じじぃの「科学・芸術_260_小説『源氏物語』」

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3分で読む源氏物語・あらすじ/全体のあらすじ〜桐壷から夢浮橋までの全54帖を3分で
源氏物語のあらまし
 今から1000年以上前の長保3年(1001年)には、ある程度完成したと言われる小説。作者は紫式部
全54帖に及び、文字数は約100万(400字詰め原稿用紙で約2400枚)の大長編。70年間にも渡るストーリーには、約500名の人物と約800首の和歌が登場する。
●貴公子 光源氏
桐壷帝(きりつぼてい)の子、光源氏(ひかるげんじ)は幼くして母を亡くした。帝の後宮に新たに入った藤壷の宮(ふじつぼのみや)が母に似ていると聞いた源氏は彼女を思い焦がれるようになり、父の後妻を愛するという道ならぬ恋に走る。
年上の頑なな女性葵の上(あおいのうえ)とのすれ違い続きの結婚生活、中流の女性空蝉(うつせみ)との仮初の恋、夕顔との行きずりの恋、貴婦人六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)との駆け引き、そして藤壷の宮に似た少女紫の上(むらさきのうえ)を引き取って育て始める源氏…
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『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
闇の現(うつつ)はなほ劣りけり 『源氏物語』(1000年ごろ〜1012年) 紫式部 より
日本の芸術と文化は、天皇の宮廷が平安京(現在の京都)にあった平安時代(794年〜1185年)に全盛をきわめた。中国の言語や文化とは異なる日本古典文学が生まれたのは、まさにこの時代である。官僚や貴族は引きつづき漢字を使っていたが、文学には簡略化した日本のかな文字が使われることが多くなった。
詩を重んじ、奨励した平安時代天皇たちは、8つの主要な勅撰和歌集の編纂を命じている。一方、10世紀には、『竹取物語』、平安の宮廷人が書いたとされる独創的な『落窪物語』など、歴史物や民間伝承を含む散文の作品も書かれはじめた。
さらに意味深いのは、宮廷に女房として仕えた紫式部(973年〜1014か1015年)が、日本ではじめての小説(世界初の小説と考える者もいる)とされる作品、『源氏物語』を書いたことである。54帖にわたるこの作品には、帝の第2皇子である光源氏の人生と愛が描かれている。物語は一貫した筋に沿って展開するというより、一連の出来事が並べられているように見えるが、当時の宮廷人の生活についての洞察にとどまらず、人々の考え方や動機までが活写されていて、まちがいなく現代の心理小説の先駆けと言えるだろう。
源氏物語』は貴族階級の女性の読者を想定して書かれたと思われるが、それよりもずっと幅広い読者の心をつかむ名作となり、12世紀以降にさまざまな版が生まれている。このような高い評価にもかかわらず、形式が複雑であることから、原文のまま読むことは非常にむずかしいとされている。現代語訳版では、文化的背景についての注釈が付されていることが多い。