じじぃの「人の死にざま_123_野口・雨情」

野口雨情 - あのひと検索 SPYSEE
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童謡アニメ「赤い靴」 自作のへっぽこ変なflashアニメ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dj0bT0JDd7g
野口雨情 ウィキペディアWikipedia) より
野口雨情は詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。
【生涯】
廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
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代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
野口雨情 (1882-1945) 63歳で死亡。
昭和19年1月、雨情は、軽い脳溢血で倒れたあとの病み上がりの身で、妻と8人の子供をかかえて、東京吉祥寺から栃木県河内郡姿川村鶴田に疎開した。
彼は茨城県磯原の生まれだが、すでに故郷を捨てていた。
「おれは河原の枯れすすき・・・」「磯の鵜(う)の鳥や日暮れにゃかえる・・・」「紅谷の娘のいうことにゃ・・・」あるいは「十五夜お月さん雲のかげ・・・」「鳥なぜ啼くの・・・」「赤い靴はいてた女の子・・・」「青い眼をしたお人形は・・・」「黄金虫は金持ちだ・・・」「しゃぼん玉とんだ・・・」「あの町この町日が暮れる・・・」「証 証 証城寺、証城寺の庭は・・・」「ソソラ ソラ ソラ、兎のダンス・・・」など、多くの哀調をおびた歌や天真爛漫な童謡を生み出して満天下に愛称された詩人も、印税制度の確立していない時代の上に、戦中無用な疎開者を白眼視する田舎での生活はみじめなものであった。
20燭光の制限の家に40燭光をつけているのをとがめに来た電気会社の係員が、一家が顔のうつるような雑炊をすすっているのを見て、気の毒のあまり黙って帰っていったこともあったという。
雨情は、鶴田に来てからも脳軟化症のようになって寝たり起きたりしていた。ある日座敷にぼんやり坐っている夫に、風邪をひかないように夫人がうしろから羽織を着せようとしたところ、雨情は「死んでいくのに羽織はいらない」といった。(長久保片雲『野口雨情の生涯』)
翌年の1月27日、彼はひっそりとさびしくこの世を去った。B29が日本全土に焼夷弾をまいてゆく空の下に、棺桶は荷車で火葬場に運ばれた。

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赤い靴 野口雨情
一、
 赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった
ニ、
 横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった
三、
 今では 青い目に なっちゃって
 異人さんのお国に いるんだろ
四、
 赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに逢(あ)うたび 考える

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野口雨情記念館
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