳で詩を作ることができ、9歳で声律を覚えたという。
815年、武元衡暗殺をめぐり越権行為があったとされ、江州(現江西省九江市)の司馬に左遷される。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。838年に刑部侍郎、836年に太子少傅となり、最後は842年に刑部尚書の官をもって71歳で致仕。自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させる。

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長恨歌 白楽天
漢皇色を重んじて傾国を思う
御宇多年求むれども得ず
楊家に女あり初めて長成す
養はれて深閨にあり人いまだ知らず
天生の麗質自ら棄てがたく
一朝選ばれて君王の側にあり
眸を廻らして一笑すれば百媚生じ
六宮の粉黛顔色なし
春寒くして浴を賜う華清の池
温泉水滑らかにして凝脂を洗う
侍児扶け起せども嬌として力なし
始めてこれ新たに恩澤を承くる時
雲鬢 花顔 金歩搖
芙蓉の帳暖かにして春宵を渡り
春宵はなはだ短く日高くして起き
これより君王早朝せず
歓を承け宴に侍して閑暇無く
春は春遊に従ひ夜は夜を専らにす
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
金屋粧ひ成って嬌として夜に侍し
玉楼宴罷んで酔うて春に和す
憐むべし光彩の門戸に生ずるを
遂に天下の父母の心をして
男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
楽天(はくらくてん) (772-846) 74歳で死亡。 (一部抜粋しています)
日本の平安朝、清少納言が、雪の日、皇后に「少納言よ、香炉峰の峰の雪はいかならん」と訊(き)かれて、黙って御格子(みこうし)をあけ、御簾(みす)を高くかかげて見せ、その才気を感嘆させたのは、白楽天の詩の一節、
「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
 香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看(み)る」
を踏んまえたからであった。いかに白楽天が日本人にも愛されていたかを知るに足る。
34歳で絶唱長恨歌(ちょうごんか)』を作り、44歳で傑作『琵琶行(びわこう)』を作った白楽天は、貧しい家に生まれながら、地方公務員をふり出しに勤勉な官使生活をつづけ、途中、政治の乱脈を諷諭(ふうゆ)して地方に追放されるなどいうこともあったが、最後は刑部尚書法務大臣)の地位まで上り、功成り名とげて死んだという。詩人には珍しい順風の一生であった。
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みずから詩(うた)っていう。
「・・・・飢えては食らい、愉しくて飲み、
 穏やかなる眠りに安んず
 死生は可も無く不可も無し
 達せる哉(かな)、達せる哉、白楽天

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