フリードリヒ・ニーチェ - あのひと検索 SPYSEE
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SINESTESIE 45 Friedrich Wilhelm Nietzsche e Georges Bizet 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=yIIbcOJkN3Y
Friedrich Nietzsche 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tR7FaVcrhPU&feature=related
100分de名著 ニーチェ ツァラトゥストラ 『永遠回帰とは何か?』 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=anpCJEjvxYU
フリードリヒ・ニーチェ ウィキペディア(Wikipedia)より
【思想】
ソクラテス以前も含むギリシア哲学やショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。近代の終焉を告げる思想家ともされているが、ニーチェからポストモダンが始まっているとされるような、近代の終焉、克服云々の思想家とするのはあまりにもニーチェを矮小化しすぎている。
神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
有名な永劫回帰(永遠回帰)説は、古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。しかしこれはニーチェの永遠回帰思想の間違いであり、ある瞬間は過去に無限回繰り返されており、そして未来に無限回繰り返されるが、それはその時点において「完結している」と考えることが必要である。
『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降、哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。しかしソクラテス以前のギリシャに彼は終生憧れていたことを否定することはできない。
それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。
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『賢者たちの人生論 プラトン、ゲーテからアインシュタインまで』 金森誠也/著 PHP文庫 2009年発行
ニーチェ (一部抜粋しています)
ニーチェは、1876年から1881年にいたるまでの時期に大転回をとげた。彼はそれまで信奉していたショーペンハウアー流れの「生の否定」を解く厭世感を捨て、「生を肯定する」哲理を打ち出した。それと共に、深く尊敬していたヴァーグナーの生き方に対しても疑問を抱くようになった。『トリスタンとイゾルデ』のように死を賛美する楽劇をつくり出したヴァーグナーは、実は民衆の低俗な趣味におもねる俳優にすぎなかったと批判した。「星の友情」ともいうべき熱烈な協力関係にあったニーチェとヴァーグナーは、袂(たもと)をわかつにいたった。彼の著作の傾向も変化した。彼は若いときの陶酔的ロマン主義的態度とは打って変わったリアルな科学的実証を強調し、宗教や形而上学を激しく攻撃した。この時期を代表する著作としてはまず、一切の文化や人間関係に見られる理想の実態を、まやかしであると暴露し、人間のありのままの姿を冷静な理論的哲学者の目で直視する『人間的な、あまりにも人間的な』(1878-1880)がある。
さらにニーチェは1881年から1888年にいたるまでの期間に、いわはその第3期に入った。その頃の代表作は『ツァラトゥストラはかく語りき』(1883-1885)である。本節のはじめにあるツァラトゥストラの説法が示すように、かれは大地に忠実であれとして、来世や霊界への信仰を否定したうえで、真の価値創造への道を開く超人の生き方を描いた。
ところが市場の群衆は、ツァラトゥストラの「神が死んだ現在、超人こそが大地の意義である」という説法を理解せず、かえって反感と嘲笑をもってこれに報いた。こうした悲痛の体験を経て、ツァラトゥストラはますます超人に期待を寄せた。超人とはキリスト教にかわる人類の支配者であり、民衆はこれに服従すると考えられ、この超人の育成と産出こそが人類の目標であるとした。
超人を耳慣れない言葉だと思った人もいるだろうが、英語でスーパーマンというと、何だあのヒーローと同じか、語源はニーチェだったのかと驚く人もあろう。
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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ニーチェ (1844-1900) 56歳で死亡。 (一部抜粋しています)
1889年の終り、彼はイタリアのトリノの新聞販売店の小部屋を借りていたが、クリスマスの日から生気を失った。遠い昔にかかった梅毒が進行して来て、その結果による麻痺性痴呆が彼を襲ったのである。
翌年の1月、トリノの街上で鞭撃たれる荷馬車の馬を見て、かっては憐憫(れんびん)こそあらうる精神的な悪の根源だと考えたこの哲学者は、馬に飛びつき、抱きしめた。そして失神した。
2日間の昏睡の後、彼は目ざめたが、以後完全に発狂した。
ニーチェは、イエナの精神病院にいれられ、母と妹がそこに住み込んで世話をした。
ところが、彼が正気のうちは家具つきの部屋しか借りることが出来なかったのに、発狂後、彼の著書が売れるようになり、ワイマールに家を作ることが出来た。
母の死後は、妹のエリザベートが彼の世話をした。彼と妹エリザベートの間には相姦関係があったといわれる。
ときどき彼の狂った脳髄を、一条の細い光が照らすように見えることもあった。
「僕は立派な本を書かなかったかね」
と、彼は妹に尋ねるのだった。
ただ食って寝るだけの動物のような10年間の生活の後、1900年8月25日午後5時ごろ、おりからの夕立の雷鳴とどろく中に彼は卒中発作を起こして死んだ。
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ニーチェ Google 画像検索
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