じじぃの「人の死にざま_121_鈴木・大拙」

鈴木大拙 - あのひと検索 SPYSEE
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鈴木大拙.mp4 動画 YouTube
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Shunryu Suzuki: The Marrow of Zen 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vdBnssUtJs4&feature=related
鈴木大拙 ウィキペディアWikipedia) より
鈴木大拙(本名:貞太郎〔ていたろう〕、英字:D.T.Suzuki、1870年11月11日(明治3年10月18日)-1966年7月12日) は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。大拙は居士号。石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。1959年日本学士院会員、文化勲章
100冊ある著書のうち、23冊が英語で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。同郷の西田幾多郎、山本良吉、藤岡作太郎とは石川県立専門学校(後の第四高等学校)以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。

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『テンダー・ラブ それは愛の最高の表現です』 日野原重明/著 ユーリーグ
禅の大家、鈴木大拙先生の臨終は、ただ1人の女性に静かに見守られました (一部抜粋しています)
禅の大家の鈴木大拙(だいせつ)先生は、在米中に米国籍の夫人と結婚されていたのですが、この夫人は後でがんを病まれて、私が聖路加国際病院に1941年から勤める以前にこの病院でなくなられました。大拙先生は、再び渡米して晩年ニューヨーク市コロンビア大学大学の東洋哲学の教授をしておられました。大拙先生は長い在米生活のなかで東洋哲学、特に禅を西洋に紹介する大役を果たされ、いよいよ晩年となられてからは、その職を辞して日本に帰って来られ、鎌倉の東慶寺境内に住居をもたれました。その90歳の老師に、ニューヨーク時代からの20歳の若い日本人2世で独身の岡村美穂子さんが秘書として付き添って来日されました。彼女は先生の著述の助手としてだけでなく、変動する先生の血圧を在宅で測定する役を私から頼まれ、そのお務めをよく果たされました。
それは1960年6月のことでした。先生は聖路加国際病院人間ドッグを受けるために1週間入院され、そこで発見された高血圧の血圧管理を私にまかされたのです。美穂子さんは月に1回先生に付き添って病院の外来に来られていました。彼女は先生の身体的並びに精神的支えとして忠実な務めを尽くされたのです。そのようにして大拙先生の健康管理を私が指導した6年間のことを、私はいまもはっきり覚えています。
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病室には、14年にわたり秘書をしていた美穂子さんのほか、高僧の方々も一時は病室内に入っておられましたが、いよいよ最後の場面で先生はただ一人彼女に守られ、静かに成仏されました。彼女は先生がいつ息を引き取られたかわからず、生と死とが繋がっているようでしたと、後日私に話しました。
美穂子さんは15歳の少女のとき、大拙先生に会われて「この人だ」と直観的に感じ、コロンビア大学での先生の公開講義を聞いてますます心打たれ、尊敬する先生のために、20歳という若さで先生にその身を捧げる決心をして、秘書役を志願されたとのことです。
高齢の哲学者に身も魂をも捧げた彼女の臨終の介護は、先生の人生の終焉(しゅうえん)に有終の美を添えるのに大きく貢献しました。そして大拙先生が亡くなられたあとも、彼女は日本の東洋哲学専攻の何人かの学者に大拙先生のありのままの姿を伝えるという大切な役を果たしました。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
鈴木大拙 (1870-1966) 96歳で死亡。
ドイツの哲学者シュプランゲルに、「いま世界に聖者が2人いる。アルベルト・シュバイツァーとダイセツ・スズキだ」といわせた鈴木大拙は、昭和41年7月10日、鎌倉の松ヶ岡文庫で、弟子の秋月龍萊に、明後日から例年のように軽井沢へゆくと話し、そこでの仕事の予定を元気よくしゃべり、「しばらく君ともお別れだな」といった。
彼は90歳のときはじめて人間ドックに入り、動脈硬化性高血圧、白内障、難聴などが発見されたが、この日まで、1日4時間の執筆−−ときには仰向けのまま−−を欠かなかった。
が、その翌朝からはげしい腹痛を訴え、嘔吐が反覆し、
「痛い、痛い、この痛いのがかなわん!」とさけびながら、救急車で東京の聖路加国際病院に運ばれたが、交通渋滞のため3時間もかかった。病名は絞扼(こうやく)性腸閉塞であった。
12日午前5時過ぎに息をひきとった。最後の言葉は、秘書の岡村美穂子が"Would you like something Sensei?"といったのに対し"No. nothing Thank you."であった。

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鈴木大拙の言葉
「禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であって、その真髄とは、仏陀が成就した<悟り>を体験することにある」
「Great works are done when one is not calculating and thinking.」
訳:無欲の状態のときに、大きな仕事ができる。

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禅(鈴木大拙 art-tokyo
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鈴木大拙 Google 画像検索
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