じじぃの「人の死にざま_80_山本・七平」

山本七平 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3/4414/
山本七平 ウィキペディアWikipedia) より
山本七平1921年12月18日-1991年12月10日)は、山本書店店主。評論家。
【山本死後の扱い】
稲垣武は、上記研究会での説明および夫人の山本れい子の証言をもとに『怒りを抑えし者』(PHP研究所、1997年)「第9章ベンダサンとその時代」において、『日本人とユダヤ人』は、2人のユダヤ人(ローラーとホーレンスキー)との対話を参考とはしているが構成も文章も山本のものと結論付けている。
同様に、『山本七平ライブラリー』編集部もライブラリー13および14(文芸春秋、1997年)の奥付の初出一覧の脇に、ベンダサン名の諸作品はほぼ山本の著作、もしくは山本を中心とする複数の外国人との共同作業と考えられるというコメントを付している。
2004年『日本人とユダヤ人』が角川oneテーマ21シリーズから(角川書店、2004年)が山本七平名で出版されたり、ベンダサン名で連載された「ベンダサン氏の日本歴史」(『諸君!』文芸春秋1973年1月以降22回掲載)が山本著『山本七平の日本の歴史』(ビジネス社、2005年)として単行本化されるなど、山本の死後10年以上経過してからはベンダサン名の著作が事実上山本のものとして扱われることが多い。
『七平ガンとかく闘えり』(KKベストセラーズ、1994年)では、息子である良樹の筆で、ベンダサンはあなたではという母の問に対して「まあ、そういうことなんだよ」と答えたと記されている。

                              • -

日本教養全集 18 『日本人とユダヤ人 イザヤ・ペンダサン (一部抜粋しています)
ここで少しく、ナザレのイエスの処女降誕伝説についてのべよう。新訳聖書はキリスト教文書ではない。後代のものと一部の例外を別にすれば、それはあくまでも「新訳時代のユダヤ教文書」であって、キリスト教の成立と新約聖書の間には少なく見つもっても300年の開きがある。キリスト教徒のいう「三位一体」などは新約聖書のどこを開いても出てこない。第一、人間が神を十字架につけて処刑にするなどという思想は、モーセ以来の超越神の下に生きていた当時のユダヤ人の思想の中にあるわけがない。ニケーア会議までのキリスト教徒内の、現代人には全くわけのわからぬような論争は、イエスを神であるという思想を何とかこじつけて新約聖書に結びつけようとしたことにある。キリスト教は確かに聖書に依拠している。だが、聖書はキリスト教にその存在を依存しているわけではない。いわはキリスト教の一方的な片思いだから、たとえキリスト教が消えても聖書は残る。この関係は明確にしておかねばならない。
話が少し横道にそれたが、新約聖書を新約時代のユダヤ教の文書とするなら、ユダヤ人にも処女降誕伝説があったことになるではないか、ということになろう。例外とはそこである。明らかにユダヤ人が書いたものには一言一句もそんな言葉は出てこない。それどころか暗にそれを否定している言葉がある。例えば『マルコ福音書』。この書は、いわゆる四福音書の中で最も古く、他の三書の台本になっている。これにはイエスの生誕と幼時については何も書かれていないが、しかし、イエスがはじめて説教をしたとき、母親のマリアは非常に驚き、イエスが気が狂ったといって、他の子供たちをひきつれてイエスを取り押さえに来たと、はっきり記している。これより見れば、イエスの出生も幼年時代も、普通の子供と少しも変わらなかったことは明らかである。もし本当に、いわゆる聖画の題材になっている天使による聖胎告知や出生の際の天使の来訪などがあったら、イエスが説教をはじめたからといってマリアがが驚くわけがあるまい。ついでに言っておくがこの福音書は、イエスのは墓が空だったと記しているが、復活したイエスに会ったり話したりした記録はない(後代の加筆を除けば)。処女降誕にふれていないもう一つの書は『ヨハネ福音書』である。ヨハネはまたイエスがベイトレヘム(ベツレヘム)で生まれたことも暗に否定している。この2つの書を見れば、マルコにとっては処女降誕など考えも及ばなかったこと、ヨハネにとっては全く問題外だったことが明らかである。
     ・
(目には目を、歯には歯を・・・)
以上の通りである。説明はいるまい。要は、損害を与えたら、自国民であろうと他国民であろうと、相手がユダヤ人でも朝鮮人でも、奴隷でも、男でも、女でも、正しく損害賠償せよ、ということなのである。特に最後の申命典の規定、偽証によって、罪なき人の命を奪い、あるいは目を奪い、歯を奪い、手足を奪おうとした場合、裁判官は寸亳の情状もしてはならないという規定、また奴隷なら、目には目で賠償しなくてもよいからすぐ釈放しなければならないという規定は、私は、あくまでも立派なものだと信じている。これを一体どう読めば、撲られたら撲り返せの意味になるというのだろう。全く不思議である。もっともこれには、キリスト教徒の悪意ある解釈もあろう。彼らは言うユダヤ人は復讐を公認した、しかしキリストは右の頬を打たれたら左の頬を出せといった。キリスト教ユダヤ教の復讐公認を否定した愛の宗教であると」。御立派である。2000年間、そのようにユダヤ人に実行してくれたら、私は何もいわずに頭を下げよう。だが忘れないでいただきたい。「右の頬を・・・・・・」という言葉も、旧約聖書からの(広い意味での)引用であることを。「おのれを打つ者に頬を向け、満ち足りるまでに、恥ずかしめを受けよ。口をちりにつけよ。あるいはなお望みがあるであろう」というエレミヤ哀歌の一節であることを。キリスト教徒よ、これを実行してきたのは、あなた方ではない。私たち、ユダヤ人なのだ。ユダヤ人イエスの言葉を語るとき、それを忘れないでほしい。だが、話が横道にそれたようである。ここの問題は一つには訳文にもあるのだろう。原文の意味は「傷つけたのが目なら目でつぐなえ、歯なら歯でつぐなえ」の意味だから、これを短く言うなら「目なら目で、歯なら歯で」となるのではないか。だがこれは日本語の問題だから、私には発言権はない。

                              • -

光るナス:山本七平氏の『「空気」の研究』 その3
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/50120189.html