じじぃの「学ぶ冒険_第4弾(教育)」

蜷川幸雄 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
蜷川幸雄(にながわゆきお 1935年10月15日 - )は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園大学短期大学部学長。女子美術大学芸術学部ファッション造形学科客員教授
【来歴・人物】
埼玉県川口市出身。開成高等学校卒業。妻は元女優で現在はキルト作家の真山知子。2人の娘がおり、長女は写真家として活動している蜷川実花。姪に女優の蜷川有紀蜷川みほ
俳優として活躍していたが「自分は演出に向いている」と悟り劇団を結成し演出家に転向する(ごく稀に俳優として活動することもあり完全に俳優業を廃業した訳ではない)。アングラ・小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集める。70年代半ばから商業演劇に活動の場を移し、大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表。90年代以降は中劇場の空間を好んで使っている。
演出作品は、清水邦夫唐十郎井上ひさし野田秀樹岩松了などの現代劇から、ギリシャ悲劇やシェイクスピアチェーホフなど海外の古典・近代劇に至るまで、多岐にわたる。鮮烈なヴィジュアルイメージで観客を劇世界に惹き込むことを得意とする、現代日本を代表する演出家のひとり。海外でも評価が高く、「世界のニナガワ」とも呼ばれる。
起用する出演者はトップスターや実力派俳優から人気アイドルまでと幅広く、意表をついたキャスティングで話題を呼ぶ。
【略歴】
1955年 開成高校卒業後、劇団「青俳」に入団。
2006年 (財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督に就任、高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」発足。
2009年 若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」発足。

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養老孟司 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』(一部抜粋しています)
養老孟司(ようろうたけし 1937年11月11日 - )は、解剖学者。東京大学名誉教授。専門は解剖学。神奈川県鎌倉市出身。
【経歴】
1937年、神奈川県鎌倉市に小児科医・養老静江の次男として生まれる。ハリス記念鎌倉幼稚園、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校東京大学医学部を卒業後、一年間のインターン(研修医)を経て1967年に東京大学大学院基礎医学で解剖学を専攻し博士課程を修了、1967年医学博士号を取得する。
【執筆活動
2003年に出版した『バカの壁』(新潮社)は同年、ベストセラー第1位になり、毎日出版文化賞特別賞を受賞、さらに題名の「バカの壁」は新語・流行語大賞を受賞した。その後も同種の一般向け著書を数多く執筆している。
また、テレビ出演や講演会などを積極的にこなしている。

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瀬戸内寂聴 提供: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』(一部抜粋しています)
瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう 1922年5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。旧名は瀬戸内 晴美(せとうち はるみ)。
僧位は僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。徳島県徳島市名誉市民の称号を取得。京都市名誉市民。元天台寺住職現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。代表作には『夏の終り』や『場所』『現代語訳 源氏物語』など多数。近年では『源氏物語』に関連する著作が多い。これまでの著作により多くの文学賞を受賞した。
【経歴】
徳島県徳島市塀裏町の仏壇店を営む三谷家の次女として生まれ、後に父が従祖母の家である[瀬戸内家]養子となり、女学校時代に晴美も瀬戸内に改姓。
東京女子大学在学中に結婚し、夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。1950年に正式な離婚をし、東京へ行き本格的に小説家を目指し、三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。少女世界社、ひまわり社、小学館講談社少女小説や童話を書く。また丹羽文雄を訪ねて同人誌『文学者』に参加、解散後は『Z』に参加。長女とは後年和解する。

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ETV50 学ぶ冒険 〜もう一度見たい教育テレビ第4弾〜 教育テレビ 10月25日
【司会】ETV50応援団長 城島茂NHKアナウンサー 渡邊あゆみ
これまで教育テレビは、多くの知の巨人たちの言葉を記録してきました。
番組では、その中から、「学び」をテーマにした言葉を抽出するとともに、瀬戸内寂聴さん、蜷川幸雄さん、養老孟司さんの3人に、新たに「学ぶこと」についての語っていただきました。その言葉の数々を通して、「学ぶ冒険」という「時代を超える知」を浮かび上がらせていきます。また、それは、人生を豊かにし、誰もが使え、生きる糧となる珠玉の言葉となるでしょう。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090910260030143/
どうでもいい、じじぃの日記。
10/25、NHK 教育テレビ「ETV50 学ぶ冒険 〜もう一度見たい教育テレビ第4弾〜」を観た。
こんな番組があるとは知らなかったが、テレビの番組欄に養老孟司さんが出ていたので、どんなのかと思って観た。もちろん、蜷川幸雄さん、瀬戸内寂聴さんも興味があった。
大体、こんなことを話していた。
蜷川幸雄さん(74歳)へのインタビュー
NHKアナウンサー渡邊が、「学び」について聞く。
蜷川 落第から学ぶこと。何回も大学を受けて落っこった。今になって考えると、嫌いなものでもやっておけばよかった。数学とか物理とか。学ぶというのは嫌いなことでもやっておくことだ。人間の幅を広げるのに必要だ。捨てるのは25、26歳になってからでいいのではないか。
「さいたま芸術劇場」で演劇指導している映像が流れる。
−−自分をもっと伸ばすには。
蜷川 何もかもなくすことだ。過去のしがらみを断ち切らないと。
−−学ぶとは。
蜷川 歳をとって人の意見を聞くようになった。他人の創造力が入ってくる分だけ成長するようになる。自分にまだ、可能性があると思いたい。「わあ、すげぇ」と言われたい。
養老孟司さん(72歳)へのインタビュー
NHKアナウンサー渡邊、TOKIOのリーダー城島が、「学び」について聞く。
2003年発行の『バカの壁』が400万部を超える大ベストセラーになった。
渡邊さん、城島さんが鎌倉にある養老さんの自宅を訪問。
養老 たえず、「人間とは何か」を考えてきた。
−−大学ではどんなことを教えていたんですか。
養老 大学では何も教えていない。解剖学は教える学問ではない、実践するところだ。
−−学ぶとは。
養老 「そういうもんだと思っていました」という言葉があるでしょ。「そういうもんだと思っていました」と言っていれば、考えなくていいわけですよ。朝「おはようございます」というでしょ。どうして。若いとき、疑問に思ったことが棘になって、10、20年、ずっと棘をもっていく。ある日、違う分野からその棘の答えがすっと出てくることがある。答えを得るために、疑問をずっと持ち続けておかないといけない。自分が変わると世界が変わる。考えることで一番いいことは散歩すること。
近くの墓地を散歩する養老さんの映像が流れる。
養老 農業をやることは感覚を使うことだ。働くということは体に身につけること。学ぶとは身につけることです。
瀬戸内寂聴さん(87歳)へのインタビュー
TOKIOのリーダー城島が、「学び」について聞く。
城島さんのぶつぶつ。恋人がいて捨てて、出家の道に行ったのはどうしてなんでしょうか。学ぶとは何なんでしょうか。
−−小説を書く理由は。
瀬戸内 何か、表現したいわけですよ。あなただってそうでしょ。単なる流行作家で終わりたくない。小説を書きたいから出家した。もっと高い文学というのがある。自分のバックボーンを高くしないといけない。
−−人が生きるとは。
瀬戸内 愛すること。キリストだって愛だといっている。愛は思いやりでもある。小説は書かしてもらっていると思っている。煩悩を捨てること。煩悩の一番つらいことは捨てることだ。小説を書くということは常に学んでいないといけない。学んでいないと、小説は書けない。学んだら、自分が豊かになるんだから。