じじぃの「人の死にざま_96_ポー」

エドガー・アラン・ポー - あのひと検索 SPYSEE
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Corazon Delator de Edgar Allan Poe. Animacion de 1953 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=sl1l6v0ydfQ
エドガー・アラン・ポー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
エドガー・アラン・ポーは、アメリカ合衆国ボストン市生まれの小説家・詩人。
1841年に発表された小説『モルグ街の殺人』には探偵のC・オーギュスト・デュパンが登場し、史上初の推理小説と評価されることが多く、その後の推理小説の発展に寄与した。また、ホラー小説の分野でも一時代を代表する作家とみなされている。さらに作品に科学的事実を取り入れる手法はジュール・ヴェルヌによって注目され、近代SF発展の一因ともなった。詩人としては、自らの詩を解説しながら詩の構築を説いた『詩の原理』で、フランスの詩人、ボードレールステファヌ・マラルメなどの象徴派の系譜に多大な影響を与えた。
日本の推理作家、江戸川乱歩の名前は、エドガー・アラン・ポーをもじって付けられたものである。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ポー (1809-1849) 40歳で死亡。
27歳のとき、13歳のヴァージニアと結婚したエドガー・アラン・ポーは、ただに探偵小説の鼻祖(びそ)たるのもならず、近代文学の創造者ともいうべき小説や詩を発表しつつ、貧苦と憂鬱症とアルコール中毒と、そして病妻に苦しんだ。
11年後、1847年、ヴァージニアが死ぬと、彼のアルコール耽溺はいよいよ昂進した。
1849年10月、彼は講演旅行に出て、10月6日バルチモアに着き、フィラデルフィアに向かうべく発車ホームへ荷物を運ばせ、汽車が出るまで町へ出た。
ポーに心酔したボードレールは書く。「彼は何か刺戟物をとろうと酒場にはいった。そこで運悪く昔馴染に逢い、夜ふけまでつきあった。翌朝、あけがたのうす明りの中に、彼の屍体が路上で発見された。その身元不明の身体には、身分証明書も金もなかった。
このような死は、ほとんど自殺、ずっと以前から準備されてきた自殺ともいうべきものである」
ボードレールはこう書いているが、その後の研究によって、彼の健康状態はそのころ酒も飲めないほど悪化していたのに、バルチモアで大統領選挙の騒ぎにまきこまれ、知人に腕ずくで酒場に連れこまれ、むりやりに酒を飲まされたあげく放り出されたもので、彼の死はむしろ殺人に逢った、というべきものであったことが明らかにされている。日本では同年4月に葛飾北斎が死んでいる。
ポーは自分の墓を作ってもらうだけの遺産もない始末で、親戚の者がやっと墓石を作ってやったが、完成直前に脱線した汽車が飛びこんで、その墓石を砕き、それっきりになってしまった。
それ以後26年間墓標も立てられず、27年目にはじめて墓が作られたが、その建立式に出席したアメリカの作家は、老いたるホイットマンだけであった。

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作家別作品リスト:ポー エドガー・アラン
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盗まれた手紙 THE PURLOINED L ETTER エドガー・アラン・ポー Edg ar Allan Poe
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